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一人っ子論の歴史(9)~なぜバッシングされてきたのか

▼今回の記事のハイライト▼

バブル絶頂期にあった 1980 年代において、大人っぽくて不気味であり、友達づくりが下手で友達ができず、協調性がなく企業にも嫌われ、マザコンのせいで結婚できない、いわゆる「普通の」人生コースを歩めない一人っ子を批判することは、無理をしてでも働いて大量に稼ぐことが是とされた社会への礼賛でもあったはずだ。
一人しか子どもがいないという親の「ひけめ」こそが子どもを甘やかす事に通じやすい、つまり発達期待が子どもを作るのだから、一人っ子という生育環境を特殊なものと考えるところから改めるべきとしている。(詫摩武俊氏の書籍から)

この記事は連載企画「一人っ子論の歴史~なぜバッシングされてきたのか」の第9回です。
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前回の記事では、1980年代において、一人っ子政策が進んだ中国が反面教師として語られていく様子について書いた。

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今回の記事では、前回の続きとして、1980年代の日本において、中国を反面教師に一人っ子批判が補強されていく様子について見ていきたい。

●研究者による反面教師としての一人っ子政策と一人っ子批判

1960 年代に粉ミルク育児を批判した心理学者の依田明氏は、1981 年にも『ひとりっ子の本』を出版している。

この中で依田氏は、日本は優秀だから自然に産児制限ができたため一人っ子が増えているが、中国は文盲が多かったので政策として一人っ子を強制しなければならなかったと解説する。

また、1980年9月25日の『週刊文春』に掲載された、元巨人監督の川上哲治氏による「桜型人間」(手入れをしなくても咲く)と「梅型人間」(手入れをしないと咲かない)の例えを引いて、梅型人間の一人っ子には時にはビシビシとむち打つことも必要だと発言する。

そして、バブル絶頂期にあった 1980 年代において、大人っぽくて不気味であり、友達づくりが下手で友達ができず、協調性がなく企業にも嫌われ、マザコンのせいで結婚できない、いわゆる「普通の」人生コースを歩めない一人っ子を批判することは、無理をしてでも働いて大量に稼ぐことが是とされた社会への礼賛でもあったはずだ。

高収入の夫のみが働けばよいという労働モデルの一方で、女性の社会進出も無視できないレベルになっていたが、依田氏の女性の労働観は、育児を面倒くさがる母親が楽な仕事を選んだものとして想像されており、昔は保育園へ子どもを預けるにも申し訳なさそうにしていた母親が今は当然のように預けていく、こういう母親こそ一人っ子しか産まないとしている。

●一人っ子の父親による一人っ子論

このように母親の子育てが問題視される一方、注目されるのが父親の存在だった。

勿論、子育ての中心は当然母親であるとされ、父親による育児が推奨されるようなことはない。
あくまでも、わがままな母親の暴走を制御し、まともな一人っ子育てができる最後の良心としての父親が注目されたのである。

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