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人徳は生まれ持った資質。ゆえに努力ではどうにもならない。だから自分に人徳が無くても気にする必要は無いと考えます

身も蓋もない話ですが、経験上、私はそれが事実だと確信しております。

実績はたいした事が無いのに、そして別段他人に気に入ってもらうための行動をしているわけでもないのに、不思議と人々から愛され、人が集まり、支援してもらえる人がいます。もちろん、いつも失敗しているとか全く結果を出せないというのでは流石に社会や集団から排除されますから「そこそこ程度の結果」は出します。

そういう人には若い頃だけでなく、年齢を重ねても華があり、何か大きな事や斬新な事をやってくれそうな雰囲気があり、時に高い地位にも着きます。実績がさして無いにもかかわらず重大な仕事を任されたりもします。時に酷い失敗もしますが、逃げ方がうまいのと、批判されにくい雰囲気を持っているので、人々から糾弾される事は殆どありません。また、だらしない所があって時々他人に迷惑をかけるけども、そこがむしろ人間らしいと人々から愛されます。

・・・そういう人には【生まれ持った人徳がある】わけです。

逆に、いつもキチンとしていて、他の人の事も良く観ており、現実的な結果を出して人々の役に立っている人であっても、不思議と人物としての華が無く、人々から尊敬されず、評価が低い人がおります。

そういう人が長年人々の役に立ち、コツコツと築いて来た信用は何かの小さい失敗であっという間に失います。

“やっぱりこの人ってこうだよね”と簡単に失望されてしまうのです。普段から日常的に人々の役に立つ事をしている人なのに、不思議な事に滅多に無い小さな失敗でそう思われてしまうのです。「人徳のある人」だとその小さな失敗が愛されポイントになるのに、人徳の無い人の場合は致命傷になります。普段、他人から嫌われる行動をしているわけでもなく、むしろキチンとすらしていて、人に嫌われるような容姿でもない。他にそう思われてしまう原因を探しても、特に悪い所はありません。人徳のある人の事を研究し、自分もそのような行動を嫌味無く巧妙にマネしてみても「いや、キミはそういうんじゃないから・・・キャラが違うし、笑」と嘲笑されてしまいます。

そういう人には【生まれ持った人徳が無い】わけです。

「人徳があるけども仕事の出来ない人」に付いて行って失敗した人は「人徳が無いけども仕事がとても出来る人」に助けてもらう事が良くありますが、事が過ぎればまた人徳があるけども仕事の出来ない人に付いて行きます。なぜなら、人は自分が信じた人に助けてもらい、それに感謝したいからです。人は助けてもらう際にも自分の好みの人を選びます。人徳が無いけども仕事の出来る人からのサポートはそのためノーカウントになります。

そのように人徳が無いけども仕事が出来る人は、都合の良いように使われてしまう傾向があります。人々に現実的に貢献しているのに評価されない。それどころか貢献すればする程、その存在を隠されます。利用している人にとってそれは知られたくないし頼っている事を認めたくないですから。人は人徳の無い人と関わりがある事を他人に知られたくありません。

さらに酷い事に「人徳が無いけども仕事が良く出来る人」は「あの人は私を助けてくれるのが当たり前。今までもそうだったじゃん。そうしてくれない事は許されない事」と思われがちです。とにかく全ての貢献が当たり前化されてしまい実績としてカウントされないのです。

人徳のある人は実績がどうであれ、ちょっとした事で「やっぱりあの人はすごい!」「あの人がこんな事をしてくれた!」と喜ばれますし、人々はそれを他人に自慢します。

人徳のある人に対しては「この人を困らせる事はしたくない」と人に思わせる力がありますから、周りの人の働きによりそれなりの結果を出せる事も多いです。

人徳の無い人に対しては、都合の良いように利用しても心が痛まないので、好き勝手されがちです。あまりに酷い時には抗議をすると(非常に言葉を選んで)「自分が他人にしてあげた事をありがたがれなんて、あなたは人として品性が無い。そういう事は黙っているものだ」と助けられている側から説教されたりもします。

これは日常生活でも仕事でもありますし集団競技系のスポーツでも見られます。

こういう風に例に上げると「あ、確かにそういう人、いるね」(どちらも)と、思い当たるところがあるのではないでしょうか。

「人徳」と密接なのは「信用」です。こちらは個人だけでなく集団でも得られるものですから、努力である程度得る事が出来ます。

しかし、その信用が「人徳のある人は得やすく、かつ失いにくい」そして「人徳の無い人は得にくく、かつ失いやすい」のです。

この特性が社会生活に大きな影響を与えるのです。

・・・という訳で私は、

【人徳というのは努力でどうにかなるものではなく生まれ持った資質である】

と考える次第です。

ですから、人徳が無い、という事で落ち込む必要はありません。人徳は自分の頭の出来や容姿と同じく「自分の意思と無関係に勝手に自分に装備されたもの」です。

人々の役に立つ事をするのは社会に生きる人として当然ですが、自分なりにキチンと行動しているなら人徳的な部分で認められなくても落ち込む必要は無いし認めてもらうために変に媚びる必要も無いと私は考えております。

もちろん、人徳があり、かつ仕事がもの凄く出来る人がおります。それはリーダーの資質を持っている人ですね。また、人徳が無く、仕事も出来ないとなると社会人としてどうにもならないので、人徳の無い人は、仕事をがんばるしか無いのです。ただし、仕事が出来るからといって尊敬されるとか人徳が得られる事はあまり無いでしょう。私には人徳が無いので、仕事をがんばるしかありません。社会は不公平なものですから、その場その場の現実を受け入れ、どうにか生きて行くしかありません。

以前観た、美容院の経営についてTik Tokか何かの短い動画で語っている人の言葉でとても共感したものがありました。

「会社運営で怖いのは、人徳があるけど仕事が出来ない人。そういう人はなまじ人徳があるから人が付いていってしまう。そして、みんなを巻き込んで大失敗する」

しかし、人徳がある人の場合は不思議と恨まれないのです。あの時は、運が悪かったね、仕方が無いよ、という具合に皆が思ってくれるのです。

その構造自体が、怖いですね。


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