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伝統文化は、その国のインフラの一つなのではないか?

などと、令和6年の正月に思ったのです。

その国の様々な自然災害への対策、さらに鉄道や道路、公共施設、電気・ガス・水道、通信網・・・例えば、天災が多い日本では地震対策や治水は非常に重要な問題です。

それらは「生きて行くために必要な物事」です。

伝統文化もその一つに数えて良いと私は思うのです。それはその国の人にとっての精神の背骨のようなものです。そして実際に有用です。例えば国民の民度の底上げ効果として強力に作用しますし、対外的には文化的な武器となり、商材となり・・・その国の特徴を明快に表す大きな力となります。

私は常日頃「伝統文化で、既に役割を終えたものは終わらせるべきであり、変に延命するのは良くない」としていますが、それは当たり前の摂理の話をしているのであって、伝統文化の否定ではありません。日本の文化全体が継承されている間に生まれるものと終わるものがあるという当たり前の話をしているだけです。インフラも、時代にそぐわなくなったものは更新の必要があり、終わらせるものがあり、新たに開発しなければならないものがある、というわけです。

ですから、今、伝統に関わる事をしているなら、その国のインフラを整えている、整備している、必要なものを生み出している、と思うと個人的にはスッキリする感覚があります。

それと、日本の伝統は外枠で捉えると巨大なものですから、それを大規模なインフラと考えると、やはり後世の人々の事を考えざるを得なくなります。

過去、インフラを整えた人たちは、自分たちの命の差し迫った当事者として事に当たったと思いますが、それだけでなく、後世の人々の幸福を願って、よりしっかりしたものを残そうと努力したのだと思います。

「その時、正にそれが必要であった」同時に「未来の人たちへそれを受け渡すために」そうしたのではないでしょうか。

自分がそのインフラを手掛ける当事者としての意識があるのなら、そのインフラは100年後も400年後も人々の役に立って欲しい、人々に感謝されずとも、それが当たり前にあって人々に安全と幸福を与えるものとして存在するものであって欲しいと思うのではないでしょうか。もちろん、役割が終わったなら速やかに新しいものに置き換える必要がある・・・

と、新年に、そんな事を思ったのでありました。

(写真は、2023年の年末の工房のベランダから見える夕暮れの富士山です。肉眼ではもっと大きく見えます)


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