見出し画像

先日、久しぶりに日本民藝館に行きました

25年ぶりぐらいですかね。(2021年時)

工房構成員の甲斐凡子が行った事が無いと言うので、生地の仕入れのついでに久々に行きました。

改修工事をしたらしく、建物が新しくなっておりました。

靴を脱がずに、ビニールの靴カバーをして入館する方式になっているのは、ちょっと面倒ですけども清潔でいいなと思いました。トイレでは「靴の上に靴カバーを着けたまま履ける巨大なサンダル」が用意されているのに感心しました。

それと、館内の案内や説明書きのほぼ全てが「民藝館フォント」になっている小技にも感心しました。

ちょうど展示会をやっていた棟方志功は、やっぱりスゴいな、と思いました。版画だけでなく、書や絵もありました。版画はもちろん素晴らしいのですが、書や絵も素晴らしいです。書の表具が面白い趣向のものでしたが、あれは誰がやったのだろう・・・

それはともかく、

収蔵物には、素晴らしいものが沢山ありました。

個人的に、再発見したのは

「民藝館の収蔵物は、民藝の理屈はどうあれ、柳宗悦並びにその周辺の人々の“審美的価値観”によって集められたものだよなあ」

という事です。

「民衆の、民衆による、民衆のための工芸」という事を超えて、やはり「審美的に良く出来たもの」が収蔵されている。(全てでは無いにせよ)

私は「鑑賞も実用である」という考えなのですが、改めてそれを確信しました。

「当時の大多数の民衆の実用品」にはああいうタイプの審美的な美しさはありません。民藝館の収蔵物のようなものは、もし買うなら当時でも高価ですし、元々売るためのものではなく、自分の楽しみや家族のために作られたとしか思えないものもあります。

もちろん、例えば森で仕事をする貧しい人たちの、粗末ながら長年使い込んだナタなどには、用途と実用が磨き上げた美がありますが、それは民藝館に収蔵されているような「民藝系の上手もの(じょうてもの)」のようなタイプの美ではありません。

「廉価な、民衆の、民衆による、民衆のための工芸」の、実際に多くの人々が実用したものは、いろいろな地域にある「郷土資料館」などにあります。それらは、技術的・審美的に良いものは殆どありません。

それは本当の実用具ですから使えなくなるまで直しながら使い尽くし、最終的に破棄される物ですから現物が残りにくいですし・・・そのような実用品/消耗品でも、素材そのものが持つ味わいが、実用による変化や経年変化で美を宿す場合もありますが、それは素材と時間が産んだ、人為から離れて産まれた自然美です。その美は民藝の範囲ではありません。

民藝が無銘性、無作為の美を尊ぶといっても、それが背景にありながら産まれた作家ものであったとしても、日本民藝館にあるものは「郷土資料館」の収蔵物のような消耗品ではなく、実用品ではあっても審美性を意識して作られたものです。その方向性が、官製や民衆でも経済的上位者の要望によって作られたものと違うだけの話で、何にしても美を宿したものが選ばれているのです。

私は東京国立博物館にあるものも、日本民藝館にあるものも、どちらも好きです。

ただ、私は現代の「いわゆる民藝館形式」の作物は全く興味を持てませんね・・・もちろん、同じく美術団体の工芸や美術作品にも全く興味を持てません。

・・・などなど、久しぶりだったので、いろいろと感じるところがありました。

その後、

「改めて民藝について」(一九五八年)柳宗悦

が青空文庫に出ていたので読んでみたのですが、

現代の民藝の位置と、多くの「民藝館スタイル」の作品群と、民藝館展の入選作品を観たら、柳宗悦先生は、墓場から出てきて怒りそう・・・と思いました。

以下に、一部引用してみます。

* * * * * * * * 

〜「民藝趣味」などに囚われたら、本当の民藝はもう見えなくなる。眼が不自由になるからである。もともと私どもは、民衆的作品だから美しい等と、初めから考えを先に立てて品物を見たのではない。ただじかに見て美しいと思ったものが、今までの価値標準といたく違うので、後から振り返ってみて、それが多く民衆的な性質を持つ実用品なのに気づき、総称する名がないので、仮に「民藝」といったまでである。〜

〜「民藝」という言葉を、一つの形式化したものにしてはいけないという事である。民藝趣味、民藝嗅味となっては矛盾である。いつも今見るうぶな民藝でなければならぬ。嗅味等の繋縛から解放されてこそ、初めて民藝の真価が判る。〜

〜私たちは民藝の外敵等、そう歯牙にかけずともよい。吾々は外敵より一歩先に歩いているという信念を捨てる要がないからである。しかしかえって内敵をこそ怖れてよい。内敵というのは、贔負をしながら、民藝を浅く甘く受取っている人たちを指すのである。〜

(引用終わり)

* * * * * * * * 

柳先生がご注意されている件、少なくない数の民藝論信者の人たちがやってしまっている事ではないですか・・・先生ご存命の頃からそういう問題があったのですね。

柳宗悦の発見した「民藝」という「創作的鑑賞方法」(鑑賞方法の創出=価値観の創出は、それ自体が創作です)は、本来は「無形のもの」であり、最初からか、運動が大きくなってからかは分かりませんが、それをご本人は良く理解していた・・・

しかしそれは「思想という形と、見本になる作物」が無ければ人々に伝えられないわけですから、どうしても形を持たざるを得ません。

そうなると困ったことに、民藝論に感化された人々は、その「思想と様式」を経典化して、権威化して、その下で生活を営むようになるのです。真面目な「信者」ほど、本来は固定化してはいけない事を固定化し、それを寸分違わずなぞります。

「民藝」というものが、柳宗悦の手を離れて公共化するほど、柳の本来の思想とは離れてしまう、しかしそうならないと一般化しない・・・その構造の狭間で柳が理想とした創作的純粋性は失われてしまうのです。

柳が最も大切にしたのは(目指したのは)「偏見のない素直で鋭敏な精神そのもの」だったわけで、その精神に響くモノに上下は無い、というところだと私は考えます。

しかしそれは、民衆のなかで、良くも悪くも変化してしまうのです。

宗教などでもそういう変化がありますから、仕方が無い事なのですが・・・

だからこそ、本来的には、柳の後の人たちが「経典再編」をするべきだったのだと思います。

しかし、それはむづかしいかと思います。

その固定化された民藝思想と様式が多くの人々の生活の糧になってしまったからです。

民藝は、本来的には生産に関わる人たちが産業として食えなければなりません。その食うための道具として、柳の民藝論はとても実用的であった、それは現在でも実用的であり、そして根本には美を備えている・・・

民藝論自体が民藝として良くも悪くも機能していると言えるのかも知れません。

* * * * * * * * * * 

その他の民藝系話題

無銘性について

モノの肉体的実用性が失われても審美性が残る=審美性は実用的で寿命が長く強い

民藝は三つに分離したと私は把握しております

民藝的な美を産み出すのは大変難しい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?