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“株式会社 伝統”という企業に雇われているサラリーマンみたいなものになっている感じ

伝統に関わる仕事をしている人の多くは、経営者であっても(仮名)“株式会社 伝統”に雇われているサラリーマンのようになっている感じがします。

本当は抜本的な変革をしないと会社が先細って倒産するかも知れないと分かっていても、現状を見ないように目を塞ぎ行動を起こさない。そのままだといけないのは分かっているけども、何か新しい事をやって失敗したら今あるものも失ってしまうかも知れないじゃないか・・・まだ以前より少し悪くなっただけだ、それぐらいは我慢すれば良い。またそのうち回復するさ・・・

社員の皆がそう考えるから、改善のための行動を起こす人間がいると「余計な事をするなよ面倒事が増えるじゃねえか失敗したらどうすんだオマエ責任取れんのか」と迫り妨害する。

まして改革しようなどと言う者がいたら、それは正に危険思想の持ち主であり、そういう人がいれば排除される。

社会環境の悪化で給料が減るのは我慢出来るけども、会社の誰かが新しい事をやった結果失敗し、会社に損失があったら自分は一円でもその被害を被りたくない。絶対にイヤだ。

逆に社員の誰かが功績を上げて給料が増えたなら、それは絶対に認めたくない。みんな並んでジリ貧になるのでなければズルい。そいつを引きずり落とさなければ気が済まない。

今まで通り以外の行動は許さない。今まで通りである事が、同じ事をただトレースする事自体が価値で、その行動から生まれる社内派閥があり、自分が所属する派閥への利益誘導のためのポジション取りに明け暮れ、その繰り返しで数十年が過ぎて行く・・・

そんな事で毎日忙しくしている。

しかし実際には、変革してはならないとする社長は存在しない。

そもそも社長自体が存在しない。

誰も改革してはならぬ、とは言っていない。

全ては「なんとなく」で進行しているのだ。

「なんとなく」なのに、変化するのが物凄く面倒だし怖い。新しい事を行う際のストレス耐性が殆ど無い。だから、強い力で今までのままでいようとする・・・そのなんとなくだけども力は強いその空気が、そのような社員たちの態度を醸成するのだ。

そして、外を観ずに皆で腹を探り合っているうちに「株式会社 伝統」は、倒産するのだ。


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