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全盛期の志村けんを見てセックスの意味を知った5歳の私の話


幼稚園の年中時代の話だ。先生を囲んで園児が円になると、5歳の私はたかつだいすけくんの隣にいつも座り、「最近面白かったテレビの話」を互いにヒソヒソ声で報告しあった。

耳元でずっと面白いことを囁かれて続けていると、不思議なことに子ども同士でも「ピロートーク」のような雰囲気になる。聞いている方は、先生が話している途中であっても「んふ。んふふ。んふふふふ」と思わず笑いが漏れてしまう。先生にそれを見つけられるたびに、「ゆきじちゃん! だいすけくん!」と大きな声で怒られた。

大勢の前で一人怒られたのなら落ち込むが、何しろ私は、だいすけくんという強烈に気の合う共犯者と毎日一緒なのである。先生の注意など、まるで気にもとめなかった。妙に強気になった二人は、日に日に行動がエスカレートする。

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ある日、私がだいすけくんの耳元で「千昌夫とジョーン・シェパードが……」とつぶやくと、だいすけくんが「あ、テレビのコマーシャル!」と返してきた。やっぱり彼は勘がいい。「さすが、私のだいすけ。生まれながらのテレビっ子!」と思った。

当時、人気演歌歌手の千昌夫は、アメリカ人歌手でタレントのジョーン・シェパードと結婚し、岩手訛りがドぎつい夫と日本語の流暢なアメリカ人妻の奇抜なキャラクターが受け、夫婦でCMに出まくっていた。ナショナル(現・パナソニック)のリモコン付き最新式テレビ「パナカラー クイントリックス」のCMで、ジョーン・シェパードが放ったセリフ「イワテケン(=岩手県)」が後に流行語となる。

このCMは何種類かパターンがあるが、私とだいすけくんが気に入っていたのは、上から順に1から12まで並んだチャンネルの数字を、デパートのエレベーターの階数に見立て、エレベーターガールに扮したジョーン・シェパードが「上に参りま〜す。下に参りま〜す」と言いながら、客役の千昌夫と一緒にテレビの脇で伸び上がったり、しゃがんだりするバージョンだ。

だいすけくんが「上に参りま〜す」と言うと、私が「下に参りま〜す」と囁き返す。千昌夫になりきっただいすけくんが「今んところ決めてないけど、どこで降りようか?」と耳元で訊くと、私がジョーン・シェパードっぽく「イワテケ〜ン」と返す。子どもなりに、しっかりとCMコントの間で演技をしているので、本人同士は面白くてたまらない。「次は僕が『イワテケン』って言うね!」と、攻守交替となる。その間、先生が注意しようと、当人同士はもうお構いなしだ。この攻守の切り替えを3回繰り返したところ、腸の煮えくり返った先生は「ゆきじちゃんとだいすけくんは、もう廊下に立ってなさい!!」と本当に教室から追い出し、ドアをピシャリと閉めた。

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廊下に立たされた二人は、初めの2分ぐらい反省していた。「廊下に立たされちゃったね〜」「本当だね〜」。でもこちとら毎日、プチ「ピロートーク」をしている仲なのだ。バカップルは反省なんかしない。

生粋のテレビっ子同士なので、すぐに『8時だョ!全員集合』のお化け屋敷コントの真似を思いつく。志村けんのモノマネは子ども心にも高度すぎると悟り、「志村、後ろ〜!」と掛け声がかかる直前のお化けの顔を、教室に二つある前後ドアのすりガラス越しに、「いっせーのせっ!」の掛け声で二人同時に見せることにした。

教室の中にいる園児たちは、お化けの表情で顔をガラスに貼り付けている二人を見て、当然ドリフのコントと感づいているので、大爆笑だった。もう先生の話を聞く園児はほとんどいない。「ウケている」「全員がこっちを見ている」と手応えがあるものだから、だいすけくんと私は何度でも繰り返す。すると園児に袖にされた先生が血相を変えてドアを開け、金切り声で叫んだ。「いい加減にしなさい! あなたたち二人は、バケツを持って立ってなさい!」。

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水を入れたバケツを両手に提げて、おとなしく廊下に立っていろというのである。1分半はバケツを持った。でもすぐに腕が疲れてしまうので、やっていられない。だいたい「水を入れたバケツを提げる罰ゲーム」は、ドリフターズの王道コントなのだ。二人の頭は「次に何を真似するか」でいっぱいなり、「もしかして、このバケツもドリフ〜?」と言い合う。ただし、バケツコントだと床が水びだしになると考え、「いかりや長介が志村けんを叩くくだり」を真似することにした。

廊下のおもちゃ箱には、ジョイントの部分をつないでいくと、円になったりロープ状になったりする長さ30センチのプラスチック製ベルトがあった。ベルトが体に当たるとかなり痛いことを知っていた二人は、ジョイント部分をつなげてベルトを長くし、ムチに見立ててお互いの体をしばきあった。ただしばきあうだけでは面白くない。だいすけくんが「どっちがいかりやをやる〜?」と聞いてきた。

「じゃあ、私が志村で、だいすけくんがいかりやね!」と言うと、だいすけくんは私に向かって、ムチ風ベルトを振り下ろしてきた。私は志村の演技に忠実に、ちょっといやらしい声で「アッ!」「アッ!」とリアクションした。ドリフ世代ならおなじみだが、志村けんは乳首などの敏感な部分を刺激されると、女性のような喘ぎ声で出す。それを5歳の私がそっくりそのまま再現したのだ。

「コラッ!ゆきじ!」。ビシッ! 「アッ!」。このくだりを2回繰り返すと、志村役の私がお化けの真似をして「コノヤロー」と言いながら、いかりやに扮しただいすけくんを追い回す。これがコントのワンセット。今度は攻守を交替させて、私がいかりや役になってしばく。

廊下から物々しい雰囲気を感じた先生は、教室のドアをガラッと開けた。ちょうど私が志村役になって、「アッ!」「アッ!」と喘ぎ声を出していた時だった。先生は、子どもがSMの真似ごとをしていると思ったのだろう。

「……もうアンタたちは、マリア様の部屋で反省してなさい!!!!!!!」

震えながら声を絞り出した先生は、私たち二人の首根っこをつかみ、カトリック系幼稚園ならではの、マリア像のある反省室に私とだいすけくんをぶち込んだ。

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北に面した反省室は、窓から自然光が入ってもほの暗い。ただでさえ暗いのに、先生は電気も点けず、「ここで正座をして、マリア様に許してもらえるようにずっとお祈りをしながら反省していなさい」と言う。

遠くから園児たちの帰る声がする。もう昼が過ぎたのだ。反省室をぐるっと見渡しても、時計がないから時間の感覚がない。まったく園児の声がしなくなって、いよいよだいすけくんも私も怖くなった。「このまま、家に帰れなかったらどうしよう……」。二人で抱き合って泣いた。

泣き疲れた二人はハグをしたまま眠っていた。反省室のドアが開き、先生が表に出ていいという。暗い部屋から急に明るい娑婆に出て、強い西陽で目がチカチカした。子ども心に「自分たちは極悪人の犯罪者だから、牢屋に入れられたのだ」という感覚になって、お互い口もきけない。幼稚園で一番おっかないシスターの大塚先生のもとに連れていかれ、反省したかどうかを確認された。出されたおやつは、明らかに森永のビスケット「ムーンライト」だったが、まったく味がしない。あんなに蜜月だっただいすけくんと私は、週刊誌に熱愛が報じられ、双方の事務所に無理やり別れさせられたアイドルのようになっていた。幼稚園を出たのは、午後3時過ぎだった。

***

大学生になり、私は「あれは、幼稚園時代の私とだいすけくんだ」と、ハッキリと思い出したことがある。テレビで、1969年公開の映画『天地創造』を観た時のことだ。アダムとイヴは、神から「善悪の知識を司る木の実に触れても食べてもいけない」ときつく言われていたにもかかわらず、蛇にそそのかされて、うっかり木の実を食べてしまう。エデンの園で暮らす二人の名シーンだ。

幼稚園時代、よりCMに、よりドリフのコントに忠実にふざけたいだけだった私とだいすけくん。しかしそれを極めるために二人の間で交わされる行為の1つ1つが、幼い二人に共犯意識や背徳感といった「イケナイコト」の感覚を、毎日ちょっとずつ植え付けた。そしてそれが、どんなに艶めかしくて心地良いことかも。

そう、私とだいすけくんにとっての善悪の木の実は、毎日繰り返される耳元での囁きであったり、ドリフで加トちゃんよりもより性的な魅力を放っていた志村けんの喘ぎ声だったり、SMよろしくベルトで体を打ち付けられたり、反省室で抱き合ってお互いの肌の感触を確かめ合ったりすることだったのだ。

何が善で何が悪なのかを、神が決めているうちは楽だ。でもアダムとイヴならぬだいすけくんと私は、禁断の果実を食べたことにより、自ら善悪の判断ができてしまうようになる。性的な行為が「イケナイコト」だという罪の意識を、人生の最初に味わわせてくれた男・たかつだいすけくんとの思い出。これは5歳の身に起きた、西陽の強いある初秋の話である。

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