万葉集と古事記

古事記解読の手掛かりは、万葉集の歌にあります。
枕詞を押さえないと、読み解けません。
万葉集の枕詞。
古事記と万葉集は対になっている。

万葉集も古事記同様謎多き書物です。

個人的には、どちらも柿本人麻呂が書いたとみています。
万葉集は古事記の前に書かれ、その内容が原因で柿本人麻呂が失脚。流罪となるも、何とか逃げて、リベンジの古事記を書いた。

万葉集には当時の朝廷の様子が赤裸々に描かれた為、権力者から排除された。

闇に葬られた万葉集はその後、順序を大幅に変え、大伴家持が編纂する。(大伴家持が越で読んだとされる歌は、家持作でなく、柿本人麻呂作だったと推測している)

万葉集と言う書名の由来は諸説あるが、
おそらく、富山の氷見と密接に関係していると思う。
氷見に万尾と言う地名がある。ここで万葉集は産声をあげた。

氷見は平安時代までは干潟の湖が広がっていた。湖は淡海。この淡海ー近江。
近江とはどこか?
また出雲はどこか?
それらを疑った時、古代史は新たな可能性を開く。
地名と枕詞。歌の意味。もっと考える必要がある。

天智天皇の近江の都を「近江京」と表記しているが、平城京や平安京のような条坊制が存在したことを示す記載はないほか、特別行政区としての「京域」の存在も確認できない。このことから、近江京とは「おうみのみやこ」の意味であると考えられる。


富山呉羽の姉倉比売神社には、壬申の乱の際、大海人皇子に旗竿を献上し、勝利に導いたとされる伝承がある。

大化改新の意味も地理を見直した時、意味が大きく変わる。この国がどういう思想の元に都市づくりが行われたか?
飛鳥は陰陽の対の都。日本海側太平洋側対にそれぞれあった都市(おそらく神都と政都-商都)を一本化したのが、大化の改新の本当の意味でないか。そして、近江京は、氷見にあったと推測する。

梅原猛氏は柿本人麻呂は石見で水死刑にあったと推測している。
石見にかかる枕詞は「つのさはふ」。
蔦の巻き付く様。
大伴家持がこよなく愛したとされる越の風景は、氷見の藤や海岸、高岡の二上山…

「つのさはふ」はまた、磐余(いわれ)にもかかる。
いわれー神武天皇は神倭伊波礼毘古。伊波礼は「いわれ」

越中の石動山、二上山、放生津で行われている「築山神事」。古代の香り残す神事であり、神は海からやってくると言われる。

神武天皇はここから倭に入ってきた。

地名は特徴的な地形から生じると考えると、
全国に同様の地名が存在するのは当然になる。

古事記や万葉集の地名の由来を原点から見直す。

不都合な歴史は故意に隠されたとしても、形を変えても残したい真実があった。

古事記と日本書紀を比較した時、古事記にしか記されていないエピソードは?漢字表記は何故違う?出雲建の話は何故挿入された?その意味は?剣を入れ替えるとは?出雲はすり替えられた。

やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 黒葛(つづら)多纏(さはま)き さ身無しにあはれ

この歌は何を語るか。

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