お笑い芸人を目指していた夫の話

もうすぐ50歳になる旦那は昔、お笑い芸人を目指していた。

その話を初めて聞いた時はとても驚いたが、普段の旦那の姿を見ていると「ああ、確かに芸人とか目指してそうだな」と、妙に納得してしまうのである。何故かというと、彼は普段から常におしゃべり、しかも会話の半分が冗談もしくはボケなのだ。しかも天然ではなく、狙っている「ボケ」である。

そんな私はというと、人から「天然ボケ」とよく言われる。自分ではあまり分からないのだが、よくツッコミを受けるのできっとそうなのだろう。だから、お笑い芸人に例えると間違いなく「ボケ」タイプなのだ。「ツッコミ」に回ることは滅多にない。だから、絶対に「ツッコミ」タイプではないのだ。

それなのに、私は旦那の「狙ったボケ」に対していつもツッコミを入れなければならない。面白いし、楽しいから別に構わない。しかし正直なところ、それがたまに鬱陶しいとか面倒くさいと感じるのも事実だ。以前「夫の精神年齢は小学生」というエッセイにも書いたが、旦那は特に下ネタ系のボケが好きで、日常的に飛んでくるボケも大体が下ネタである。例に挙げると、こういうやり取りになる(※表現の都合上伏字にしてます)

「えっ?今●●って言った?」
「いや、言ってないし!」

「(ヒットソングを下ネタ系で替え歌にして歌う)♪」
「やめなさい!せっかくの名曲が台無しだろ!」

他にも色々あるが、いちいち書き留めていられないのでもう思い出せない。替え歌系のボケも多いのだが「よく瞬時にそんなこと思いつくなぁ」と、思わず感心してしまうぐらい歌詞もメロディーもぴったり一致しているのである。もしかしたら曲作りの才能でもあるのではないか?と思ってしまうが、その歌詞の内容は物凄くしょうもない下ネタなので、仮に曲作りの才能があっても全く使い物にならないと思う。

とにかくボケの種類が半端ない。それだけ頭の回転が速いのだろう。その内に私のツッコミ力も鍛えられてきて、最近ではレパートリーが増えて来た。上に挙げたツッコミ以外にも

「なんでだよ!」
「あり得ないから!」
「どんな会話してんだよ!」
「くだらないwww」

などなど。自分でも思い出せないくらいである。プロのお笑い芸人にしてみたら、こんなツッコミなど面白くもなんともないだろう。しかし、私はこれまでの人生でこんなに人にツッコミを入れたことはない。むしろ、自分がツッコミを入れられる側なのだ。そう考えると旦那のボケがいかに強烈なもなのかということが分かる。

逆に彼はツッコミが苦手だ。太めの体型の私に対して「丸いな~!」と言ったり、太った猫の写真を見ると「これ雪子でしょ?!」と言ったりと「体型いじり」はしてくるが、私のボケに対してツッコミを入れて来ることは殆どないのである。もちろん私は狙ってボケている訳ではない。その時は気づかない。その後で「さっきの発言、もしかしたらちょっと抜けてたかも」と思うことがたまにあるのだ。その段階でツッコミを入れてくれたら私もその時点で気が付くのだが、そういうことは滅多にない。まぁそれが私が「天然ボケ」と言われる所以なんだろうと思うが…

旦那が何故、お笑い芸人を目指そうと思っていたのか。理由は聞いたはずなのだが、残念ながら詳しくは覚えていない。が、元々お笑いが好きだったということもあるのだと思う。何より、旦那はとても好奇心旺盛なタイプだ。自分が興味を持ったものに関しては食いつきが半端ない。その勢いで色々なことにチャレンジしようとするのである。きっとお笑いもそのひとつだったに違いない。

テーマが違うのでここには書かないが、彼は俳優を目指していたこともある。トムクルーズ主演の「ラストサムライ」というハリウッド映画にエキストラで出演したという経験もある。その際、トムクルーズはもちろん渡辺謙や真田広之といった日米の名俳優陣とも会ったのだという。この話はまた別の機会に書こうと思う。

最初に挙げた通り、旦那は「ボケ」タイプだ。だから、「ツッコミ」タイプの相方を見つけコンビを結成し、アマチュアで活動を続けていたらしい。地域のイベントなどにも出演したのだという。(客はまばらだったらしいが)本番中に何らかのアクシデントがあり、続けるか迷ったものの相方と共に大量の冷や汗を流しながらどうにか最後までネタを披露した、なんていうこともあったらしい。その時は「よく続けられたな。度胸があるな」と先輩方に褒められたそうだ。

肝心のネタは面白かったのかどうか、残念ながら私は当時の旦那を知らないのでそれは分からない。が、全くウケなかった時、もしくはネタが滑った時の会場の静まり具合は「全身汗だくになるぐらいやばい」と言っていた。

彼はそのままプロのお笑い芸人になることを夢見ていた。しかし、ある日。「俺、お笑いやめるから」と突然、相方に振られてしまった。プロを目指していた彼は慌てて新しい相方を探した。しかし誰も首を縦には振らなかった。皆、口を揃えてこう言ったという。

「お前の顔は【ボケタイプ】じゃないんだよ!」

この話を聞いた時、私は確かに彼らの言う通りだ、と思ってしまった。嫁の私がこう言うのは気が引けるのだが、旦那は目が大きくて整った顔立ちをしている。身長も高い。もっと分かりやすく言うと、「佐々木蔵之介」に似ている、とよく言われるらしい。世間一般的なお笑い芸人の「ボケタイプ」のイメージとは明らかにかけ離れている。

旦那や私が若い頃のお笑い芸人(コンビ)は「ノッポとチビ」「ガリとぽっちゃり」「眼鏡と眼鏡なし」「平凡と派手」など、対照的な見た目の芸人が多かった。今でこそこの定義は崩れつつあるが、当時はそれがお笑いの定義みたいなものだった。この定義に当てはめると「ボケタイプ」は顔つきがのんびりとした平凡なタイプだ。旦那はどう考えても真逆である。

現代のお笑い芸人はネタも見た目も斬新が売りだ。だから、旦那が今、若者でお笑い芸人を目指していたら「ツッコミタイプの顔をしたボケタイプ」というギャップを売りにできたのかもしれない。

当時、旦那が気になっていたことがもうひとつある。それはしゃべりだ。旦那は広島県の出身である。私は神奈川県出身なので、方言が殆どない。私には広島弁が通じないので旦那も普段は標準語で喋っている。しかし、同郷の友達や親と喋る時はやはり方言が出るのだという。

彼はその広島弁でネタをやろうと考え、そのアイデアを相方や仲間に訴えた。しかし、誰もうんとは言わなかった。現在のお笑い界では方言でネタを披露する芸人は珍しくない。広島弁に近いコンビといえば、千鳥やアンガールズだろうか。しかし、当時は関西弁はともかく、他の地域の方言でネタをやる芸人は殆どいなかった。当然、誰にも理解してもらえなかった。だから旦那は、同郷で方言ネタを披露している彼らを見ると必ずこう言うのだ。

「あいつらよりも先に俺がやろうとしてたんだから!」

数十年経った今でも悔しさを滲ませているのだった。旦那は語っている。

「俺が当時やろうとしていたことを全部、今の芸人はやってる。俺は時代が違った。早すぎたのかもしれない」

物事の流行りというのはいつどうやって巡ってくるのかは誰にも分からない。旦那のように、例え斬新なアイデアを思いついたところでそれがその時に世の中に受け入れられるとは限らないのだ。「時代の流れ」「流行り」というのはとても不思議なものである。

その後、結局、相方が見つからなかった旦那はプロのお笑い芸人になることを諦めた。私が「ピン芸人になることは考えなかったの?」と聞くと、こう返ってきた。

「一人でネタをやってる自分を客観的に見た時に凄い空しくなるじゃん。それが凄く嫌だった」

この答えから分かることがある。彼にはやはり「ツッコミタイプ」の人間が必要だということだ。自分のボケを拾ってくれ、引き立ててくれる。自分が盛り上げた場を更に和ませてくれる。そんな相方が。

その相方の役割をしているのが現在は嫁である私なのかもしれない。正月に実家に遊びに行った時、私と旦那のやり取りを見ていた母や妹に「夫婦漫才かよ」と、ツッコミを入れられたのだ。

お笑い芸人を目指していた旦那が私のことを「ツッコミタイプ」の相方だと認めてくれているのかどうかは分からない。しかし私は今日も、旦那のしょうもない下ネタ系ボケに全力でツッコミを入れているのである。


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