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ありがとうの花束。

このnoteは主にお料理や食の事を書いているのですが、今日はちょっと離れて、昔話を交えながら。


「第2の人生のスタート」と書いた年賀状をいただきました。
会社員時代にお世話になったJさんからでした。

メーカーに就職し、配属されたのは広報室。20名ほどのこじんまりした所帯、若手社員のリーダーが当時副主任だったJさん。

小柄でスリムだけれどエネルギッシュな女性。
情が深くて、面倒見が良くて、頼まれると断れなくて、つい面倒なことも引き受けちゃう。
ご結婚されていたけれど、残業も厭わず、遅くまでお仕事されていました。
かといってまじめ一辺倒と言うわけでもなく、おしゃれで、センスがよくって、ノリもよくって、歌も上手くて。
お花が好きで、宝塚が大好きで。
直属の先輩ではなかったのですが、あれやこれやと面倒をみていただきました。

部内は、商品のPRをする社外広報と、社内報を担当する社内広報、そして海外広報の3つに分かれていて、J さんは社外、私は海外グループ。みんなそれぞれの仕事以外に、広報室全体の仕事もあって、その一つが朝の新聞切り。

確か8時半始業だったと思いますが、1週間交代で半数が7時には出勤して、全国紙と地方紙と業界紙を分担して目を通し、自社のニュース記事や業界の記事を切り抜いて、紙に貼り付け、それをコピーして本社にいる役員に8時までに届ける、というオシゴトがありました。
これがなかなか大変で。
新製品をリリースした時や記者発表の翌日はてんてこ舞い。大量の切り貼り、もったいないと言われるので、両面コピーにしなければならず、そんな時に限ってコピー機の調子が悪い、なんてことも。
時間ギリギリな時のドキドキハラハラ感、まるで運動会のような朝。

今から思うと、なんてアナログなのでしょうねえ。
でも、そんなアナログな中で、さらにアナログだったのはボスである室長でした。

入社当時はパソコンがまだ部署に2台ぐらいしかなくて、みんなで共有していました。(2年後にはひとり1台になっていたような)
文書作成はワープロが主体。(ワープロがわからない人もいるかも・汗)
もちろんメールはまだまだ一般的でなく、先方とのやりとりは電話やファックスが主体でした。

室長はパソコンはもちろん、ワープロもご使用になりません。鉛筆なめなめ原稿用紙に文書を書く。完成したら「頼む!」とその場にいる人に原稿を振り分けて、みんな自分の仕事を脇に置いて、最優先でワープロで清書。
それを読んだ室長が修正すると、また清書やり直し。ご本人がキーボードで作文すれば簡単にコピペで対応できますが、まさに「清書」でしかなかったワープロ(笑)
当時、室長は50代後半だったはずですが、今じゃ考えられないですよね。

こんな室長関連業務やプレスリリースのセッティングや大きな発表の前などは、社外・社内・海外関わらず、若手みんなで力を合わせて乗り切っていましたが、そういう時に中心になってくれるのがJさんでした。

室長はじめ部課長のオジサマ達と若手の間に立ってくださるのも、Jさん。

海外グループは配属当時は課長と3年上の先輩と私だったのだけれど、先輩の異動は決まっていて、しばらくするとふたりきりに。
この課長、いわゆる仕事人間で、人付き合いがあまり上手じゃない方でした。ちょっと皮肉屋さんで、今で言うところのパワハラ気味な……。
一番先に出社して最後に帰るのを良しとされていて、朝行くと、私のデスクにその日やるべき仕事が山積みになっていて、その一つ一つにポストイットで指示がついているのです。
隣にいるのに基本的に話さない(苦笑)
背を丸めてすごい勢いでキーボードを叩いていて、話しかけるなオーラがむんむん。質問したくてもタイミングが難しくて。
そしてこのポストイットも独特で、私の旧姓はローマ字で7文字だったのですがFED と記されておりました。最初何かわからなかったんですけど、羽田空港をHNDって書くみたいな。

ちゃんと仕事しなければ、この人に切り捨てられるという恐怖もあり、しんどーい!と悲鳴をあげたくなる時も。Jさんによく話を聞いてもらいました。
そんな時、「○○ちゃん(課長)は本当に困った人よね〜。まあ不器用でかわいいとも思うけど」と笑い、後で課長に軽くジャブを打ってくれていました。
今なら、かわいいとおっしゃる気持ちも理解できるけれど、その当時は無理でした(笑)
でも仕事の基本を教えてくれた課長には感謝しています。ちょっと変化球だったけれど、課長なりの部下に対する愛情だったのでしょう。

Jさんには、仕事はもちろんのこと、プライベートでも仲良くしていただいて、仕事帰りに食事をしたり、休日に一緒に出かけたり、家に泊めていただいたり。
宝塚にも連れて行っていただきました(笑)
仕事は忙しかったけれど、オンもオフも充実していて濃い時間だったと思えるのは、同じ部署にJさんという素敵な先輩がいたことが大きいのです。

会社員時代に結婚したのですが、当時夫はまだ学生で貯金もなく、簡単でいいよねと親族だけのこじんまりした式を氏神様の神社で挙げたのですが、なんとJさんと弟分のOさんが、会社の備品のカメラとビデオ持参で(いいのかしら?)撮影に駆けつけてくれました。神社側にも交渉してくださったようで、結婚式の時にしか入れない場所も撮影してくれて。
披露宴も家族だけだったのですが、J さんがお知り合いのお店を貸し切って二次会を開催してくれました。
ブーケとブートニアはJさんがお庭のミモザを入れて作ってくれました。ケーキは同期のTちゃんの手作り。
会社の人や友人にも声をかけてくれて、思いがけないサプライズパーティに。とっても嬉しくありがたかった。

会社を辞めて料理の道に進むと決めた時には、餞けに立派な「食材図鑑」とお手紙を贈ってくださって。今も大切に使っています。

その後も実家が近いことから、お正月の帰省時には毎年のようにお会いして、ご自宅でご夫婦でもてなしてくださったり。
大阪での料理教室にご参加下さったり。
会社にいた期間よりもその後のほうがずっと長いおつきあいになりました。

そんなJさんが定年を迎えられたのです。
例年なら直接お祝いもできるのに、今はそれが叶わない。
何か贈り物を、と考えた時に、お花だ、と。

Jさんのお好みを考えて向かったお花屋さんは、ブーケは5日前の注文になるという。その場で花束を作ってもらうことは叶わず、色や雰囲気や入れて欲しい花を伝えてお任せすることに。

6日後、Jさんからお礼と一緒にブーケの写真が送られてきました。

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くすんだようなピンク、野の花のような風情、できればラナンキュラスを入れて欲しいとお願いしたのですが、イメージにぴったり。

Jさんもとても喜んでくださって。
その後、ブーケをといてアレンジも楽しんでくださったようで、数日後、その写真を送ってくださいました。

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蕾だったアネモネ、きれいに咲いたようです。

38年間、いろんなことがあったことでしょう。
業績が悪くなり早期退職で大勢の人が辞めていった時もありました。
Jさんご自身も辞めようと思ったことは何度もあると。
女性が企業で働くこと。
きっとJさんの入社当時と比べると、ずっと働きやすくなったとは思いますが、それでも大変なことは多かったはずです。
同期で定年まで勤められた女性がどれだけいらっしゃるのか?
きっと数えるほどなんじゃないかしら。
私などは早々に20代で退職してしまいましたから、本当に尊敬しかありません。

今後は週3回、専門社員として広報を担当されるとのこと。
その他の時間は、お母様のケア、趣味のガーデニングや観劇や建築探訪に費やしたいと。
やっと好きなことできますね!
自由に移動できるようになったら、会いに行って、思う存分おしゃべりしたいと思っています。
Jさんの第2の人生が、健やかで楽しく幸せに満ちたものになりますように、と心から願っています。

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