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美しい夏、そして命は続く

コロナ以前のある年のこと、夏休みを利用して帰省していた小さな姪と甥を連れて地方の温泉に出かけた。ちょうどそのとき、少女のひと夏の成長を描いたパヴェーゼの「美しい夏」を再読していた私は、宿題をきちんと済ましたら遊びへ連れて行ってやると口約束し、おねだりをいなしていたが、8月31日までの日記を予知能力で書きつけて「できた!」と言ってはどこか連れてけと2人に羽交い絞めにされた挙句、いよいよ観念して父の伝手を頼って急遽宿を取り、しぶしぶ温泉に出かけたのだった。

折しも台風直撃で恨めしく思ったが、通り過ぎたあとはカラッと青空が晴れ渡り、海の水平線に小さな折り紙が止まっているかにみえるヨットの白い帆は、息をひそめるようにいつまでもたゆたっているように見え、わたしたち3人は砂浜で海を眺めるだけで一向に飽きることなく何時間も過ごしていた。いつにない光輝く夏の風景だった。

その晩、地元の川で灯篭流しがあるとのこと、嬉々として浴衣を召した2人の手を引いてその催しに向かった。灯をともした灯篭は、昼間に見た白い三角のマストとは対照的に、物言わず静謐な光を讃えていた。なんと美しいのだろう。私はしばし川面に揺らめく小さな灯篭を眺め、言葉なきまま佇んでいた。

これを不思議に思ったのか、「なんで川に流すの?」と2人は訊ねる。思わず答えに戸惑ったが、亡魂や弔いについて話す代わりに私はこんな話をした。

「いいかい。命は繰り返されるんだ。きみたちのパパやママのもっとパパやママたちから命は大切に伝わってきたんだ。これからはきみたちが誰かにそっと伝える番さ。だから自分のことも友達のことも、先生もママも大切にしなきゃな」

きょとんとして合点がいかない様子だったが、2人は私の両脇に座り込み、黙りこくったまま送り火をじっと見送っていた。命は繰り返される。命を運ぶ川の流れは途切れることなくどこまでも続いていくようだった。

あの美しい夏から数年経った現在、彼女らはもう私とはあまり口を利かない。いまもあの夏の日の光を覚えているだろうか。それともゲームに夢中で忘れてしまっているだろうか。それでも夏が来るたびに、私はこうしてあの夏の日を思い出す。

繰り返される命。今年もまた暑い夏がやってくる。

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