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遠くつながった「遠い朝の本たち」

タブッキやカルヴィーノなど、とりわけイタリア文学の素晴らしい翻訳で知られた須賀敦子さん、一方では瑞々しいエッセーを数多く書いている。そのうちのひとつ「遠い朝の本たち」。平明で親しみのある文章は軽快妙味、まったき嘘のない言葉に感じられる。誰にも書けるようでいて、書くにはもっとも難しい文章かもしれない。

「遠い朝」とは、自身の少女時代のことを指す大変詩的な表現だが、少女から大人へ成長する道すがらに出会ったさまざまな本との関係が綴られ、それらの本たちが人を招き、またときに人との別れの道標として描かれている。そもそも読書など好きでやっているとはいえ「孤独のなぐさみ」ぐらいにしか思えなかった自分には、本と人とのそうしたつながりがとても羨ましかった。

ここにひとつ。作家が10歳の頃、亡き父から贈られた児童向けの「平家物語」についての件。日本画家の小村雪岱せったいのきわめて繊細優美な挿絵のついた、京都学派西田哲学門下の土田杏村きょうそんによるものだ。作家はここで、有名なあの大原御幸ごこうに子供ながらに感動し、その哀切が終生離れなかったという。いや、実に筋金入りの平家ファンの私もまた、古書店で手に入れたまったく同じ「平家」を読んでいた。清冽な悲しみの世界ともいうべき寂れた大原寂光院に響いた、奇瑞きずいの建礼門院の声なき声をこの書ではっきりと聞いた私も、打ち震えたひとりである。

遠くて手の届かなかった彼方の人と、期せずしてふとつながったような気がした。


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