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妊婦×子連れのマイノリティ側に来てみて触れたのは優しさのサクマドロップスだった🍬

妊娠9ヶ月、ベビーカーで1歳半の息子を連れて電車に乗っていたら、
「お腹も大きいんだし、座らせてもらったら??」
と電車の中で声をかけてくれたおばさまがいた。
(おばさま自身は立っていて、優先席にどっしり座っているサラリーマンに聞こえるように明らかに大きな声で声をかけてくれた)

その時、『あ、そういえば私って今、妊婦×子連れという二重マイノリティなんだ!この優先席のマークの5分の2を1人で制覇してるんだ!』と思い出した。


よく、育休中、社会や大人と断絶されて孤独感を感じるという言葉を聞く。
私はというと…そういう日もある。し、そうでない日もある。というのが正直なところだ。

ある日のお昼どきの品川駅、ベビーカーの息子がご飯を食べたそうにしてるのに、ことごとく、ランチタイムのお店で「ベビーカーでは入れませんので」と冷たくあしらわれた。
息子の様子を見ながら焦る気持ちとご飯にさえありつけない心細さと断られ続ける状況が、だんだんいつも通り回る社会と自分との間の氷が割れて取り残されていくような孤独感を感じさせた。


断られる私たちを、お店に並んでる人達が冷たい目で見てる気がして、”そりゃそうでしょ、こんな時間にこんな所に子連れでこないでよ”と心の声を発してるような気がして、思わず「すいません」と口から出て、そそくさと店から立ち去った。

でもその数秒後には、子連れでどこに行ったって私達の自由なはずなのに!と、「すいません」なんて言ってしまった自分に腹が立ってきて、「なにあれ、感じ悪っ!うざっ!」とか小さく声に出して暴言を吐いていた。
(こういう時、自分って弱気なのか強気なのかわからないなあと思う。まあ人間の心ってそんな括れないもんだよねとも思う)

そんなことを思いながらランチ難民として駆け込んだお店のいかついお兄さんが、
ベビーカーに気を使ってドアを開けてくれて、「ここ、広い席なのでどうぞ!」と案内してくれて、持ち込んだ息子の離乳食セットを見て「ゴミが出たらそのまま置いておいてくださいね」と声をかけてくれた。
私も想定してなかったくらいのテキパキした先回りの優しさに触れて心がおだやかになり、暴言を吐いたりしていた自分を反省した。

妊婦×子連れという、言ったら社会の中でのマイノリティ側に立たされて、歩くのも遅くなり体調も優れず、移動するにもエレベーターを常に探していて、そんな状況は、いきなり「あなたは弱者だ」と突きつけられるような不自由や孤独感があるのは事実なんだけど、
それと同時に人の十人十色の優しさに触れられたのも事実だった。

優先席にどっしり構えるサラリーマンに聞こえるように声をかけてくれたおばさまも、てきぱき先読みの心遣いをしてくれたいかついお兄さんも、優しさの色が少しずつ違っていた。
なんだかこの優しさ達をアメ玉にしたらサクマドロップスみたいにカラフルになるなあ〜なんて思ったりして。
(絵がうまかったら、そんな絵を描いてみたいけど私は致命的に絵が下手なので自粛します笑)


起きる事も出会う人も表と裏/光と影があって、自分の気持ち次第でどうしたって裏とか影しか見えない時もあるけど、
最後51:49でも、シーソーゲームで表とか光に目を向けられるようなマインドでいられればそれはすごく幸せだなあと思う。
そして、そうやって目を向けられるのはきっと周りにいてくれる夫や親や友達のおかげだなあと思う。
私をマイノリティの孤独に突き放さないでくれてありがとうと思う。

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