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複雑な世の中で成立した冒険活劇「坊っちゃん」

 夏目漱石の「坊っちゃん」は、漱石作品にしては珍しいくらいに、鮮やかなストーリーの小説です。

 坊っちゃんは四国の中学校に先生として赴任するんですが、そこの生徒たちとうまくいかず、悪戦苦闘するんですね。
 そんな中、坊っちゃんに親切そうに近づいてくるのが、赤シャツという東大出の教頭先生なんです。
 ただこの人は紳士に見えるけれども、実は悪だくみをめぐらす策士なんですね。それで、直情的な坊っちゃんは反発します。

 坊っちゃんが自分の味方にならないと見るや、赤シャツは強大な敵として坊っちゃんの前に立ちはだかります。
 言葉ではまったく歯が立たず、坊っちゃんは敗退します。
 ゲームにたとえるなら、「魔王との最初の戦いで敗れた勇者」みたいなシーンです。

負けたあとの、坊っちゃんの独白

 でもこのとき負けたあとの、坊っちゃんの独白が、心を打つのです。
「表向きは赤シャツのほうが重々もっともだが」
「議論のいい人が善人とはきまらない。やり込められるほうが悪人とはかぎらない」
「人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない」

 以前にも書きましたけれども、若いころの私は、勉強だけはできても、人に愛されるということのない、さびしい人間でした。
 坊っちゃんのこの言葉の本当の意味が、あのころの自分に正しく理解できていたなら、もう少し、誰かに好かれていたのかもしれません。
 本当に、正しさで人の心は動かないのですよね。

悪を倒す冒険活劇ではあるけれども

 最終的に坊っちゃんは、仲間の山嵐とパーティを組んで赤シャツを倒し、四国の地を去ります。
 このシーンも、魔王を倒してダンジョンを去る勇者の姿に、どことなく重なって見えます。
「坊っちゃん」はエンターテインメントのあふれる現代でもなお楽しめる、痛快な冒険活劇といえるかと思います。

 だけど作者はこの小説を、100パーセント純粋な冒険活劇、で終わりにはしなかったんですね。
 坊っちゃんも山嵐も、腕力では勝ったけれども、結局、職を失ったわけです。
 赤シャツは、邪魔者がいなくなった中学校で、いまでも何か悪だくみをしているかもしれません。
 坊っちゃんは自分の正義を貫いて悪に打ち勝ったのですが、それで悪が滅びたわけではなく、かえって坊っちゃんのほうが損をした。
 痛快なお話ではありますけれど、最後にほんの少し哀愁が漂う、そういう小説になっています。

 正義が必ず勝つとは限らない、この複雑な世の中を舞台としながら、それでもギリギリの絶妙なバランスで冒険活劇として成立している。
 そんな壮大なロマンのようなものを、私はこの小説に感じるのです。

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