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自分よりも強い敵と戦う

 若いころ「ヤンチャしてた」ような人が、「自分よりも強い奴としか戦わなかった」ことを武勇伝みたいに語っていたりするのを、聞いたことがあります。
 世の中には、私のような者とは対照的に、日の当たる人生を送ってきたような人もいるのですよね。
 日の当たる場所でやりたいことができて、武勇伝までこしらえて、うらやましい限りです。
 でもですね、「自分よりも強い敵と戦う」ことは、実は決して武勇伝にはなり得ないことを、私は知っています。

いじめの話の続きです

 小学校でいじめられた私は、中学受験という「裏技」を使って、私立に逃げたのでした。
 でも結局、逃げた先の私立中学校でも、やっぱりいじめられたんですね。

 悔しいですが、これはもう、いじめられた私のほうに原因があった、というしかないように思います。
 運動音痴なのに入った運動部で、徹底的にいじめ抜かれたというのは、上に挙げた前回の記事に書いた通りでした。

 でも、このとき実は、私はただやられっぱなしではありませんでした。
 私は徹底的にいじめられ、もう限界まで追いつめられていたんです。
 小学校でもいじめられ、逃げた先の私立でもいじめられて、もうどこにも逃げ場がないと悟った私は、いじめの「主犯格」の男めがけて、自らの拳で反撃を試みたのでした。

自分の尊厳を守るための戦い

 でも、現実は残酷でした。
 私は敵の右ストレートをまともに食らって吹っ飛ばされ、圧倒的な腕力差で叩き伏せられました。
 運動部の連中にはとうていかなわなかった。私はどこまでもみじめな、ただの負け犬でした。

 いま思うと、勝てるはずがなかったろうとは思います。
 まわりの中学生たちはみんな体が発育して大きくなっていたのに、私はなぜか成長が遅くて、背も低く、声も高いままでした。
 喧嘩慣れしていない私は、無謀にも自分よりも強い相手に向かっていったんです。
「窮鼠、猫を噛もうとして、やっぱり食べられる」とでも言ったらいいのか、たぶんそんな感じでした。

 でも、このできごとは、私が自分の尊厳を守るために戦った、初めての経験でした。
 小さいころから臆病で、嘘をついたり、逃げたりばかりだった私も、ようやく男の子らしい勇気を持てるようになったのだと思います。

力をふるうということは

 同時に私は、あるひとつのことを学びました。
「力をふるうということは、さらに強い力で叩き潰されるリスクを負うということ」

 自分より強い敵と戦っても、決して武勇伝にはなりません。戦闘力の差で一方的にやられるだけです。
 まんがのように、強敵との戦闘中に突然「金髪になって覚醒」したりはしないわけです。

 というわけで、若いころの喧嘩を武勇伝みたいに語る人というのは、つまり「自分より弱い奴とばかり戦っていた」から武勇伝になるわけですね。
「自分よりも強い奴としか戦わなかった」なんていう話は、どうも眉唾だなあと思うようになるのです。
 こんなことも、私は自分の経験を通して、学んでいくようになりました。

 運動部のいじめの件は、その後、あっけなく解決しました。
 腕力でもかなわないと思い知った私は、ついに部活に行かれなくなってしまったんです。
 学校にはふつうに通っていましたけれども、「部活限定で不登校」になったのです。
 私をいじめたくてたまらない連中が、私の胸ぐらをつかんでは「てめえ、なに部活さぼってんだよ!」と激しく恫喝してきましたが、もう私は二度と部活には行きませんでした。
 そうして私は、ようやくいじめから解放されたのでした。

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