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愛着障害を自覚した先で途方にくれる

この本を読み終わって1ヶ月。

いまだに私の頭のなかは落ち着きをみせない。Twitterでもnoteでも何を書いたら良いかわからなくなり、すっかり寡黙になった。

私の「書きたい」モチベーションは、愛着障害だった。私の大切にしてきた過去の感情だって、ほとんどが愛着障害ゆえのものだった。この背景から離れたら、私に残るものはほとんどないような気がして、途方にくれている。

愛着障害とは、幼少期に養育者(主に母親)との愛着関係が十分に形成できないことで生じる心の問題。絶対的な安心感を欠いているため、ひとりで行動することに不安を感じる。他人の評価に極端に依存し、不安を取り除いてくれるなにか、他者や仕事や権力・名誉に固執する。無力感や無意味感が心の根底にあるため、他者に求められ感謝されたがる。また、愛情飢餓感の強さから、より求められ感謝され称賛されるようなことをしていなければ安心できない。趣味を楽しむよりも、その時間でお金や名誉のためになることをしようとする。

これが本当に私そのもの。人に恐怖心を抱きやすい、不安に苛まれやすいといった自覚している短所だけでなく、あらゆるモチベーションの源がここに集約できてしまう。社会人になってからも資格取得などのスキルアップに努めたこと、部署で役に立ちたいと思いつめていたこと、そして文章を書くことだって。

「特別」にならなければ、という焦りと共に生きてきた。私にとって書くことは、人生のなかで一番褒められてきたこと。もしも本を出版することができたなら、お金を出して読んでくれる人ができたなら、ただの会社員ではない「特別な存在」になれると思った。もっと満足のいく居場所を得られると思った。だから書くことをやめたくなかった。

それと同時に「ありのままの自分を褒めそやしてほしい」という願望も根強かった。感じたまま、経験したままのことを書いて、前向きな反応をいただけることは、その子どもっぽい願望を満たすのに大いに役立ってきた。

どちらも愛着障害ゆえのモチベーション。安心感の欠如と不安や焦りに裏打ちされた私の思考回路。

ここにとどまっていることもできる。ビジネスで大成する経営者は大きなコンプレックスを持っていることが多く、それを分析して今後の展開を予想する専門家すらいるらしい。つまり、愛着障害をバネに社会的な成功を納めている人はきっとたくさんいる。だけど、私はそれを望まない。安心感を育んで、不安や焦りにハンドルを握らせずに、日々を歩いていきたい。それは断言できる。

この本に出会って1ヶ月。アイデンティティを探して途方にくれる日々のなかで、じわりと認識が変わっていった。誰からみても有能な会社員にならなくても、大丈夫なのだと腑に落ちた。人気作家にならなくても、幸せには関係ないのだと納得した。

望むものは、安心感と彩りに満ちた日々。
衣食住を丁寧に、生活のひとこまひとこまに実感をもって、心のこもったやりとりを大切にする日常。

そんな日々にはもう、向上心は必要ないのだろうか。
書くことも必要ないのだろうか。

しばらく悩んでいたけれど、答えは「否」。
安心感と彩りに満ちた日々に居続けようと思うなら、心の置き方や他の人との関わり方、生活への向き合い方等々、もっと深く知って試行錯誤できることがある。「今ここに生きる」ことは、妥協や惰性とは別物。

書くことだって、やっぱり私には必要。褒められるため、「特別な自分」になるためでなくても、真っ白な紙にゼロから言葉を積み上げることは、とびきりワクワクできる時間だ。それにこんな深い心の中の話であっても、共有したくなるのが人間の本能。でも、誰彼かまわず話す気になんて毛頭なれないから、共鳴してくれる人を求めてネットの海を頼る。


過去の感情や思考に、愛着障害という意味付けをしたら、すべてを覆い尽くすぐらい強力だった。でも、そこに含まれない感情だって確実にあるはずだし、もっといえば愛着障害的な心の癖も捨てなければならないと決まっているわけではない。

愛着障害を自覚した向こう側。ときに途方にくれながら、自分の心を確かめる時間がつづいている。


この記事を書いてから1年半ほど経ち、愛着障害を含めた自分の人生初期の課題にだいぶ決着をつけられてきたと感じています。

その過程を綴ったエッセイ本を発売しました。よろしければご覧ください。
(Kindle Unlimited読み放題対象です)


最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。