【短編小説】石狩あいロード 2/4【Illustration by Koji】
短編小説「石狩あいロード」の第2話です。
この短編小説はKojiさんとのコラボ企画の作品です。
幸野つみが小説を書き、それに対してKojiさんにイラストを描いていただきました。
全4話。第2話は約5000字。全体で約20000字。
それでは第2話をお楽しみください。
物語が進みます。二人について、少しずつ見えてきます。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
石狩あいロード 第2話
小説:幸野つみ × イラスト:Koji
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「名前、聞いてなかったね」
ヘルメットを外すと髪の中まで潮風が通り抜けて汗がすっと冷えるのを感じた。
北海道では八月の後半になると「夏」はどんどん消えていく。今年は蒸し暑い日も多かったが、海沿いの街でさえ空気はすっかり乾き、朝夕は涼しいと感じるようにさえなってきた。
とはいえ、昼になれば気温は上がる。息絶えそうになりながらも「夏」は、夜に鳴く虫達のように「まだ死にたくない」と往生際悪く叫び出す。
彼女はライダースジャケットを脱いで、バイクに掛けた。私の服装は薄手のブラウスにスカートなので風を受けて走っていれば十分に涼しかったが、しっかりと防備している彼女は相当暑かったのではないだろうか。ジャケットを脱ぐと胸元の開いた白いTシャツだったが、首筋から汗が伝っていた。
「……ルナ」
私が名前を答えると、彼女の顔がパッと明るくなった。
「ルナ! いい名前だね」
「……」
私は何も言うことができず、彼女の胸元にあるホクロをぼんやり見つめていた。
「あ、アタシの名前も言わなきゃね。それじゃあアタシも下の名前で呼んで。ハルコって言うんだ。よろしく」
彼女、ハルコは、そう言ってレジ袋を差し出してきた。先程コンビニで購入したものだ。
二人を乗せたバイクは海沿いの田舎道を走り抜け、小樽市から札幌市へと一時だけ入り、すぐに石狩市へと出て、そしてしばらく進んだところでセイコーマートの駐車場へと進入した。店の中に入るなり、彼女はカゴを持ち「お昼にしよう。好きなもん入れて」と言った。私はぽかんとしていたが、彼女がどんどん店内を進んで飲み物などを選んでいくので慌ててうしろを追い掛けた。しばらく悩んだ後、ペットボトルの水とビタミンカステラを手に取った。すると彼女はそれらを私から取り上げカゴに投げ込んだ。彼女はもの珍しそうにカステラの橙と黒のパッケージを眺めた後、笑顔でそれをもう一つ棚から取ってきてカゴに入れた。そのままレジへと向かうので、私は焦って財布を出そうとしたが、彼女は「こう見えてもアタシちゃんと働いてるんだよ」と笑ってウェストポーチからお金を出し、会計を済ませてしまった。
「……お金……ありがとうございます」
私はコンビニでのことを思い出しながら、レジ袋を受け取って言った。赤の他人に奢ってもらうなんてことは初めてのことで、とても居心地が悪かった。
「んー? いいの、いいの。お金ないからヒッチハイクしてたんでしょ?」
そう言われて私は一瞬言葉に詰まった。レジ袋をガサガサ言わせて水と自分の分のカステラとを取り出し、残りをハルコに返しながら「そうです」と呟いた。
実際、遠出をする程のお金は持っていないことは確かだった。
私達は石狩川の河口にある公園に来ていた。国道沿いとはいえ市街地からは少し離れており、のどかな空気が漂っていた。川沿いの堤防に腰掛けると、目の前を流れる川の水面が夏の日差しを反射してギラギラ眩しかった。
「ルナはさ、今日はあれ? 夏休み最後の思い出作り?」
ハルコはカステラの包装を破りながら無邪気に質問を続けた。
私はまた答えに困り、彼女に続いてカステラの封を開け、低能なロボットのように「そうです」と繰り返した。
「そっか。じゃあ夏らしいことしなくちゃね。まずは海を見ながらランチだ」
「……海じゃなくて川だと思いますけど」
「海はすぐそこだし、海みたいに広いし、似たようなもんだって」
ハルコは「乾杯!」と歯切れよく声を出し、自分のカステラを私のカステラに軽く当て、楽しげに笑った。
私は彼女の天真爛漫な行動に驚いてしばしぼーっとしていたが、彼女がカステラにかぶり付いて「おお、うまいなこれ。ルナも早く食べなよ」と言うので、眼が覚めた瞬間のように瞬いた。カステラを持ちながらだが手を合わせて「いただきます」と唱える。彼女の方もそれが不思議だったのか私を見て目をぱちくりさせた。
「ねえ。ルナ」
ハルコはカステラを食べながらも話を続けた。
「今年は海来た?」
私はカステラをもそもそと咀嚼しながら、首を横に振った。
「そっかぁ。ルナもインドア派かぁ」
ルナも、と言うからには他にもインドア派な人が誰かいるのか。しかしそれは恐らくハルコのことではないのだろう。
「あの町に住んでるんでしょ? 小樽」
今度は首を縦に振る。
ハルコは「海のある町なのに、海に行っていないのか」とでも言いたいのだろうか。
私が生まれ育ち今も暮らしているのは、札幌に程近い港町、小樽。登下校の際には自然と海が視界に入るが、夏休み中はむしろ部屋に引き籠ることが多かったため、海を見る機会は普段より少なかった気がする。
「いい町だよね。アタシもあんな町住んでみたいな」
ハルコはレジ袋からペットボトルのジャスミン茶を取り出す。彼女がカステラを流し込むようにそれを飲んでいる間、カモメの鳴き声と水の音が二人の間を通り抜けた。
「アタシね」
彼女はペットボトルから口を離すと同時にそう切り出し、それから呼吸を整えて、続けた。
「フェリーであの町に着いたところだったの。長い船旅だったよ」
「フェリー?」
私は思わず聞き返した。
「そう。この子も一緒にね」
ハルコはうしろに止めてあるバイクを目で示す。
小樽は北海道の海の玄関口だ。各地からフェリーが到着する。しかし、実際にフェリーで小樽に来たという人と話すのは初めてだった。
たしかに彼女のバイクのナンバープレートには見慣れない地名が書かれていたが、本当に旅人なのだと改めて実感した。
「アタシの行先、行ってなかったね」
「……どこでもいい……」
「北海道一周だよ」
「え?」
思わず聞き返した。カステラが飛び出そうになって口を押さえる。ハルコはそれを見てまたバカにしたように笑った。
「ごめんごめん嘘だよ」
「はぁ?」
私は眉根を寄せる。
「北海道一周っていうのは嘘。
まぁ、北海道半周ってとこかな。ここからずうっと日本海側を走って最北端、稚内まで行って。今度はオホーツク海側をずうっと下ってくる。網走と知床を見たら、そこで海沿いは終わり。旭川と富良野に寄って、また小樽に戻ってくる。それを大体一週間で。ま、どれだけ観光できるかはわかんないけどね」
ハルコはこれからの旅路を思い浮かべてきらきらした目で語っていたが、私は彼女の発言に振り回されて頭がふらふらした。
北海道半周。
私もそれに付き合わされるのか。
乗せてもらっているのはこちらだが、私はハルコのことが怖くなった。生まれ育った街を離れて旅に出る、その実感が急に私の背中を雫のように伝い、真夏の真っ昼間だというのに寒気が襲った。
やっぱり、帰らせてもらおうか。今ならまだ間に合うかも。
しかし、そう思うと今度は今朝の激情が蘇って私の胸を蝕んだ。
だめだ。帰りたくない。いや、帰れない。
私は再び決心を固める。
だが、ハルコに付いていくにしても懸念されることがある。
「ハルコ……さん……」
「ん? あ、ハルコって呼び捨てでいいよ?」
「いえ。ハルコさん。あの」
私はカステラを持った手を一度膝に置き、反対の手で軽く口を拭って居住まいを正す。
「わ、私、北海道を巡るようなお金、持って、ない、です……」
声が震えてしまったが、最後まで言い切る。最後まで言い切るが、思わず私は俯いた。
「そりゃあそうだろうね」
しかしハルコは明るく即答して、私の肩に優しく手を置いた。
「お金ないってのはさっきも聞いたよ。だからヒッチハイクしてるんでしょ。わかってるって」
「でも、それじゃあ私、ハルコさんに申し訳ない、というか……」
「じゃあ体で払ってよ」
虫が鳴くのをやめたことで、ああ、虫が鳴いていたんだな、と気が付いた。
女子高生が家出をして、お金がないから見知らぬ人を頼り、そしてその身で恩を返す、というのは、考えられる話だった。
私は、肩に置かれた彼女の手を振り払うこともできず、体を強張らせた。カステラの包装がくしゃっと音を立てた。
「……ちょっと。冗談だって。笑ってよ」
ハルコはぱっと肩から手を放し、両手を上げて「降参だ」というポーズをする。
「いや、ごめんごめん。本気にした? 私、ちゃんとパートナーいるよ。男ね。ちょっと女々しい奴だけど」
またも彼女に弄ばれ、私はとうとう溜息を吐いた。
「……彼氏……さん。いるんですね……」
「そうそう。だからいつでも二人乗りできるようにヘルメットも二つあるって訳」
彼女はよくわからぬ手振りを交えて楽しげに語った。
「……一緒に旅行、しないんですか?」
他人の恋人とのことを深く聞いていいものか迷ったが、彼女は相変わらずの調子で笑い飛ばした。
「あいつ、インドア派だからね。パソコンいじってばっかり」
先程の会話に出てきた「インドア派」のことを思い出した。どうやらそれは彼氏のことだったようだ。
「……一緒に出掛けてくれないと、不満じゃないですか?」
気になってしまって口が勝手に疑問を吐き出す。
「んー、たしかに二人で出掛けるのも楽しいけどね。私は私で一人で旅するのが好きだし。彼には彼で画面と睨めっこする時間が必要だし。おかしい?」
彼女の回答は、今日の天気のようにカラっとしている。それはしかし私には、彼氏彼女というにはどうにも関係性が希薄なように思えた。私の視線はあっちの雲からこっちの雲へとふらふら漂った。
カステラを一口食んで、咀嚼する。
「……彼氏って、そんなもんですか」
「そんなもんが、案外大事なんだよ」
彼女は私より一足先にカステラを口に入れ終え、再びジャスミン茶で流し込んだ。
「やりたいことをやることを認めてくれる。やりたいことをやることを許してくれる。やりたいことをやってる自分を愛してくれる。彼は私の味方だよ」
彼女の言葉が私の心の最奥部に触れた。
心の奥まで響く言葉、それは本来素晴らしいもののはずである。が、塀を築いてドアを閉めて鍵を掛けて更に更に奥へと隠れたつもりが、いとも容易く他人に踏み込まれたような気色悪い感覚で、私は焦った。そして恥じた。苛付いた。嘆いた。今朝のように感情が溶け合ってごちゃ混ぜになった。
じりじりと日差しが攻撃的になってきた気がする。首筋に汗が滲んで気持ちが悪い。
残りのカステラを口に押し込む。水分が奪われる。吐き気が襲う。
「ちょっと、ルナ、大丈夫?」
大丈夫じゃない。
心の中で誰かが呟く。
「大丈夫です」
呑み込んで私は呟いた。
ハルコの視線が太陽光のようにまっすぐに突き刺さる。私はペットボトルに口を付けて天を仰ぎ、ハルコを見ないようにした。
「……ねえ、ルナの話も聞かせてよ」
手を合わせて、ごちそうさまでしたと唱える。
「別に。話すことなんてないです」
もう放っておいて欲しい。私のことを知らない他人だからこそ居心地が良かったのだ。これ以上私の心に踏み込んでこられたら堪らない。
「ルナはさ、なんで旅に出ようと思ったの?」
「……夏休み最後の思い出作りです。さっきそう言ったじゃないですか」
「わかった。あれだ。傷心旅行でしょ」
「ショウシン……?」
「彼氏にフラれたんでしょ」
ペットボトルの蓋をぎゅっと締める。
「それでアタシが彼氏の話をしたのが気に食わなかったんだ」
「……違います。彼氏なんていません」
堤防から立ち上がって裾を払う。
「あ、じゃあ告白してフラれちゃった? とか?」
「違います。……告白なんて……してません」
レジ袋にごみをまとめてリュックに突っ込む。
「ふーん……」
明らかに納得していない様子でこちらを見ていたが、彼女のペットボトルも取り上げてリュックサックに入れてしまうと、ようやく彼女も立ち上がった。
その時遠くから響いてきた音が雷鳴だったと気が付いたのは、再びバイクを発進させてしばらく経った後だった。
Illustration by Koji
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第3話に続きます。
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