mr.children「天頂バス」を聴きながら

 つめたい風が心地よく感じる夜はベランダに出てぼんやりと暗闇の向こうを眺めてみる。月が明るい夜は家々の影が群青色の景色のなかに黒く浮かび上がって月明かりに照らされた家々の屋根に白いひかりが差しているのが見える。家々の窓から漏れる灯りの向こうには様々な人生があって様々なドラマがあるんだろうなんていうことをぼんやりと思う。そして私はどんな物語を紡いでいるのだろう。
 時折自動車がテールライトの赤い光の筋を曳きながら走り去っていく。自動車のライトが照らす3秒後の未来すらも私達には分からないんだと思う。池の水面に月が浮かんで揺れている。雑木林からは物音ひとつしない。けもの達もみんな眠っているのだろうか。とても静かな夜。

 ベランダのフェンスにもたれながら、私はどんな物語を紡いでいるのだろうと考える。
 母親から折檻され父親からは放置されて育ち、その母親は私が十四才のときに亡くなった。そんな経験をまだきちんと整理しきれずにいてそのことがいまも私を苦しめている。
 母が亡くなり父親とふたりで暮らすようになってからは父親に反発して荒れた毎日をおくった。悲しみや寂しさにどうしようもなく押しつぶされてしまいそうな日は繁華街のベンチに腰かけて誰かが声を掛けてくれるのを待った。そんな風に自分のことを粗末に扱ってしまい自分自身をも傷つけた。そんな頃に出会った女の子に恋をして気が狂いそうになるぐらいに誰かを好きになることを知った。
 十代の終わりから自分の感情を制御出来なくなって大切な友人たちを無くしてしまった。それが病気のせいだと判明して、自分がなるだなんて想像もしていなかった精神障がい者になった。そして思い描いていた将来を失い喪失感と挫折感にもがき苦しむ日々。そんな様々なシーンを震える手で懸命に描きながらも人生で初めてきちんと好きになった男性と結婚して、私はいまここにいる。

 こうして振り返ってみるとなんだかずいぶん騒がしくも思えるけれど、それでも幸せな人生な気がする。そうだね、悪くないよねって思う。様々な場面のその時その時は辛いことばかりで死んでしまいたいって思ってばかりいたけど、たしかに事実としてそうなんだけれどもなんとか凌いできた。自分を痛めつけるようにして過ごした日々もその道を通り抜けなければ先に進めなかったんだから仕方がない。そもそも地図なんて持っていなかったしどの道を通れば上手くいくなんて分からなかった。

 私の精神障がい者人生はオンボロのバスに乗って行き先の分からない旅をしているようなものだろうと思う。しょっちゅう故障してばかりでいよいよ駄目かもしれないっていうことばかりだし、高速道路を速いスピードで快適に走っていくことも、混雑した道路を他の車を上手にかわしながらスイスイと走るなんてことも出来やしない。舗装されていなかったり穴が空いていて水たまりだらけなような道を身体を揺らして倒れそうになりながらゆっくり前にすすんでいく。
 時折り人が乗ってきて、そしてまた降りていく。ずっと乗っている人もいるし仲良くなる人もいる。気まずいまま降りていく人もいる。そんな中でいつの間にか私の隣に座ってくれた人がいる。そしてこの人と手を繋ぎ合いながら終点まで共に旅を続けていけたらと願う。
 雨の日も晴れの日もエアコンなんてついていない車内で暑さに焼かれて寒さに凍えながら旅を続けていく。山道を登って、登りきれずに止まってしまいそうなときは誰かが後ろから押してくれる。対向車に行き手を阻まれたり、崖から落ちそうになったり、落石に押しつぶされそうになりながら私の乗ったオンボロバスはそれでも走り続けていく。
 あとから高速道路を走ってきた綺麗なバスが次々に私のバスを追い越していく。羨ましいと思うこともあるけれど、一般道をゆっくり走らなければ見ることが出来ない景色だってきっとあるはずだと自分に言い聞かせてポンコツバスに揺られながら旅を続けていく。

 そうやって私はどこに向かって走り続けていくのだろう。そんなことは神様しか知らない。いやきっと神様にだって分からない。そして私はこのバスから降りることはないだろう。私の旅はきっと終点までつづく。
 街の夜景のはるか向こう、群青色の夜空の下に山の黒い影が連なっているのが見える。その向こうのさらに向こうまで行けば見えるはずの地平線の彼方まで行ってみたい。そしてそこから見える景色がみたい。

(申し訳ありませんがコメントは控えていただけたらと思います)
 


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