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おすすめ記事を見るようになって気づいたんですけど

 おすすめ記事をよく見るようになってから気になったことがある。それは人が書いた記事をクソ記事と呼んだり、書いた人をエセクリエーターと呼んだりして貶す人が二人や三人ではないということだ。しかもフォロワー数やスキの数が多いクリエーターがそういう人達の中にいたりする。
 どうやら一見して自己満足で書かれている記事やスキを貰えない記事は価値がない記事だということらしい。うーん、参ったと思った。その理屈でいくとわたしの記事はほぼすべてがクソ記事認定されてしまう。
 それは仕方がないこととして。わたしがそういう上から目線のクリエーターに対して引っかかるのはあまりの視野狭窄と想像力の無さである。想像力も持ち合わせていないのによくクリエーターを気取っていられるなと思う訳である。その人たちが言うところのクソ記事の中にも書き手の想いが込められていたりすることだってあると思うのである。 

 わたしは精神疾患のなかでも特に自分と同じ双極性障害の方々の記事をよく読む。そこに書かれていることには個人的なものが多い。辛さだとか不安だとか怒りだとかやるせなさだとか、そういった感情を文章に込めている方々が多いと感じる。
 そしてそういった記事は共感を呼んで多くのスキがついている場合もあるが、ほとんどの記事がスキはあまりついていない。つまりこういった記事は個人的なことしか書いていないしスキも少ないクソ記事認定されてしまうのだろう。

 でもクソとかエセ呼ばわりされる筋合いなんてあるのかなぁと思うのである。わたしも似たような思いで記事を書くことは多々ある。それらはスキを多く集めたいからではなくて、何万人という人達に読んでほしい訳でもない。それは自己治癒でありどうしようもない辛さを文字にぶつけているわけである。ならば適当にそこら辺の紙に書いたらいいとクソ記事なる言葉を平気で使うクリエーターは言うんだろう。見え過ぎるぐらいに目に見える。
 でもそういう心の叫びを書いているわたし達だってひとりでもいいからこの記事読んでよかったと思われたいのである。きみの気持ち分かるよと言われたいのである。少しでも誰かのためになるのならと思う訳である。だからそんなクソ記事と言われてしまうような記事にも需要と供給が成り立っているということを知ってもらえたら嬉しいです。
 
 そんなクソ記事とかエセクリエーターとかいう言葉を使うクリエーターの記事はだいたいインプットだのアウトプットだのという言葉を使って如何にしてスキがもらえる記事をつくるかとか効率よく書くみたいな空虚なことしか書いていなかったりする。あとはカネカネカネ。
 それにわざわざクソ記事とかエセクリエーターとかいうキツイ言葉を使う意味なんてあるのかな。でもまあ当然だろうと思う。だってそういう記事を書くクリエーターには人の心を想う想像力がないんだもん。仕方がないよね。

 こんな記事を書くのはこれで最後。今度からはそういう記事を見つけたら一般攻撃魔法・ゾルトラークで黙って粛々と始末することにしました。コメントに反論を書いてきた人もゾルトラーク。こんなクソ記事は無視してください。そうすればお互いにもやもやしないで済む。

以上

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