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【短編】だれもが彼女に夢中になる

 都会から伸びてきた線路が県境の大きな河にかかる鉄橋を渡り、それから古くて汚らしい競輪場を避けるようにしておおきく右に回り込んだところに小さな駅があった。
 その駅も競輪場とたいして変わらない古くて小さくてみすぼらしい駅だった。その駅の正面にはみすぼらしい商店街があって、その商店街のつきあたりにあるコンビニで彼女は働いていた。
 そこは時給は安いし店長も意地悪な人だったが、パートのおばさん達は親切にしてくれたし余り物の弁当をこっそりともらうこともできたので、彼女にとってはさほど居心地のわるい職場ではなかった。
 
 ある日、あたらしいアルバイトの子が入ってきた。あっと息をのむような美少女だった。おばさんのスタッフたちもおもわずうっとりとした。男子のスタッフたちもその子に対する好奇心を隠そうとしなかった。そして、その子を見るときの店長はいやらしい顔をしていた。
 その子は凪といった。彼女とは違う高校に通っていたが学年は同じだった。同い年だし共通の友人もいたので彼女と凪はすぐに打ち解けた。
 彼女と凪は同じシフトで働くことが多かった。一緒にいるとき彼女たちは他愛もない会話、たとえばクラスのかっこいい男子の話だとか、バラエティ番組の話だとかを夢中で喋った。ときどきわざと唐揚げを余分にあげてつまみ食いしたりもした。
 凪は誰もが目を見張るような美少女だったから、客の男たちも凪のことをじろじろと見たし、なかには話しかけてくる人もいた。それを凪は一切無視したし、そういうことにも慣れているのかうまくあしらう術を身につけていた。ただ、よくても人並みの容姿だった彼女のほうに声をかける客はおらず、だから彼女はそんな凪のことが羨ましくもあり、夢中になった。

 そんなある日、彼女は商品の補充をしようとして薄暗くて煙草臭いバックヤードに入ると、パートの岡本さんと村田さんが煙草を吸いながら喋っていた。机の上には履歴書を綴じてあるファイルが開いたまま置いてあった。
 ねえ斎藤さん、と岡本さんが彼女に話しかけた。「斎藤さんは凪さんと仲がいいんでしょ?あの子へんなこと言ったりしたりしてない?」どういうことか理解できずにいると、「最近ね、商品がなくなっていることがあるのよ。このまえはレジのお金がニ万円なくなっていたのよ」と村田さんがいった。 
 いや、わたしは何も知らないし、凪さんもへんなことするような人じゃないとおもいます。彼女はそう答えた。「でもね、凪さんは競輪場の近くの家の子だから。斎藤さんも気をつけなさいね」「あそこは質の悪いのがおおいのよ」そう村田さんが言った。
 岡本さんと村田さんは善意から心配してくれているのだろうと彼女は思った。でも彼女のこころにはざらざらとしたもので擦られたような感覚が残った。   

 それからしばらくして凪は彼女にも何も言わずに店を辞めた。クビになったらしいときいて彼女はショックをうけた。凪に連絡したかったけれど、連絡先を知らなかった。彼女と凪の縁は切れてしまった。
 しばらくして深夜のスタッフの坂本がレジのお金や商品をぬすんでいたことがわかった。坂本はクビになった。坂本といっしょにいた中田もクビになった。そして、彼女以外の誰もが凪に疑いの目をむけていたことも、凪がいたことすらも、そのころには彼女以外の誰もが忘れてしまっていた。

 彼女は高校を卒業して、海を渡った隣の県の大きな会社に就職した。そして寮に入ることになりその街を離れた。五年後に彼女は同僚と結婚して、それから二児の母になった。高校を卒業してから十五年が経っていた。そのころには競輪場は壊され、周辺も再開発されてマンションやスーパーマーケットが建っていた。

 凪はどうしているのだろうと彼女は思う。県境の河の上流にある温泉街のストリップ劇場で踊っているらしいといううわさを、みすぼらしい商店街で岡本さんとばったり会ったときに聞いた。たぶん嘘だろう。

 ピンク色のライトに照らされた舞台の上で、だれもが夢中になるうつくしい顔とスタイルの凪が肌をあらわにしていやらしいポーズをとっているところを想像した。客席では凪をナンパしようとしていたコンビニの客や店長がいやらしい顔で凪にみとれている。白い太ももがあらわになり、腰のスパンコールがゆれて煌めく。寝たきりの爺さんも立ち上がり、野良猫も腰をふる。そしてだれもが凪に夢中になる。

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