置かれた場所で咲こうと決めました

 令和六年二月二十日 火曜日 雨/曇り

 難易度が高い目標をかかげて、なりたい自分になるためにひたむきに努力を積み重ねていくことはとても大切なことだと思う。そういった努力を通すことでしか得られないことは確実にある。
 でも、やれる範疇でやれることを地道に一生懸命積み重ねていくのも大切なことで、なりたい自分になるために努力する生き方にくらべてレベルが下だとは思わない。価値観の違いでしかないし、得られるものの違いでしかない。

 わたしは双極性障害Ⅱ型という精神障碍者になって、出来ることが限定されてしまった。何より体調を崩しやすくなって、がむしゃらに働くことが出来なくなってしまった。

 ショックだった。バリバリ働いて、いわゆる自己実現みたいな生き方に憧れていたからだ。少しでもがむしゃらになって働いたら何日も休んでしまうようでは、社会で成功するのは難しくなってくる。いや、もっと効率よく働いて成果を上げる方法もあるのかもしれないけど。
 このことは自己肯定感を著しく下げることになった。働いて社会の中である程度のポジションを得るという価値観こそが素敵だと思っていたのに、将来の希望を丸ごと取り上げられてしまった気がした。そうなると自分の自己評価額もおのずと下がる。
 こうなったら違う目標を定めないといけないのだけれど、わたしがまずしたことは、落ち込んで、それから不貞腐れることだった。どうしたらいいのか分からなかったし、失った人生を諦められない気持ちも強かった。でも次第に変わっていった。

 結局は思い知らされたのだ。再就職をしても上手くいかない。また職場を変えても上手くいかないという連続だった。少しのストレスやプレッシャーで症状が悪くなるし、体力も落ちる。下手をすると寝込んでしまい何日間も休む。上司からの覚えも悪くなる一方だ。そういった上手くいかない経験が続くと、思考もだんだんとネガティブになるし、なにをやっても上手くいかなくなる。人間関係も悪化する。負のスパイラルである。
 そして体調を崩して精神科の病院に入院した。そして入院したことでいろいろとかんがえる時間ができた。もういい加減、変わらなければいけないと思った。
 
 受容という言葉がある。認めて受け入れるという意味だ。この受容するということが障碍者にとって、とても大切なことだ。わたしは自分が障碍者になったことも、諦めなければならないことがあるということも、受け入れていなかった。
 でも障碍者になったことを受け入れるのはとても難しいことで、なかなかそれが出来なくて苦しむ人が多い。それでも上手くいかないことばかりだったし、病状が悪化して入院したことで考える時間も出来た。やっと受け入れることができた。

 いままで望んでいたことは全て捨てて、違う生き方を探した。
 
 まずは障碍者の社会復帰を手助けしてくれる就労移行支援事業所というところに通った。そして障碍者であることが前提の障碍者雇用枠という採用条件で受け入れてくれる企業をさがして、入社することが出来た。
 待遇は非正規社員で、仕事内容は簡単な事務作業だ。給与は最低時給でしかない。おまけに体調を崩さないように週に四日、それも一日五時間しか働くことが出来ないから、収入は微々たるものだ。でも、わたしに必要なのはきちんと働くということと、誰かの役に立っているという実感を得ることだった。

 そして、やれる範疇でやれることを地道に一生懸命積み重ねていく、そういう生き方に変わった。難易度が高い目標をかかげて、なりたい自分になるためにひたむきに努力を積み重ねていく生き方にくらべると地味かもしれないけど、レベルが下だとは思わない。価値観の違いでしかないし、得られるものの違いでしかない。
 
 昔はつまらないと思っていた地味な仕事や生き方も、できることを一つひとつ一生懸命頑張ろうと思うようになったし、達成したときのよろこびを感じることも出来るようになった。
 些細にみえることから幸せを見つけようとする生き方があるってことを知ったし、そういう生き方の良さや大切さに気づくことが出来た。
 こころにも少しずつ余裕が出来てきた。人の優しさに気づけるようになった。その優しさに感謝して、報いたいと思えるようになった。むかしの自分は双極性障害のせいでもあったんだろうけど、ピリピリしていたし、向上心が強いのはいいけれど、なにかにつけて人を評価して選別したがる傾向があって、傲慢だった。
 
 そんなふうに自分は少しづつ変わっていっている。人生における大切なものが変わったら、いつの間にか自己肯定感も回復しつつある。

 わたしは精神障がい者という植木鉢に植えられた。それは望んだ鉢ではなかったけれど、その鉢の中で大輪ではなくても、綺麗な花を咲かせたい。

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