自分にないもの、ありすぎるもの
夫婦というのは年々、似てくるらしい、というのは嘘だったのでしょうか。
夫はきれい好き、私は片付け下手。
事実、結婚3年目頃までの夫婦喧嘩の激烈メインテーマは『なぜ片付けないのかvsなぜそんなに小さいことをぶつぶつ言うのか』であった。
8年目あたりで、雑然と整然についてお互いの折り合い地点を認識しはじめたためか、夫婦喧嘩自体が激減した。
夫は決めたことを継続する人、私は驚異の1.5日坊主。
毎年、今年は毎日腹筋10回する!だの、今年は毎日日記をつける!だの、さして高くもない目標を元旦に掲げては、数日もたないのが私。
その横で、黙々と毎日の20分瞑想やらストレッチやらの日課を積み上げていく夫。
夫は後先のことを考えぬくリスクマネジメントの達人、私は3歩先の新しい風景に心奪われる瞬間を生きる人。
夫は音楽はメロディで感じる派、私は歌詞に胸打たれる派。
夫はあまり他人におもねることをしない、私は人の機嫌をうかがってばかり。
夫は手先が不器用、私はまぁまぁ器用なほう。
でも実は、夫はバリバリの直感タイプ、私はギチギチの論理タイプ(指・腕を組む時の組み合わせが真逆)。
違う、違いすぎる。似ているところが無さ過ぎる。
でこぼこ、あべこべ、ちぐはぐ。
そういう濁点多めの夫婦。
だから、日々、なんだかんだ笑って暮らしている「今」は「奇跡」かもしれない。
自分にないものに惹かれ、自分にありすぎるものを半分引き受けてもらっている。
結婚して10年。
愛とは、自分の時間を相手に捧げることだよと教えてくれたのは、結婚式を執り行ってくれた牧師さん。
「愛」と呼べるほどに、成熟できていない自分が、ただただふがいないのだけれど。
夫から「愛をもらっている」という確証を得ているこの不条理さよ。
あと何光年、一緒にいられるかな。
でこぼこ、あべこべ、ちぐはぐしながらも、似ても似つかぬ私たちで歩いていけますように。
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