残骸

失敗の本質3

結論から言えば、真珠湾はやってはいけない作戦だったのだという見方があります。この作戦を指導した山本五十六海軍大将は、戦後、日本の軍人では珍しく好意的に受け止められ、半ば神格化されているといってもいいでしょう。が、正直な感想では、この人物の戦争や作戦に対する中途半端さ、不徹底さが、あの敗戦の最大の原因の一つだったとさえ言えるかもしれません。

:::

近衛首相から、「アメリカと戦争になったら、どのくらい闘えるか」と聞かれて、山本大将は「半年や1年は思う存分に暴れてみせますが、それ以降は保証できません」と答えた。事実である。ならばなぜ、その作戦計画がハワイを叩くだけという“中途半端で不徹底のきわみ”なのか。日本が負けた最大の理由は、この海軍の作戦計画の“お粗末さ”が原因だったとさえ言える。

そもそも、この作戦は奇蹟に近い博打だった。同じ博打なら、なにゆえ本気を出してハワイ攻略まで視野に入れなかったのか、あまりにも無責任で、不徹底な先制攻撃が、この「プロジェクト真珠湾」の実態だった。

アメリカは正常な理性を持っていたから、真珠湾攻撃の後、当然日本がハワイを攻略し、さらに米国本土へも上陸するはずだと信じていた。だからこそ、西海岸の防衛陣地構築と戦時動員を下令している。戦争とはそういうものだろう。相手に一発ビンタしただけで終わるという、日本海軍のグランドストラテジーの欠如ぶりには、正直、呆れるとしか言いようがない。

実際、このとき海軍きっての闘将と言われた(米軍が、最も恐れた日本海軍軍人の一人である)山口多聞は、ハワイ攻略を進言していた。これを誇大妄想というだろうか。ハワイ・真珠湾奇襲自体が誇大妄想と言われていたのである。同じ無謀な乾坤一擲の作戦なら、当然いくばくかでもリアリズムを追求すれば、ハワイ攻略という結論があって当たり前であろう。

政府がどうしても米国と開戦するという判断を下したのなら、海軍はあくまで真珠湾を叩かず、フィリピン攻略に集中すべきだったのだ。米海軍が総力を挙げてフィリピン奪還にやってくるのを、航空機動部隊と大和級戦艦の投入によって、これを壊滅させるのが筋だったのだ。

そうすれば丸腰のハワイは、労せずして攻略できるはずだった。あとは、ハワイを足掛かりに、一気に米国本土に全力で突入していく以外にない。短期決戦なら必敗必至のアメリカには、時間稼ぎなど通じないことを思い知らせる必要があったのだ。なにしろ、アメリカはできるだけ戦争を長引かせ、大工業生産力による数の勝負に持ち込もうとしていたのだから。

このほかにも、実はあの戦争はやりようがあった。ひたすら、対米戦争を回避するという判断である。なにゆえ、理不尽な「ハル・ノート」を突きつけられたとはいえ、対米開戦は不可避だと悲観的に思い込んだのか、未だに私は不思議でならない(確かに、アメリカによる対日先制空爆命令は開戦の半年も前に発令されてはいたが)。ルーズベルト大統領は、「戦争をしない」ということを公約にして大統領になった人物である。本人はドイツを潰したかったが、国民世論は圧倒的に欧州戦線への参戦には反対だった。ましてや、対日戦など想像もできない状態だったのだ。

つまり、日本が先に手を出さなければ、アメリカは日本と戦争する口実がない。それでは国民世論を説得することもできず、ひいてはドイツとの戦争も始めることができなかったはずだ。日本は別の選択肢としては、真珠湾もフィリピンも攻撃してはならなかった。アメリカ資産には指一本触れることなく、ひたすら石油を確保することだけを目的に、南方へ全力を傾けるべきだったのである。

オーストラリアにも手を出さず、東南アジアからインド圏だけを手中にすることで、アメリカの持久戦計画には十分に耐えられたはず。シンガポールを落とした直後に、海軍の総力を挙げてインド進攻を行なっていれば(英インド洋・太平洋艦隊はすでに全滅していた)、この段階であっという間にインドは陥落しただろう。後年のインパール作戦では、遅すぎる。

米英蘭豪州すべてを敵に回して戦争をし、太平洋全域からビルマまで、戦線が目一杯広がった時点で、しかもあの補給態勢と戦力である。確かに無謀・愚策のそしりを免れない。ところが、その実際の遅きに失したインパール作戦でも、現地軍(とくに第33師団)の悲壮なまでの突撃で、実は英軍の防衛拠点は崩壊寸前だったことが、戦後明かになっている。

もし初戦のシンガポール陥落直後に、全力でインド攻略に向かっていたとしたら(対米戦を回避していたなら、これは可能だった)、インドを失陥した英国はドイツに降伏していた可能性が高い。

この頃の英国は、北アフリカをドイツのロンメル機甲師団に席巻されていたので、中東からの石油はインド洋・喜望峰回りで調達していた。食料は、ドイツの連日の空襲と、Uボート(潜水艦)の無差別攻撃により、全土の備蓄が10日を切るところまで追い詰められていた。それほどインド攻略は、あの戦争の帰趨を握るキーポイントだった。インド洋アフリカ沖の制海権を完全に日本が抑えてしまえば、英国は日干し同然だった。だからこそ、ルーズベルトは開戦を急いでいたのである。とにかく、日本に先手を打たせて、参戦に消極的な国民を激高させようとしていたのである。英国を失ったら、アメリカは打つ手無しとなるからだ。

第二次大戦の序盤、フランスはあっという間にドイツに降伏している。日本のインド攻略で英国が降伏をしたら、アメリカは孤立無援である。しかも、真珠湾攻撃がなければ、ドイツにさえ参戦する「正当な」きっかけや口実を見つけられなかったアメリカである。いつまでたっても、切歯扼腕して日独の「世界征服」にただ手をこまねいているしかなかったことだろう。

しかも、インド攻略は、米英から蒋介石(重慶政権)に対して行なわれていた軍事物資の補給路(昆明ルート)を完全に遮断することになる。さしもの中華民国でさえ、ついには降伏あるいは講和に応じ、むしろ国内の共産党弾圧に専念させることに道を開けた可能性がある。

もうこうなると、破竹の勢いでソ連に侵攻していたドイツがある一方、こんどは全力で北進、東西からソ連を突き崩すという線が可能になってくる。どうだろうか。こうした考え方は、しょせん妄想だろうか。いや、十分に可能性のあるシナリオだったのだ。

少なくとも、中途半端な“ビンタ”程度で相手が「一瞬」ひるんでいる隙に、場当たり的な作戦で戦線を拡大・自滅するのに比べれば、遥かに賭ける価値のあるシナリオだったと言える。要するに、何を捨てて、何を取るのかというグランド・ストラテジーの欠如が、追い込まれたアメリカに捲土重来を許す結果になったのだ。

後講釈でいろいろ「ああすればよかったのではないか」と考えることは、確かにいくらでもできる。しょせん机上の空論でしかないからだ。

ざっと大きく分けても、三つの選択肢があった。

一つは、ハワイをしゃにむに攻略して、一気にアメリカ本土に総力戦を仕掛ける。相打ち覚悟の大博打である。短期決戦が原則だというのであれば、これしかなかったはずである。アメリカは、西海岸に上陸する日本軍と本土決戦を強いられる。英国はドイツに降伏を余儀なくされ、アメリカの欧州戦線への戦力投入は頓挫したはずである。ドイツは全力で対ソ戦に総力投入が可能となり、ドイツ単独でも、スターリン体制を崩壊させることは可能だったろう。

二つは、あるいは、あくまでアメリカとその勢力圏への攻撃をすべて回避し、徹底して英蘭植民地の占領を完遂する(インド攻略)。援蒋ルート遮断が完了するので、中国と即時講和。今度は全力で、独ソ戦に参戦し、背後からソ連強襲、これを体制崩壊させる。アメリカは、完全に孤立したはずだ。

三つは、実際に日本が行った、最終目標がどこだかまったく不明なまま、いたずらに戦線を四方八方に拡大して、持久戦に耐えられず、自滅する。持久戦に耐えるために南方へ進出したはずが、まったく裏目に出るという結果に陥ったのが、日本が実際に採った選択だった。

同じ、無謀なら、まだ一つ目と二つ目のように、はっきりしたグランドストラテジーで、博打を打ったほうがよほどマシだったということになりはしないだろうか。

確かに歴史には、if(もしも)はない。起こった事実だけが、真実だろう。しかし、「あれは無謀な戦争だった」だけで片付け、74年間も思考を停止させていたことは、リアリスティックな判断能力の育成を大いに阻害したと思っている。それが日本のその後の政治、経済、企業活動、ひいては個人の人生の選択にも悪影響を与えたことは間違いない。

つきつめてみると、日本が行って来た失敗の本質とは、アクションの前にすでに「思考停止」に陥り、悲観論の中で「やむをえない」という判断を下してしまうこと。

そして、すべてが終わった後も、「自責の念と後悔」だけに陥り、なぜこのような結果になったかを考えようともしない「思考停止」に陥ること。

後にも先にも、つねにこの日本人の致命的な失敗の本質は、ぎりぎりまで考え抜くというしぶとさが欠如していることだと、結論できるかもしれない。思考停止して、ことごとく「やむをえない」で結論づけるものだから、大事なところで大事なリスクを取れないのである。

周到に考え抜いた末にリスクを取るということができなければ、現状維持しかない。現状維持は、座して死を待つばかりである。そこで、「やむをえない」ので無難な打開策に陥らざるを得なくなる。その選択は、たいてい、やってもやらなくても、最終的には同じ敗北の結果しか招来しない。つまり、ジリ貧である。

この国は90年暴落以降、「二度目の敗戦」と呼ばれる長期デフレ経済に陥って、同じ失敗を繰り返し、今に至っている。この国は、また同じ失敗を繰り返すことになるはずだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?