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はっきりさせておきましょう⑤~日本は何をしたのか。

これは405回目。4回シリーズのつもりでしたが、5回になっちゃいました。これが最終です。

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またも繰り返すが、ここで長々と行っている議論は、日本による韓国併合が、韓国人にとって幸せなことであったか、不幸であったかという話ではない。これは、また別の議論である。

実際、9年後の1919年に三・一運動という独立運動と、騒乱が発生している。多数の死傷者もでている。もともとは平和的な街頭デモ運動であったが、次第に暴徒化した。ここでも、その被害者数に関して、韓国では極端に膨張した捏造数値を挙げているが、もっとこの点は科学的に精査するべきだろう。しかも、このような暴動はこれが一回だけで、日本の敗戦まで26年間、後は一度も発生していない。

※せっかくなので、先回紹介したイザベラ・バードの「朝鮮紀行」から、抜粋した文を以下に記しておく。日清戦争後、中国からの独立を果たしたものの、大韓帝国が相変わらず外国勢力と結んだ権力闘争に明け暮れ、にっちもさっちもいかない状態になっていたころだ。ちょうど日露戦争前という、微妙な時期の脱稿である。日韓併合はその後である。

「予断は危険であるが、つぎのことは言える。もしもロシアが現在見通されるような遅々とした展開に満足せず、朝鮮に関してなんらかの積極的な意図を明示するつもりであるとすれば、日本にはその車輪にブレーキをかけるくらいの力は充分備わっている。 とはいえ、朝鮮がひとり立ちをするのはむりで、共同保護というようなきわめてむずかしい解決策でもとられないかぎり、日本とロシアのいずれかの保護下に置かれなければならない。・・・ざっとではあるが、以上が一八九七年末時点(日清戦争の2年後、日露戦争の7年前)での朝鮮における政治情勢である。朝鮮は長くつづいた中国との緊密な政治的関係を断ち、日本から独立というプレゼントをもらったものの、その使い方を知らずにいる。イギリスは見当がつかなくもない理由(ロシアの南下進出が、朝鮮半島において日本といずれ衝突するだろうという推測)から、朝鮮情勢には積極的に関わらなくなっている。他のヨーロッパ列強はこの地域の保護になんら関心を示していない(つまり、投資の魅力を感じていない)。そして朝鮮の領土の保全と独立は、極東における利害関係が敵対しているといって語弊があれば、対立している帝国主義列強のなかでも、最も辛抱づよい国(日本)と最も野心的な国(ロシア)のなすがままとなっている。朝鮮の運命をめぐってロシアと日本が対峙したままの状態で本稿を閉じるのはじつに残念な思いである。」

これが、当時の朝鮮半島の自治能力の無さを正確に述べた、きわめて平均的な国際認識だったといっていい。西欧列強は、当時それ自体が国際法であった。力の正義が優先される帝国主義の時代である。戦争自体も、合法なものであった。ここは重要である。「戦争は合法」であったのだ。戦後、「戦争は非合法」という概念が生まれてからの常識で、当時を良かった悪かったと評価するのは、間違っている。少なくとも、それは歴史学ではない。各国がそれぞれの事情から、日本の韓国併合を認めたのは、当時としては実に自然で合理的な結論だったのだ。当時の常識からすれば、である。

日露戦争の結果、日本政府筆頭元老の伊藤博文は、当初から韓国併合には反対であった。自治能力の無い韓国を保護国として日本が支援し、後年、それが熟した暁には、韓国は独立を果たし、日本が提携できる強力な友邦国家になっていくことを理想としていたようだ。しかし、いったん韓国との合邦運動が動き始めると、その流れに抗し切ることはできなかったと推察される。実際、当時の大韓帝国の有様では、とてもそこまでおぼつかない、という現実判断もあったかもしれない。最終的には、合邦に異を唱えていない。

その代わり、首相を歴任したほどの伊藤が、自ら格下げといってもいい、朝鮮統監として韓国に乗り込むことで、韓国のとめどもない日本化に一定の歯止めをかけておこうとした。伊藤が存命であったなら、まだわずかにせよ、韓国の独立というシナリオは残されたかもしれない。当時、最終的には合邦賛成に大きく傾斜していった世論の中で、伊藤の考えというものは希少であった。

皮肉なことに、合邦反対の志士・安重根は、伊藤を合邦推進派と誤解して暗殺したわけだ。伊藤が、死の間際、暗殺者が朝鮮人であると告げられて、「馬鹿なやつだ」と言い残して逝ったのは、このためだ。この安重根の壮挙と伊藤の死で、確率は少なかったとはいえ、韓国が保護国の立場から、最終的には独立を果たす機会は、皮肉なことに失われてしまった。

従って、安重根の行為は、誤解に基づくものであり、結果的に韓国の大日本帝国化を加速させる効果を持ってしまったのだという事実も、はっきりさせておくべきである。言い方を換えれば、安重根は本人の情熱や意図とは反対に、韓国の大日本帝国化を「手伝った」ようなものである。

最後に、併合前の李氏朝鮮と、日本統治後の終戦時における朝鮮の比較ということで、いったい日本が朝鮮でなにをしたのか、一覧に供してみよう。

1 封建的諸制度、因習の廃止・禁止
●身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止。
●奴婢の解放 (人口の30%)
●両班(ヤンバン、貴族)の特権廃止
●女性の解放(名前を奨め、再婚を許可)
●衣服の自由化(着色した衣料はヤンバンの特権。一般民衆は従って、白い服しか着ることを許されなかった。白が清潔だからではない。色を用いることは禁止だったのだ。なぜなら染料をつくる技術が無かったからである。もっぱら染料と針は中国からの輸入に依存していた。韓国では白は民族の色だと言われたが、それは染色技術の欠落の産物だということを知らないからであろう。)
●瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃
●人身売買の禁止
●宦官(睾丸の腐割)の禁止
●纏足の禁止
●少女を妓生とすることを禁止
●呪術的医療の禁止(朝鮮巫術の禁止)

※伝統的な女性のチマチョゴリの禁止と女性の社会的地位。
現在、韓国文化の代表的なものである女性の韓服・チマチョゴリだが、これは、日本統治以降に一般化したものである。
李氏朝鮮時代には、「女性は胸を覆い隠してはならない」という禁令があった。(理由は、ご想像にお任せする)老人は白の布で胸を隠すことが許された。
この禁令と男尊女卑思想の影響で、両班の求めに応じて胸を露出し、応じなければ殺される例もあった。
また韓国人女性特有のキーセン文化伝統が何世紀も長く続いたため、自らも露命を繋ぐために両班を誘惑して妾になるか、あるいは中国に献上されることを誇りとしてきたために、自ら胸を露出して両班を誘惑して妾になった。
最終的には日韓併合期に女性が乳房を露出する事を禁止されたため、ようやく韓国女性は胸を覆いかくすようになった。
つまり、伝統的チマチョゴリとは、現代のものと違い、胸を露出している形式のものだった。実際、韓国併合前の写真では、女性はみな胸を露出している事実が確認できる。
男尊女卑の李氏朝鮮では、女は、子を産む道具でしかなく、結婚する時には、“試し腹”で「不良品でない事」を確認され、結婚しても、後継ぎである長男を出産しなければ、女(嫁)としての価値がないという、女性蔑視の考え方が根強かった。
もちろん日本も封建制が残っていた間は、この風潮や傾向はあった。が、かくまで女性を隷属的な地位に貶めることは無かった。江戸時代、庶民においては、それどころか完全に「カカア天下」であったのは事実である。
李氏朝鮮時代に女性が胸を出すというのは、単にセックスアピールのためという、現代社会でもありがちな風俗のような話とは、土台次元が違う。根本的な女性蔑視という文化性である。
だからといって、現代のわれわれの良識をもって、李氏朝鮮時代を非難するというのは、これまた筋違いである。日本にも、振り返れば、いくらでも今のわれわれからみて、不可解な習俗というものは、いくらでもあったのだ。
ちなみに、日本の女性というものの位置づけは、たった一つの例を挙げれば事足りる。
世界最古の女性の手による長編小説は、平安時代、紫式部の「源氏物語」である。封建時代であろうとなんだろうと、日本において、女性が、ただの「モノ」であったら、こんな事実はありえない。
しかも女性の文学は、清少納言(せいしょうなごん)、藤原道綱母(みちつなのはは)、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)、和泉式部(いずみしきぶ)など排出しており、完璧なジャンルである。このような例は、世界史的にも最古であり、ほかに存在しない。
中国においては、朝鮮半島同様、女性蔑視であったから社会的地位はなく、こうした女流文学は洋の東西を問わず、17世紀以前、世界中で日本以外は皆無である。

2 近代的経済法制の導入
●私有財産の保障(所有権制度の整備)  
●土地測量と地籍の確定 (墳墓など0.05%位が未申告地として残った)  
●近代的企業制度と商法の確立  
●通貨制度の整備  
●度量衡の統一

3 近代的社会制度の導入
●罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)  
●残虐刑を廃止  
●行政の単位をそれまでの一族から、家族(氏)に規定(これが創氏の目的)日本名にさせることではないし、日本名を強制したこともない。
●家長の権限を制限  
●地方の行政長や議員の選挙による選出

4 教育・医療の近代化と普及 
●小学校5,000校以上、大学など高等教育機関1000校以上を建設  
●ハングルの整備と普及  

(注釈:日本統治によって、韓国では言語を奪われたととんでもないことを言う人がいるが、大間違いである。ハングルは、李氏朝鮮では卑賤な文字として忌避され、まったく使われていなかった。これを福沢諭吉らが発掘して、教科書まで作って、韓国人に教育し、識字率を一気に引き上げたのである。日本統治時代のハングルの国語の教科書を見るがよい。)

●西洋医学や衛生思想の普及、
●疫病の防除と罹患者の隔離、
●医療施設の整備

ということで、5回も連続で、朝鮮半島支配の歴史とは一体なんだったのか、いろいろ調べてまとめてみたが、もしかしたら間違っている部分はあるかもしれない。が、ほぼこのようなことだったと言えそうだ。

少なくとも、日帝支配時代のことを議論するときには、客観的な事実を踏まえるという意味では役に立ちそうな気がするが。

(完)


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