少女は、なぜ母の前に現れたのか。 映画「スリー・ビルボード」評

2018年11月、家庭が紛糾していた。僕自身の仕事、具体的には転職を巡って。僕が望んで「この会社で仕事がしたい!」と思うが家族は良い顔をしてくれない。なんならはっきりと反対される。すったもんだの末、当面大きな変化はしないという結論を出したが、一連を通じてまあ物事の見方というのは人や価値観、光の当て方で変わるもんだなあ!というのを心の磨り減りと共に実感しました。僕が魅力的だと思うものも家族には違って見える。客観的に見れば裏表でピッタリと一体になったもので、どちらも正しいのです。要はどちらから見るか?どちらから見たいか?それだけの違いです。

今回ご紹介する「スリー・ビルボード」も人や物事の裏と表を次々と変えながら突きつけてくる映画でした。

それではどうぞ。


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「スリー・ビルボード」は2017年公開。監督は劇作家出身のマーティン・マクドナー。本作が長編映画3作目の脚本・監督です。

出典:IMDb 左がマクドナー監督

長編の前に約30分のショートフィルム「シックス・シューター」を監督しており、ブラックなおとぎ話のような作品です。「スリー・ビルボード」のブルーレイ版特典映像として収録されているのでお持ちの方はぜひご覧ください。長編映画1作目は2人の殺し屋がベルギーの小さな街でうける指令をめぐって事件がおこる「ヒットマンズ・レクイエム」2作目は売れない脚本家が作品づくりのためにサイコパスを新聞広告で募集することで起こる騒動を描いたノワール・コメディ「セブン・サイコパス」。そして3作目が「スリー・ビルボード」。
長編3作目、3枚の広告に3人の主要キャラクター。3にこだわった仕立てです。

主演はフランシス・マクドーマンド。本作で第90回アカデミー賞主演女優賞に輝きました。1996年にはコーエン兄弟の「ファーゴ」でもアカデミー主演女優賞を獲得しているので、2度目の受賞です。

出典:IMDb

残る2人の主要キャラクターを演じた俳優は、共に前作「セブン・サイコパス」にも起用。

末期ガンの警察署長ウィロビーを演じたウディ・ハレルソン

出典:IMDb

セブン・サイコパスでは犬を偏愛するギャングのボスサイコパスを演じていました。犬のためにバカスカ人を殺します。生類哀れみすぎです。

最後の主要キャラ、差別主義者の暴力巡査ディクソンを演じたサム・ロックウェル。本作で第90回アカデミー賞助演男優賞に輝きました。

出典:IMDb

セブン・サイコパスではかなりいかれた殺し屋サイコパスを演じています。


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以下、ネタばれを含みますのでぜひ鑑賞の上お読みください。
 というか観てください。めちゃくちゃ面白いので!


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ミズーリ州とアイルランドの関係

マーティン・マクドナー監督はアイルランド系イギリス人でアイルランドへのこだわりがとても強い人。前2作の主演俳優「コリン・ファレル」はアイルランド出身ですし、劇中において2作共アイルランド出身の設定。今作冒頭で流れるオペラのような曲(タイトルはThe Last Rose of Summer)も、もともとアイルランド民謡です。日本でも「夏のなごりのバラ」「庭の千草」の題名でカヴァーされています。

事件の発端となるレイプされて殺された主人公の娘が「アンジェラ・ヘイズ」。前作「セブン・サイコパス」でもアンジェラという女性がウディ・ハレルソン演じるギャングのボスの彼女役として登場し、こちらも劇中で殺されます。マクドナー作品においてアンジェラという名前はとっても可哀想な扱いなんです。次作以降「アンジェラ」が出てきたらきっと殺される!じっちゃんの名にかけて!

じっちゃんはいいとして、アイルランドとアンジェラという名前で想起されるのが「アンジェラの灰」

出典:Amazon.co.jp

1999年のアメリカ映画です。同名小説の映画版で、NYに渡っていたアイルランド人家族が貧困から故郷に送り返される。で、アイルランドでは更に貧困になるんです。そんな境遇でもたくましく乗り越えていくという内容で、アンジェラは家族の奥さん、お母さんの名前です。基本的にはめちゃくちゃ貧しくてどうしようもないんだけど、本人たちはちょっと楽しそうだし何ならその生活の中でも子どもつくっちゃうんですよ。やることやってるというか、それしかやることがないというか…。貧乏子沢山のお手本のような家族です。これ日本の北国でも言われますよね。冬は雪で外に出られないから、云々かんぬん、げふんげふん。新潟生まれの僕は暖かい地域の人にそれを言われるのが嫌で嫌で。それに、序盤で亡くなる双子のひとりが「ユージーン」という名前なんですけど、これ僕の息子の名前「ゆうじん」と一緒なんですよね…。死んでしまうシーンはめちゃくちゃどよーんとしてしまいました。個人的な事情で思い入れが強いアンジェラの灰。

アイルランドを舞台にした有名なこの作品から役名をとっているのは偶然ではないと思います。暗く貧しく、排他的。カトリック・プロテスタントという宗派が異なるだけで差別にも等しい扱いを受けてしまう。今作の舞台であるエビングという街も「アンジェラの灰」におけるアイルランドの描かれ方から影響を受けているように思います。

強烈な村社会。
そこから生まれる悲劇が描かれていきます。

「スリー・ビルボード」は邦題で、原題は「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」。アメリカ中西部ミズーリ州の架空の田舎町エビングが舞台。ポスターにも使われているロゴのデザインもミズーリ州のかたちになっていますね。

出典:Amazon.co.jp,Google マップ

ミズーリ州は2014年、白人警官が18歳の黒人青年を射殺したマイケル・ブラウン事件が起こった場所です。
また、 ミズーリの山地やアパラチア山脈に住む人たちは「ヒルビリー」と呼ばれアメリカでは独特の存在とされています。地理的条件もあって周囲から隔絶した暮らしをしているこの人たちは、生活や風習の独特さや貧しさから揶揄されたり差別されることもある。それが転じて田舎の貧乏白人という侮蔑を受けることもあるのです。中盤でやってくる黒人警察署長のセリフにも「お前ら貧乏白人」とありました。都市のエリートたちからの見られ方をあらわしている感じです。

講談社現代新書
『日本人がまったく知らないアメリカの「負け犬白人」たち』

ヒルビリーとは元来、「山に住む白人」というほどの意味だった。アメリカの東部を南北につらぬくアパラチア山脈、その南側の地域の山中に住み着いた「スコッチ・アイリッシュ」の人々がまず「ヒルビリー」と呼ばれた。

とあります。
アメリカの田舎町とアイルランドがここで繋がってくるのです。

ミズーリという土地は、監督にとってアイルランドとのつながりもあり
差別や断絶を描くにはうってつけの舞台というわけです。


西部劇を下地に使った
価値観を激しく揺さぶるストーリー

物語はエビングの町外れ「迷ったやつかボンクラ」しか通らないような道に看板広告が設置されることから始まります。真っ赤な下地に黒でメッセージが書かれているだけ

「レイプされて死亡」
「犯人逮捕はまだ?」
「なぜ? ウィロビー署長」

娘アンジェラをレイプされて焼き殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)が、事件発生から7ヶ月経っても犯人が逮捕されないことに憤り出稿しました。切実な母親の訴えとは裏腹に、街の人々は広告には賛同を示さず末期がんを患うウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)に味方し広告を邪険に扱う。黒人を差別する暴力巡査ディクソン(サム・ロックウェル)もあの手この手で妨害を繰り返します。かわいそうな「ミルドレッド」vs同調圧力満載で異端を排除する「警察・田舎町の村社会」の分かりやすい対立で頑張れ!ミルドレッド!と感じさせるようにできています。

その下地になっているのが「西部劇」。ミルドレッドはビジュアルとサウンドで悪に立ち向かう強い主人公として描かれます。

ビジュアル面でいえば印象的なジャンプスーツとバンダナ。警察や街の人たちと対峙する時は髪を上げつなぎのジャンプスーツに身を包む。バンダナは頭に巻いていなくても首には付けている。スーツとバンダナはミルドレッドにとっては戦闘服。メイキングでミルドレッドの仕草は西部劇のスター「ジョン・ウェイン」を意識していると語られています。

出典:IMDb

サウンド面ではミルドレッドのテーマともいえる「Mildred Goes to War(邦題:ミルドレッドの闘い)」荒野の用心棒の「さすらいの口笛」許されざる者の「クラウディアのテーマ」を感じさせる哀愁ただようギターのメロディが印象的です(サントラCDでは1曲目に収録)。同じメロディが用いられ別のタイトルが付けられた曲が登場します。サントラCD5曲目収録の「 I’ve Been Arrested(邦題:逮捕された!)」。友人のデニスがマリファナ所持で逮捕されたことに怒り警察署にどなりこむシーンで使われます。このどなりこみシーンは、西部劇で酒場の扉を開くイメージにとても近くここでも西部劇を意識しているのがわかります。

出典:Amazon.co.jp 良い映画はサントラも良いです。染みます…。

ちなみにデニス逮捕のきっかけとなったディクソンのママが入れ知恵するシーンでテレビから流れていたのは1973年の映画「赤い影」。ドラマ24のキーファー・サザーランドのお父さんドナルド・サザーランド主演で、冒頭から娘が事故死する物語です。ディクソンもドナルド・サザーランドばっかりだと毒づいていましたね。赤い影を見ていたので「娘が死んだといえば」とママは連想したわけです。

出典:Amazon.co.jp

脱線サザーランドしてしまいましたが、導入から西部劇を意識したつくり。そもそも肉親を殺されて警察と対峙していくという設定も西部劇の定番といえます。非常にわかりやすい構図なので観ている側もそういう流れね、はいはいはいと思う。しかし、それを見事に裏切りながら進むわけなのです。

ミルドレッドは、街の人に反発されて嫌がらせを受けるけれど、太った歯医者の爪にドリルで穴をあけるは、物を投げつけてきた学生の股を蹴り上げる(女子も!)は、あげくは警察署に火炎瓶を投げつけるはと、どんどんエスカレート。ちょっとママやりすぎでないかい?とあんまり感情移入できなくなってくる

出典:IMDb

責任があると名指しされたウィロビー署長は末期がんにも関わらずアンジェラの事件を真面目に捜査する良い人なのに、中盤には銃で自殺。

ディクソンも実はゲイでそれがバレたら自分が差別されるという想いから黒人を差別して暴力をふるっているところがあるし、頭もあんまり良くない。大好きなウィロビー署長は自殺しちゃうし、そのウィロビー署長からの手紙で複雑な生い立ちがあることが分かって改心の兆しが見えた直後にミルドレッドの火炎瓶で重度の火傷を負っちゃう。

出典:IMDb ノリノリでABBAの「チキチータ」を聞いているのがゲイであることを示唆しています。 


可哀想ないい人だと思っていた直後、暴力的な面を見せてしまったり。嫌なやつだと思っていた人もその人なりの事情と秘密を抱えた弱い面があることが分かったり。広告の表と裏のようにキャラクターの見え方・感じさせ方がジェットコースターのように目まぐるしく変わる。観る人の善悪の価値観を揺さぶり続ける見事な脚本です。

キャラクターの心の変わり様を表現する仕掛けも見事です。僕がうなったポイントを3つ紹介すると…

【1】ミルドレッドが広告の下に植える花がカラフルになっていく。最初はほぼ赤一色なんですが、物語が進み彼女の心に怒り以外の感情が増えていくように花も色々な色のものが植えられていくんですね。

【2】序盤で流れるカントリーミュージックがタウンズ・ヴァン・ザントの「バックスキン・スタリオン・ブルース」。マクドナー監督の前2作でもヴァン・ザントの曲が用いられています。渋い男性ボーカルで、西部劇の正義のガンマンを彷彿とさせる序盤のミルドレッドの雰囲気に良くマッチしていると思います。で、この曲ラストシーンでも流れるんですが、歌っているのはヴァン・ザントではなくエイミー・アネルという女性フォークシンガーで、彼女がカヴァーしたバージョン。

このアネル版が凄くいい。ギター、ベースにタンバリン程度のシンプルな演奏で優しく語りかけるような歌声がミルドレッドとディクソンのこれからの道中の穏やかさを暗示しているかのようです。この曲のバージョン違いで最初と最後のミルドレッドの心のありようの違いを見事に表現されています。両バージョンともサントラCDには収録されていますので是非聞き比べてみてください。

【3】ラストシーンでミルドレッドとディクソンは車の運転席と助手席に座り同じ方向を向いています。でも、2人はずっと向かい合って対立していたんです。ウィロビーの死や自らとの対話によりお互いに心境が変化し、自分の過ちを受け入れて一緒に前を向くことができている。関係性の変化を位置関係であらわしています。この手法で僕が思い出したのは、踊る大捜査線の劇場版1と2。劇場版1では主人公青島と警察キャリア官僚の室井は対立をしていて、椅子に背中合わせで座るんです。でも、かの有名な「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きているんだ!」というセリフを経ての続編、劇場版2(レインボーブリッジを封鎖せよ)では2人のわだかまりが解けて同じ場所・同じソファに隣り合わせで座るシーンがある。人物の立ち位置や座り方は関係性や心理を如実に表すので注目して観てみると面白いです。

出典:IMDb ミルドレッドがディクソンを「ママネタ」でいじるところ、反応が可愛いですね。

脚本から演出まで凝りに凝った作りのスリー・ビルボードは何回観ても新しい発見があるので、飽きることがありません。一見地味なのですが噛めば噛むほど旨味が出る、まさにスルメムービーだと思います。


マクドナー監督は何を伝えたかったのか?

僕の敬愛する田中泰延さんは、クリント・イーストウッド監督「アメリカン・スナイパー」の映画評の中で、こう書かれています。

『映画監督は何本映画を撮っても言いたいことは同じ』

僕がマクドナー監督の長編3作から感じた共通のテーマは、

完全な善人なんていない、
完全な悪人もいるわけない。

その人間の本質を暴力という舞台装置を通じて浮き立たせているところです。ヒットマンズ・レクイエムでは主要登場人物が殺し屋なんだけど、男の子を誤射して死なせたことをずっと後悔してウジウジするし、その相棒もそんな主人公を殺し屋なのに命がけで助けようとする。セブン・サイコパスなんてほぼ全員頭いかれてるのに犬を偏愛していたり友だちを助けようとしたり、自分のもとを去った女性に気付いて欲しい一心でサイコパス募集に応募する。
どんなに悪そうなキャラクターにも愛すべき部分がある。それは自分だって同じはず。ダメなところ、いいところ色々あってこその人間です。映画のキャラクターたちを通して自分のことが少し好きになるような感覚をマクドナー作品はもたらしてくれるのです。


アンジェラは何を想い殺され、
何を想いミルドレッドの前に現れたのか

アカデミー作品賞は逃したものの、多くの賞を獲得し話題にもなったスリー・ビルボード。映画評もたくさん書かれており、僕もたくさん読みました。どれも鋭く、アメリカ社会の問題点や現実を描いているものも多かったです。

しかし、僕は言いたい!

この映画、一番かわいそうなのアンジェラじゃん!
何でアンジェラのこと書いてあげないのか!

弟のロビーも言っています。アンジェラはただ殺されたのではない。レイプされて殺されたんです。しかも、レイプされた後に焼かれているのです。少女が迎えるにはあまりにも酷い最期。僕自身2017年に娘が産まれました。自分の娘がアンジェラのような最期を迎えると想像しただけでも胸が張り裂けそうになります。だからこそ、僕は書きたいアンジェラのことを。彼女が何を考え、どんな想いで最期を迎えたのかを。

作中、生前のアンジェラが出てくるのは1シーンだけ。事件当日の出かける直前のやり取りです。母親との口論、飲酒運転という罪を犯したにも関わらず自分のマリファナ使用について咎めてくる矛盾。売り言葉に買い言葉で「レイプされても知らないから!」「レイプされればいいのよ!」という最後の会話。それが現実となるなんて。その後のシーンで本人は父親を慕い一緒に暮らしたがっていたのがわかります。

出典:IMDb

彼女の部屋も出てきます。ロックバンド「ニルヴァーナ」の3rdアルバムで1993年発売の「イン・ユーテロ」や、1970年代に活躍したパンクバンド「クラッシュ」のボーカル「ジョー・ストラマー」のポスターが貼られている。革ジャンを着た本人のファッションを見てもハードロック・パンクロックに傾倒していることも伺えます。

※BD再生画面より筆者撮影

作中での描かれ方だけで考えると、閉鎖的で息苦しい街や(末期がんであることすら隠すことができないような)、両親の離婚とうまくいかない親子関係に苦しみ自暴自棄になった素行不良少女。それがアンジェラ。

しかし、本当にそうでしょうか?それこそ一面的な見方。広告の片面ではないでしょうか。マクドナー監督はそのようなステレオタイプな描き方をしない。僕はアンジェラという少女の広告のもう一面を、部屋に貼られた「イン・ユーテロ」のポスターに見出しました。

出典:Amazon.co.jp

ニルヴァーナは1987年結成の3人組ロックバンド。1991年発売の2ndアルバム「ネヴァーマインド」が世界中で驚異の大ヒット。赤ちゃんが水中で紙幣を追うジャケットデザインも非常に印象的ですね。ネヴァーマインドのヒットでバンドは時代の寵児に。特にボーカル・ギターのカート・コバーンは端正なビジュアルも手伝ってカリスマ的人気を得ました。しかし、カート本人はその熱狂的な人気に嫌悪感を覚えていく。そんな状況で発表されたのが3rdアルバム「イン・ユーテロ」でした。ネヴァーマインドのキャッチーな聞きやすさから一転、重くノイジーな音像はネヴァーマインドの続編を期待していたファンからは賛否両論だったようですが、カート含めて本当にやりたかった音楽性はイン・ユーテロに近かったようでこちらをバンドの代表に推す人も多いです。しかし、カートが1994年にショットガンで頭を撃ち抜き自殺。ニルヴァーナもその後活動を終えてしまいます。ちなみに、メンバー3人とも両親の離婚を経験した複雑な家庭環境で育っており、その部分でもアンジェラは共感を覚えていたのかもしれません。

出典:IMDb 「銃で自殺」はカートとウィロビーの共通点でもあります。

僕は最初イン・ユーテロのポスターを見た時「おいおい何てエグいことするんだ?」と思いました。イン・ユーテロ収録の代表曲が「Rape Me(レイプ・ミー)」だからです。シングルカットもされています。アンジェラの部屋に飾られるにはあまりも露骨。レイプされて殺された少女の部屋にレイプを想起させるポスターが貼られている。あの手この手で人物の一面的な描写を否定し、価値観を揺さぶるマクドナー監督にしては安直すぎます。そんなことを色々と考えていくにつれこの「Rape Me(レイプ・ミー)」にアンジェラの最後の想いが込められているのではないかと思うようになりました。

「Rape Me(レイプ・ミー)」で歌われていることは?カートのどんな想いが込められているのか?
歌詞と翻訳サイトの意訳を引用してみます。

Rape me
犯してよ。

Rape me my friend
犯してよ、いつもみたいに。ねえ。

Rape me
犯して。

Rape me again
何度だって犯すといいわ。

I'm not the only one
私が特別って訳じゃない。分かる?

ah, I'm not the only one
特別強い人間じゃない。

ah, I'm not the only one
至って普通だわ。

(中略)

ah, I'm not the only one
無力な女の子を虐げて、戦利品のように誇っているの?
バカじゃない?私ひとりだって征服できないくせに。

ah, I'm not the only one
私が特別な訳じゃないって言ったよね。

Rape me!
犯してよ!

Rape me!
犯せばいいでしょ!

Rape me!
好きなようにしたらいいわ!

Rape me!
ほら、犯しなよ!

Rape me!
やれよ!

Rape me!
気が済むまで犯せ!

Rape me!
犯すだけしか出来ないクズが!

Rape me!
犯せ!あんたなんかにやられたぐらいで大したことじゃないわ。

※サイト「勝手に和訳 むしろ意訳」より引用
https://nekoarukiwayaku.blogspot.com/2016/04/rape-me-1991-live-nirvana.html

「Rape me」が女性目線の曲であることはカート本人が認めたとされていますし、人生を肯定した反レイプソングであることも話しているようです。

この曲は身体を汚されても心までは汚されない人間の尊厳と気高さを歌っているのだと僕は思っています。アンジェラはレイプされ、あげく火までつけられた、灰になった。しかし、酷く悲劇的な状況になっても彼女は尊厳を失うことはなかった。犯人に悪態をつき、最期まで屈することはなかったのではないでしょうか。そんなアンジェラの気高さと強さを監督は「イン・ユーテロ」のポスターに込めたのです。
焼かれて灰になった3枚の広告も、蔑まれ差別される側だった黒人や小男の助けによって再生されます。気高さは差別や暴力に屈することはない。ディクソンの心の中に眠っていた気高さも警察署に放たれた炎にむよってしろ発露することになりました。

出典:IMDb

広告の下で花を植えるミルドレッドの前に鹿が現れるシーン。

出典:YouTube

日本で唯一の鹿情報総合サイト「DEER INFO」には

ケルト民族(アイルランドなど)の神話には、「ケルヌンノス」という角が生えた神が登場します。ケルヌンノスは絵画等に描かれる際、ほぼ常にオス鹿を従えた姿で登場します。ケルヌンノスは、狩猟の神、百獣の神などと呼ばれ、多産や豊作、復活の象徴としてケルト民族に信仰されていたと考えられています。


とあります。
ミルドレッド自身は否定していましたが、心まで汚されることのなかったアンジェラが母親の前に現れたと思えてなりません。一番大事な部分は汚されていないし灰になっていない。それを伝えたかったのではないでしょうか。

小さな希望、はかない光。

ミルドレッドとディクソンはそれを求めて車を走らせます。ミズーリの州都ジェファソン・シティからアイダホの州都ボイシまでは約2,500km。ミルドレッドは道中で何度もアンジェラを感じることになるでしょう。ディクソンは父を、ウィロビーを同じく感じると思います。その邂逅の末に2人が出す結末はきっとほんのり温かいものだと信じています。マクドナー監督のことなので、僕の期待を裏切ってくれるかもしれないですけどね。

僕が選んだこの先の仕事も希望に満ちたものになっているといいなあ。

出典:IMDb

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いやなことがあったらおはぎを食べて元気をだします
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