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読後所感: <うた> 起源考

#うた起源考 #藤井貞和 #歌 #うた

フランス文学者/評論家である巖谷國士さんのツイートで知った本書。巖谷さんは、おそらく本書を踏まえて、こうも言っておられた「日本語は掛詞ひとつで別の世界にすりかわることを教えてくれる」。(ただし、「古代の掛詞は、同音異語をきっかけに文法を飛びこえ、別世界に移行してしまうもので、長く日本語特有の方法だった。教養や機知を前提とするが、流行中のずらしやすりかえはその前提がなく、別物である」と。)

「うた」の語源とはなにか?「うったえ(訴)」「うつろ/うつけ(空)」「うつ(拍)」「うたがう(疑)」「うたた(転)」「うたげ(宴)」… 私には、そのどれもがすべて「うた」にあてはまるように感じられる。藤井さん曰く:集団的にであろうと、個人的にであろうと、あらぬ思いにとりつかれ、あるいはうたた騒然たる心的状態に置かれる、そんな”うた状態”での、声や叫びをも含む、えらぎ(酔い)、愉悦のうちに「うた」と呼ばれる状態はあったのではないか。とりわけ、個人の様式として、そのような”うた状態”はあるのではないかということを強調したい。ちなみに「うたげ」は「うたあげ(=うた挙げ)かと渡辺は言う。

万葉集からわらべ歌、沖縄の8886形式、現代短歌まで、縦横無尽に深く掘り下げる本書で、さまざまな魅力的なうたに出逢った。なかでも私がもっとも魅かれたのは、源氏物語「浮舟」巻からのこのうたである。

降りみだれ、みぎはにこほる雪よりも 中空(なかぞら)にてぞ われは 消ぬべき

〔降りみだれて、水際に氷る雪よりも(さきに)、空のまん中でわたしは 消えてしまうに違いない〕



余談。いつものご近所ペブルズ・ブックスさんで手に入れた本書。予約の際に書店員のW辺さんから「たださん、ふと思ったんですけど、この場合の『うたう』って英語だと何なんでしょうね? ”Sing”じゃない気がして…」と。確かに、ここで言う日本語のうた・うたうには「詠む」ことも「吟じる」ことも、更には、例えば前述の藤井さんの考察で示した語源のニュアンスをもすべて包含しているように感じられ、単に ”Sing” でもなく、”Compose/Write a Poem/Lyric” でもない。さすがW辺さん、実に的を得た投げ掛け。うちへ帰って様々ググってみて(もしかしたら ”Recite” (「リサイタル」の動詞形)がいちばん近いかも…)と感じ、すぐにお電話差し上げたんでした。言葉っておもしろいですね。

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