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サイゼが陰キャラの私に教えてくれたこと

サイゼリヤに、中学生たちの笑い声が聞こえてきた。男女10人くらいだろうか、テーブルを3つくっつけて、中央には空のグラスがぎっしり。とっくに食事は終わっているようで、身を寄せるようにおしゃべりを楽しんでいた。

端の席に座る子を見た。中央に体を向けて、楽しそうに笑っている。大丈夫だろうか。。昔の自分を思い出す。だいたい端っこに座って、必死で輪の中に入ろうとしていたから。。

サイゼリヤは、陰キャラの私にとって戦場だった。

サイゼリヤ(サイゼ)といえば、打ち上げの場所。高校生の時、体育祭や文化祭などのイベントが終わった放課後、クラスメイトで食事をしにいくのが定番だった。

陰キャラの私には、サイゼしかなかった。
口下手で、根暗で、意識しすぎて男子と話せない。そんな私でも、クラスメイトと会話できるのが、打ち上げ会場のサイゼだけだったのだ。

サイゼで、なにか変わるかもしれない。
一緒のテーブルに座った男子と意気投合する可能性だってある。話がすごく盛り上がって、連絡先を交換し、教室でちょっとしたおしゃべりをする仲になる。どうでもいいLINEのやり取りも始まる。「もしかしてアイツ、浜川のこと好きなんじゃない?」なんて友達にからかわれたり。。そのうち休みの日にお出かけして、帰り道に告白されて、晴れて恋人同士に……。。
割と本気で、わずかな可能性をサイゼにかけていた。

でも結局、何も変わらなかった。長テーブルの端に座って、とけた氷の汁をちびちび飲む。ミラノ風ドリアの焦げ付きを一生懸命食べようとする。笑いどころで、ちゃんと笑う。男子と雑談する自信がなくて、友達のドリンクバーおかわりに付いていく。相づちと愛想笑いの繰り返し。。。。帰り道には「あのとき、どうしてああ言わなかったのか」「こう言えば盛り上がったかもしれないのに」といった脳内反省会が習慣化した。どうして帰り道に限って、気の利いた返しが浮かぶんだろう。次こそは、と意気込む。でもやっぱり。、。。

サイゼの挑戦は完敗だった。。

あれから10年以上経ったけど、ずっと負けっぱなしだ。飲み会では人の話を聞いて笑うばかり。冷めたおかずをつまんで、お酒を最後の1滴まで飲み干す。話を振られても、盛り上がるような返答はできず。。相槌と愛想笑いは、もはや体の一部だ。

それでも、負け続ける自分を責めるのはやめた。もう諦めたってわけではなく、「負け続けるのもあり」と思えるようになった。

サイゼからずっと負け続けてきたからこそ、いまの人生があると思っている。中学や高校から続く友達も、好きな漫画やアニメも、楽しい仕事も、夫も、サイゼで楽しくおしゃべりできる人生だったら出会わなかったかもしれない。

高校生のわたしに伝えてやりたい。うまくいかない人生は、うまくいかないなりに幸せだ。愛想笑いも相槌も、無意味な脳内反省会も、わたしの人生には必要だった、と!

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