01スタジアム写真

隣のカープファン

 私は、いわゆるカープ女子、しかも、にわかのカープ女子だ。2016年、久しぶりに優勝した年から始めた最もにわからしいにわかだ。もちろん、広島出身であるのだから、広島市民として最低限応援しているチームではあった。広島市民として最低限というのがどのくらいかというと、テレビでカープが勝ったと見かければ良かったと思ったり、応援歌「それいけカープ」が歌えるという程度で、選手の名前もよくニュースに出てくる数人しか知らないし、順位や数字のことはよくわからなかった。有り体に言うと興味がなかったのだ。
 しかし、興味があるないに関わらず、広島ではカープは生活の一部だった。初優勝の時は小学4年生だったので、男子はもちろん、女子もみんなカープの赤い帽子を被って登校していたものだ。誕生日にはサイン鉛筆の1ダース入りのを贈り合うのが定番だったし、運動会の応援歌はもれなく「それ行けカープ」の替え歌だった。元安川にホームランのファンファーレが鳴ったら今日は誰が打ったのかしらと思ったり、バスで習い事に行くとき、バスセンターの坂のところから市民球場を覗いたり、本当に生活に密着していたのだ。

 カープのファンになったのは、夫が先だった。子供の頃から阪神タイガースのファンだった夫は徐々にカープに傾いていき、2000年頃にはファンクラブに入会するまでになっていた。その夫に誘われて球場に行ってみると、かつての球場の様子とはずいぶん違っていた。そこはさながらライブ会場だった。球場に近づくにつれ、推しの選手のユニホームを着た人が増えていき、入場すると客席がチームカラーに染まっていた。手にはサイリウムの代わりに応援バットを持ち、場面場面で次々に色んなテーマ曲がトランペットで演奏され、一緒に歌う。歌うだけでなく、振りも決まっていて体も動かす。外野席の方ではスクワットもしている。試合が白熱してくると球場のおよそ半分が同じ歌を歌って一緒に動作して一体感が半端ない。得点すれば「宮島さん」を歌い、周りのカープファン同士応援バットを叩き交わす。
 ひとことで言うと楽しい。かつての球場、客席はスカスカで外野席では何か関係ないことしてる人たちがいたり、酔っ払いのオヤジが口汚い野次をとばすような、そんな私の知っていた球場からは全然変わっていたのだ。前述の通り、私はスポーツ観戦にあまり興味がなかった。運動音痴のくせに観るよりプレイする方が好きだったからだ。だから、今のようにスポーツを観るだけでなく積極的に応援するライブと化した観戦スタイルにとても魅力を感じている。

※illustration:とだ勝之

 私は広島出身だが、もう長いこと東京に住んでいる。なので、観戦に行く球場は神宮球場あるいは東京ドームが多い。うちらのカープが東京に来てくれたんじゃけぇ応援に行かにゃあ! という気持ちで行くのだ。そしてチャンステーマで「おおきな声でーひーろしまーっ」と叫んだりすると、みんなはチーム名を叫んどるだけじゃろうけど、遠く離れた私の広島のことを今東京の球場にいるみんなが叫んでくれとる! などと勝手にセンチメンタルな気分になったりしていた。
 ところが、何回か球場に足を運んでいるうちに気づいたことがある。隣や前後の席に居合わせた赤い格好をしている人たちと言葉を交わすとその多くが広島出身者なのだ。とすると、みんなもチーム名に乗せて自分の故郷のことを思い描きながら「ひっろっしっまっワッショイ」とか叫んでいるのだろうか。もしかして、神宮球場は、東京ドームは、広島戦の時はいつも広島県人会というか同窓会的な広島出身者の社交場なのではないかと思えてきた。もちろん、本拠地マツダスタジアムへ行って周りに遠慮することなく応援できるのも楽しいのだが、遠く異郷の地でこんなにたくさん同士がいることを嬉しく感じながら、隣のカープファンと「旨酒を酌み交わす」のはとてもエキサイティングでやめられない。
 ところで、この前お隣に座っていた人と「ひょっとして、広島出身の方ですかぁ〜?」「そちらもですか? 広島のどちらですか?」「広島市内です。」「私は東千田町です」「え!私は南千田西町です」「元安川の方ですね」という会話をしたのだが、小学校を聞き忘れたのは痛恨のミスだった。5年生までいて転校してしまった千田小学校の話が聞けるチャンスだったかもしれないのに。


※illustration:とだ勝之
最近よく一緒にカープの応援に行く先輩夫婦と。マツダスタジアムに誘ってもらったり、逆に神宮球場に一緒に行ったりしている。学生時代にはこんなにカープで盛り上がれるようになるなんて予想もできなかった

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