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漠たる不安の家

 夫は女を作っては、会社をつぶす。もう二つ目だ。この家は、私名義になっているので、担保に取られないで済んでいる。調度品も私の好きな物で統一されていて、自分では気に入っている。夫の物は、夫の部屋にすべておさまっている。私の普段いることの多いリビングなどに、彼の存在を示すものは無いのだ。

 私には長男、長女で二人子供がいる。どちらも、もう十分な大人になった。良く育ってくれたと思う。二人とも、都心部に自分名義のマンションを持っている。買い与えたのはもちろん夫である。

 夫は浮気をしてない時が無い程、女狂いなのである。私の妻としての役目はその女達から送られてくるお中元お歳暮に礼状を送ったり、既に認知済みの子供らのお祝いを贈ったりすることに加えて、他の主婦と同じ役目も担う。

 私の信じているモノは、夫ではなくて、仏様である。私は、心の空洞を埋める為に、宗教にのめり込んでいるのである。

 

 ある日、一通の葉書が届いた。そこには香水を染み込ませたのであろう、ほのかに良い香りがしていた。何ていう名の香水だろうか。息子から『せんたく女』と意地悪な事を言われることの多い私の知らない香りがしていた。

宛名を見ると夫の会社に近い住所である。文面を読んだ私は、瞬間、凍りついた。

 【わたくしのおくれ毛をみせとうございます。】

 古風な言葉使いに、雅やかな美しい手書きの文字。そして、この言葉!また、また新しい女が出来たのである。もう、すっかり人数を数えるのすら諦めた私である。【健康なことで何より】と、無理やり前向きに考えてみても、いっそう空しくなるだけで、私の中の鬼が起き上がってくるのを感じたから、咄嗟に手のひらを合わせて、般若心経を唱えた。

【観自在菩薩様、どうか私の心に平静をもたらしてください。】短い読経の後、鬼は眠りについた。しかしながら、私の心は決壊寸前である。

 娘が言う。『わたし、お母さんのようにはなりたくない。だから結婚なんかしない。』けれど菩薩様、女は一人きりで生きられるものなのでしょうか?

  ある晩、夕食の支度をし終わった時、夫の携帯電話が不愉快な音をたてた。【この着信音はサユリさんだわ】彼女の言う言葉は決まっている。夫は私に遠慮を知らないかのように言う。

 「今日、お客が入っていないそうなんだ、ちょっと売上に貢献してくるよ。」
 「あなた、夕飯が出来たのよ。めしあがってからでも…」
 「いや、悪いけど、向こうで済ますから。」
 「何もあなたが行ってまで…。」
 「あいつに店を持たせたのは俺だぞ。」
 「だったらあなたの責任ね。」
 「ものわかりが良くて助かるよ。」
 

 【生きる為。ただ、私は生きる為にこの人に連れ添っているだけだもの。】そう思いながら、夫を玄関まで見送って、鍵を閉めた。

 一人きりの食卓には二人分の食事が冷めかけていた。

  夫は好きになった女に店を持たせることを好んだ。というのは、もともと玄人が好きな夫は彼女達の夢である『店を持つ』ということをかなえるのに、ことさら喜びを感じているようだった。あともう一つの理由は彼女達は離婚して小さな子供をかかえている場合が多く、夫はそういう女をほおっておけないタチらしい。そんな夫は彼女達からすれば良いお客であり、格好のカモに違いなかった。

 【馬鹿な人…】そして馬鹿な私…。私が正妻の座にいるのは、夫の母親、私にとっての姑と姿形がそっくりだからだ。私が夫の女達に同情せずにはいられないことが一つある。それは、夫は彼女達の店の担保を自分の会社にする代わりに、彼女達に整形手術を受けさせるからだ。…私にそっくりに。いえ、姑にそっくりに。【夫はどこかおかしいのだわ】


(未完)

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