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【転職】27歳の元小学校教員が教育現場でやり残した、まだやりたかったこと3選。

こんにちは!ゆーです!


教員を辞めてから、これやりたかったなぁ〜と思うことがいくつかあるんです。

やりたいことがあってやめたわけなのですが、「後悔」ということになります。でも、後悔とは思いたくない気持ちもあり、「糧」になればいいなぁと思う自分もいたり。

そんな自分がやりたかったことを、まだやめて1ヶ月も経ってない今日忘れないうちに、書いていきたいと思います。



1 海外日本人学校で働くこと


教育の研修に行った時に撮ったヘルシンキの様子


まず、何よりも一番やりたかったことです。

実は、自分が小学校の教員を目指したのも小学校の時の恩師の影響で、その方は自分が小学校を卒業したあと海外の日本人学校で御活躍されていました。

その先生を尊敬していたところは、
・クラス内外の子供に対して、誰に対しても笑顔で接するところ
・大人の事情があろうとも、子供の思いを大切にしてくれたところ

こんな先生と一緒に働きたいなぁと思ったことが小学校の教員を目指すきっかけになったのです。(でもこの先生、自分の担任になったことはないのです)

大学受験で大学を選ぶ際に、その恩師のところに会いに行きました。

その時に見せてくださった膨大の写真が「海外の日本人学校で働かれていた時の写真」でした。

ぼんやりと
「小学校の教員になりたいなぁ〜」
と思っていた自分が
「小学校の教員になって、海外の日本人学校で働く!」
と小学校の教員を目指す大きな刺激となりました。

大学4年生の時、教員採用試験に落ちましたが、その時にも海外子女教育財団の日本人学校の説明会に行きました。

どこの国に行くか分からないという不安があり、結局やめて大学院進学を決意しましたが、ずっと思いがあったのは事実です。
自分が教員として働いていた自治体でも募集はかけられていましたが、勤続年数縛りがあり、挑戦することは叶いませんでした。

海外旅行が大好きで、新しいことに挑戦したい自分にはとっても魅力的な夢でした。きっともう一度、教育現場に復帰したら、できるかはわかりませんが、挑戦はすると思います。


2 総合的な学習での地域活性化と教育モデル化


私は小学校教員3年目に、総合的な学習の時間の教科主任となったため、地域活性化プロジェクトに行政を巻き込みながら挑戦してきました。

どんな活動に取り組んだのかというと、身バレをしてしまう可能性が非常に高いので深くは書きませんが、
「あるニュースポーツの聖地化を目指す地域に子供と入り込み、行政を巻き込みながら取り組む活動」
です。

地域の課題を解決すべく、子供と参加しました。

この活動が今の自分のやりたいことを明確にしてくれたと思います。

「○○(地域名) △△△△(スポーツ名) 広め隊」という単元名のもと、1年間かけて取り組んできました。

そして、取り組みを自治体主催の教育論文としても執筆したところ、20編中2編の最優秀賞に選んでいただき、教育委員会より表彰していただきました。

その表彰理由としては、なかなか自治体の中で力を入れていない総合的な学習の時間で地域との連携を生かした教育実践とのことが挙げられました。

ただ、私は教職大学院時代に、総合的な学習の時間についていろいろなことを学ばせていただいた経験が生きたと思います。

言わせてみれば、特段、特別なことをしたわけでもなく、全国的に見ると「まだまだ」な取り組みだと思っています。だからこそ、自分の自治体にももっと広めていきたいなぁと思い、自分の自治体に総合的な学習の時間のモデルケースを作りたいと思っていました。

アイデアとしては、
・野菜の収穫が盛んで、豊富で質の高い食材が取れる地域だったので、地域の野菜を作ったピザを子供と作って、販売したいなぁ
・企業と連携して、地域のカードゲームを作りたいなぁ
など、まだまだたくさんありました。(リンクを貼っておきます)

総合的な学習の時間って、無限大で、アイデア次第なんですよね。

子供のどんな資質・能力が育まれるのか考えながら、単元を開発する、本当にワクワクする教科でした!

3 教え子と一緒に働きたかった

これに関しては、絶対的に無理でしたね。
いくら何でも、辞めるのが早すぎましたので…(笑)

でも先生をやっていて、嬉しかったことの1つに
「将来の夢は学校の先生になること!」
と言っていた子に3人出会えたことです。
しかも、自分の担任していた学級の子です。

1人目は、すんごいおとなしい女の子。でも喋る時はよく喋る。しっかり者の子でした。

2人目は、授業ではずっと喋りっぱなしな、いつでも熱い男の子。少し個性的は強いのですが、授業を本当によく盛り上げて、いつも必死に物事を考えていました。

3人目は、賢い女の子。本当に気配りが上手で、よく働く。でも働くことが褒められたいからではなく、「誰かのために」という考えを持っている、しっかり者の子でした。

どの子も、本当にいい先生になれると思っていたし、いつかは一緒に働きたいと思える子たちでした!

どんな影響を3人に与えられたかわかりませんし、ひょっとしたら教員にならないかもしれません。

でも、いくらか自分の教え子が「先生になりたい!」と思ってくれたことはとっても嬉しいことでした。

もしまた現場に戻るようなことがあり、ご縁があれば、一緒に働いてみたいものですね!



終わりに


もちろん心残りはもっとあります。

でも、これを後悔とするか、糧とするかは自分次第だと思っています。

新しい道を選んで、もっと大きくて、もっと魅力的なやりたいことができたときに、新しい道を選んでよかったと思えるようにしていかないといけないですね。

皆さんも、後悔のないように、やりたいことをやれるときに挑戦してみてくださいね!



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