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縁起がいい赤のホンダで嫌いな場所にわざと行った

私の人生は車とともにあった。

15歳の時にストレスで拒食症になり、それは自力で治したが、17歳で発症した心臓神経症は、どうにも治せなかった。

無論、私が若い頃は、『病は気から』が常識。
親にも教師にも、そして医師にも、「甘えんな!食え!おまえの病気は病は気からだ!」と言われてばかり。
今の時代は抗鬱剤のような精神安定剤が蔓延していて、トム・クルーズが反対活動をしてるほどだが、そんな薬もなかった。

二十歳の時に、あまりにも心臓が痛くなったり、動悸がして、おまけに初恋の子と再会してお付き合いをしたのに衝撃的な離別になり、失意のどん底にいた私の目の前に現れたのが、

車だった。

「電車は自分で止められない。車は自分で止められる」

それが青天の霹靂だった。

そう、気分が悪くなったらコンビニの駐車場とかに飛び込めばいいのだ。

最初の車は父親が手放したトヨタだったが、私の心臓神経症はみるみる回復。
昔は地震がきたら、心臓が破裂するくらい【びっくりが心臓を直撃した】が今では、地震、雷、カフェで暴れてるおっさん‥‥何に遭遇しても脈拍は安定し、スマホの地震警報が鳴ってもそのまま爆睡してる。

私の人生は、車と女とエンタメ(創造)だった。(あと猫)

そしてもっとも生きているのが楽しかった頃に乗っていた車は、赤いホンダ車だった。
大好きなホンダでも赤じゃないとダメ。
ベンツやマツダの赤もダメ。
ホンダの赤が私を元気にさせる。
例えばホンダでもホワイトだと、見ていて苛立つ。

前の車を当たり屋にやられて、修理できなくなり、またホンダの赤い車を買った。
ちなみに、当たり屋にやられた事故は、警察は事故の処理をしていなかった。
何が事故で何がただ、ぶつけただけなんだろう。

私は納車したばかりの赤いホンダのスイッチ類の操作に慣れるために、深夜の首都高速に向かい、首都高にある広めのPAに入った。

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普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。