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小さな空の物語

彼女は空を見上げた。あまりの美しさに息をのむ。身動きすらできない。そして突然走り出したいような衝動に駆られた・・・。



今から約四週間前の昼過ぎ、彼女は突然胸に激しい痛みを覚えて救急車を呼び、そのまま緊急手術となった。意識はずっとしっかりしていたし痛みも徐々に治まったので、そんなに大ごとだとは思っていなかったらしい。

手術になったと言われた時も、「ああ、ついに人生で初めての手術か・・」と思ったぐらいで、怖いと思う余裕もなかった。まさに「まな板の上の鯉」。昔の人はうまい表現をしたものだ。

手術室に入った時も「よろしくお願いします」なんてしおらしく言う余裕もあった。「では薬が出るので眠くなりますよ〜」と言い終わったのを聞かないうちに眠りに落ちたらしく、気づいたらICUのベッドの上だった。全身麻酔を開発してくれた人に猛烈にお礼が言いたいと彼女はしみじみ思った。

聞けば8時間にも及ぶ大手術だったらしい。終わったのは夜中の2時過ぎだったとか。金曜の夜だったのに先生方や看護師さん、楽しい予定があったのではないだろうか。深夜までいったい何人の方が私のために働いてくれていたのだろう。

術後も麻酔のおかげでそれほど激しい痛みはなく、痛みに弱い彼女には本当にありがたかった。辛かったのは手術で切った胸骨が咳やくしゃみの時に猛烈に痛むこと。ただ、彼女は以前に咳が止まらなくて肋骨を折ったことがあったので、あの時に比べたら咳が滅多に出ないだけ100倍マシだと思っていた。

最初は何をするにも1人ではできなかった。彼女は「助けてもらう側」の立場に初めてなって、その気持ちを感じてみた。しかしあれよあれよという間にいろいろな管が外され、次の日にはリハビリの先生が来て立つ練習をした。たった一日寝てたぐらいで立てないことがあるかと思ったが、意外にも足が「立つ」という状態を忘れていてびっくりした。食事も流動食から始めて徐々に普通に取れるようになった。

ICUを出て一般病棟に移る。彼女は1人の空間がないと死んでしまう生き物なので、個室を希望したら運良く空いていた。こういう時にこそお金を使えと言ってくれる家族に心から感謝した。

考えてみたら、彼女にとって「入院」というのも人生初めてだった。出産の時も、畳の部屋で家族で過ごすスタイルの助産院で産んだので入院という感じではなかった。

トイレに行かれるようになり、シャワーを浴びられるようになり、付き添いありでコンビニに行かれるようになり、徐々に行動範囲が広がって行った。ついに院内を1人で自由に歩いていいことになると急に自由を手にした気がした。地下のコンビニに行っておやつと紅茶を買って来る時、初めて買い物を覚えた子供のように気分がはしゃいだ。

食事は決してまずくはないのだが、やはり味気ない。特に魚はどうしてもパサパサするので味噌汁で流し込む。1人で黙々と食べるというのも何日も続くと辛くなってくる。そして入院して三週間を過ぎた頃から、彼女はなんとも言えない疲弊感を感じるようになった。これは、毎日同じ白い壁と天井をずっと見続けていることから来るのではないかと彼女は思った。窓は大きく景色も悪くないが、ここから外には決して出られない。

別に手足を束縛されているわけではない。個室なので1人でしゃべったり歌ったり好きにできている。院内も自由に歩けている。なのに、真綿で首を絞められるように、いつの間にかじわじわと不自由さに押し潰されてきている自分に気がついた。「ここから出られない」という不自由さに。

社会の中で、わたしたちって実はこんな感じなのかも・・

彼女はふと自分の頭に浮かんだそんな言葉に驚く。なぜそんなことを急に思いついたのか自分でもよくわからない。でも、考えてみたらその通りな気がした。いきなり捕らえられたわけでも、拘束されているわけでもない。だから自分は自由だと思っている。でも、世間の常識やら善悪の価値観やら人の目といった見えない壁にはばまれて、その外に出られない。常に「この範囲ならOK」という条件付きで、完全に自由には行動できない。気づかないうちにじわじわと疲弊していく・・・。

彼女はそれから、なんとかして外に出る方法はないかとずっと考えていた。コロナで面会も厳しく制限されているし、正面玄関にも裏の救急の入り口にも守衛さんがいる。突破は難しそうだ。土日の誰もいない時間に一階のフロアをうろうろして、ひょっとしてどこかのドアが開いていないかと思ったがやはりどこも開いていない。

そんなある日彼女は毎日受けているリハビリの時間に、中庭に出て歩行練習している人がいるのを見かけた。室内とは違う「地面を歩く感覚」を思い出しているのだろう。とても狭い中庭だが、ゆっくり歩くには十分らしい。彼女は体力回復が目的だったのでいつも室内のバイクマシンを漕いでいたが、勇気を出して「私も外を歩いてみたい」とリハビリの先生に言ってみた。

付き添いが必要なので今日は無理だけど、患者さんの少ない日があれば、、という回答だった。彼女は心の中で小さくガッツポーズをしてその日を待った。

そして3日後、ついにその時が来た。一対一で付き添いが必要な患者さんが急な体調不良でキャンセルになったので、少し外を歩きましょうか?と。その患者さんに、体調不良を喜んでごめんなさいと心で詫びながら、ほっぺたの筋肉がどうしても上に上がろうとする。筋肉は素直だ。

ドアを開けて外に出た。思ったよりも涼しい風がふわっと頬に当たる。考えてみたらもう10月だ。入院した頃は9月と言ってもまだまだ暑かったし、今でも日差しは強いので室内は暑い時もある。でもいつの間にかちゃんと秋になっていたんだな。

そして、

彼女は空を見上げた。首にちょっと違和感を覚えて、上を向くという動作をずっとしていなかったことに気が付く。そこに見えた景色のあまりの美しさに息をのんだ。病棟の白いタイルの外壁に囲まれたほんの数平方メートルの空。なんとも言えない深い青色に、ふわふわと筆で描いたような雲。ガラス窓にも空と雲が映っていて、まるで薄い壁一枚隔ててすぐ向こうにも空が広がっているような錯覚を起こす。なにもかもが幻想的だった。

しばらく身動きすらできなかった。「フリーーーダーーーーム!!!」ブレイブハートのメルギブソンの声が遠くで聞こえた気がした。彼女は突然走り出したいような衝動に駆られる。しかし走るにはあまりにも狭い。

その時ふと、細い木の枝がその空間いっぱいに腕を広げて伸びているのに気がづく。こんなに大きくなるとは思わず、誰かがここに植えたのだろう。今では枝の先が四方の壁にぶつかり、仕方なく上へ上へと伸びているようだ。壁からにょきっと頭を出すまで、あと少し。がんばれ。がんばれ。気づけば彼女はこの孤高な細い木に自分を投影していた。よく見ると壁の上のへりに、なんだか丸くて不思議な物体がある。くらげ・・?ここは海の底だったんだっけ・・?ふと分からなくなる。いやどっちでもいい。とにかくあれを目指すんだ。あそこまで行ったらきっとすごい景色が見えるんだろうな。

「中山さ〜ん。歩きましょう〜」付き添いの理学療法士さんに声をかけられて、我に返る。いつまでも空を見ていたかったが、上を向きながら歩くというのはどうやら難しいようだ。仕方なく顔を戻し、木に見守られ風を感じながら彼女は狭い中庭を歩いた。一歩一歩、しっかりと地面の感触を踏み締めて。




※この作品はフィクションかもしれません。



photo by 福永純一様(この写真を見た瞬間とても心惹かれてふと浮かんだ物語を書きました。ご本人が撮影された意図とストーリーは一切無関係です。)


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