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はじめて”女であること”を呪った日

「女に生まれたからには、女であることを利用してなんぼじゃない?!」

これが、私がこれまでジェンダーの話に対して抱いていた感情だ。だから、どうしてもジェンダーに対して展開される論を理解することができなかったのだが、タイトル通りはじめて、認識が180度変わる出来事があったので書き残したい。それは、ずっとお世話になっていたAさんに久しぶりに会った日のことだ。

Aさんは、大学生だった私がOB訪問に熱中していたときに会った方だ。ある会社の50代くらいの男性で、私の話すことを面白がってくれて、当時15人以上の大人たちと話をした中で特に私に刺さるアドバイスをくれる方だった。社会人になっても度々連絡を取り合い、何度か食事に行かせていただいていた。食事中自分がやりたいことをやるにはどうしたらいいのかを相談はしていたが、食事に行くと毎回Aさんにご馳走になり、普段は行かないような良いお店に連れて行っていただいていたので、心のどこかでラッキー!と思っていた。

そんなAさんと1年ぶりに食事に行った日。
これからの自分の人生をどうしようか悩む時期に入っていた私は、尊敬する人生の先輩としてAさんにアドバイスをもらいたかった。当日は食事をしながら、私の近況や今取り組んでいること、将来やりたいことについて話をして、Aさんはいつも通り、私に刺さる言葉をかけてくださった。

「ああ、やっぱりこれからもAさんには会っていただきたいな。いつか私もAさんにご馳走できるように、もっと頑張ろう」、私はそう思って店を出た。

それから、駅の改札に行くまでの間、Aさんは私にこんな言葉をかけてきた。「綺麗になったね」。そして、Aさんは私の手に触れた。握ったというほうが正しいだろうか。数歩歩けば改札のそばだったため、笑いながら別れたが、私はトイレに駆け込んだ。

そして、トイレの個室で何が起こったのかを理解したときにこう思った。
「そうか、食事もご馳走していただいているから、これくらいのことは仕方ない、当然のことなんだ」と。そして、そのあと帰りの電車でこうも思った。「ああ、私が男だったらこんなことは起こらなかったのだろうな」と。

Aさんからすると、「この子であれば手を握るくらい笑って受け流してくれるだろう」、「ご馳走しているのだからこれくらいいいだろう」と思ったのかもしれない。でもその日の私にとって、それはとても悲しい出来事だった。
だって、私が男だったら、「今度は割り勘な!」「今度はお前が払ってくれよ!」で済んだかもしれないことが、女であるだけで全く違う言動に変わってしまったから。その日の私は真剣に悩みを相談していたし、もう何度も会っているAさんだからと信頼して話をしていたのに、ただ美味しいご飯を食べるために近づいてきた若い女として扱われたと感じる行為を受け、その行為が正しいものであるように押し付けられたから。

そして同時に、軽々しく美味しいご飯を食べれてラッキー!と、女の特権を使っていた自分が浅はかだったことに気づいた。また、浅はかな自分を利用され、一瞬でも自分が行為に対して仕方のないことなのだと思ったことにも気づいた。女であることを”利用する側”でいたはずが、いつの間にか”利用される側”になっていた。

女であることで得をすることが多いのは事実だ。同年代の男女が食事をすることになっても、なぜか男性がおごる流れになったり、電車にはなぜか女性専用車両だけがあったり。でも、なぜそのような慣習や仕組みがあるのか考える必要があると、今回の出来事から学んだ。おごられるときにはその後男性の欲求に応える必要があるのかもしれない、痴漢など女性が危険な目に合う可能性があるから女性専用車両ができたなど、特権の裏には代償が存在し得ることを思い知ることになった。

私は女性であることを、せっかく女性に生まれたのだからフルで利用したいという気持ちに変わりはない。でもいつの間にか利用される側にならないよう、肝に銘じて生きていきたいと思う。


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