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【不定期連載エッセイ:二進も三進も行かないVol.10】 異文化とネイティブ

いつかのスパイダーマンノーウェイホームでの物語の中で歴代のヴィランを助ける、更生させるという意味でフィックスやキュアする(治療する、治す)という言葉が使われていたことがどこかで議題に上がっていたように、視点によってはどんな立場でも誰しもが患っている憤り。
※物話の中でFixからCureに言葉が移っていくことで表現したいことは十分伝わるように思う。

「Mr.じゃない、Dr. なんだ私は。」
僕と同じように何かの手続きのために銀行に来ていたおじさんが少し不服そうに対応している銀行員に答えた。
その時初めて敬称にもプライドとかってあるんだなあと思ったオーストラリアでの高校生時代。
知らない文化においてはどんなに勉強してもしっくりこない感覚なんていくらでもあって、理解はしてもしっくりこない感覚(誇りとか鬱憤とか)がある。Dr.から推測するに、医師であるという肩書きが恐らく私生活においても彼にとっては心の柱なのだろうが、別に気にしなくて良くな〜い?と本気で思ってしまう。アイデンティティの居所の話になるのでそれは自由なんだけども。
こういった感じ方をすることで毎度、僕はネイティブにはなれないのだと実感する。なりたいとかそういう話ではなくて。

ここでのネイティブというのは”英語ペラペラ”のそれではなく、その環境やコミュニティにおいて実感として違和感なく馴染めるという意味で、それが今まで生きてきて国内外問わずあまりない。
海外の場合は’非日本語圏での知らない文化+わかってもわからない’なので二重で難しいなと思うのだが、国内でも例として二郎系らーめんとか、飲み会とか、躊躇なく人より何品も頼むくせに割り勘だよね?という雰囲気のご飯とかはその世界の住人になれた試しがない。ちょっと例が雑すぎたけど、ずっと訪問者の目線しか持てない。

そういう環境では決まって「〇〇って〜じゃん」という方向の会話で、まず〇〇って何だよそれ・・・となることが8割以上で、着いていけずに話の腰を折ってしまうことが多い。同様の感覚になる人はいるだろうか。

いつだってじゃない方の感覚、昔から結局多数決なんだなと感じていた。少し態度や腕力、権力で優位に立った多数派が意見すればそれが正解なのです。
非英語圏の欧米人たちと英語で話す際に、明らかに自分らが理解できていないのに、僕の風貌や態度でまるで僕が何かトンチキなことを喋っている(英語話せていない)様な雰囲気に仕立てることが今まで何度もあった。もういいってそういうの。慣れても毎回疲れる。
そう。視点を変えれば別に気にしなくて良くな〜い?案件である。

先日、約1年ぶりに海外に行ってきた。初めてのイングランド、スペイン、フランス。いつか行ってみたいなと思ってた国々にこの人生段階で行くとは思っていませんでした。ちなみにひと段落前のアレはフランスだったんですけども。
海外が1年ぶりという事象に対して、あら恵まれてますねぇという感覚になる可能性があることは理解しており、その辺の感性には多少敏感な方だと自覚しているつもりなのでそういう奴が書いていると知っていただきたい。保身。

ブライトンという街からロンドンの家へ帰る電車にて、別に発車まで時間はあったのに一号車に座ってしまった。これが少し嫌な時間の始まり。想像してみて下さい。一号車というと、決まって時間ギリギリになって駆け込み乗車して来る人が乗って来る確率がダントツなのです。
案の定何組かの愉快な仲間達が乗ってきます。
時間にして1時間くらい。連日の移動で旅疲れして、ここくらいゆっくりしたいのに休まらない車内。同行した友人も疲れ果てて寝てしまったので、僕くらいは起きておかないと少し怖かったのもあります。(割と高所得者の地域みたいなので治安は大丈夫だったとは思うのですが)

以下その時のメモ↓

すごくストレスな電車
やっとのことで乗ったのに
犬連れた夫婦でかい声でなんかhiphop歌ってるずっと
隣に来た4人の中年ずっと僕らを見てなにか話しているずっっと
休みたいのにきぶんがわるい、言おうかな
奥でお酒を開けたいおじさんを助けるカップル
嗚呼永遠と酔っ払いトークの餌食に可哀想に
お酒おじさんが降りた後間髪入れずにどこからともなく呂律の回らないやつが座る何これ 確率の暴力
こないでほしいな
4おじさんは相も変わらずチラチラとこっちを
結局着くまで歌ってる夫婦 幸せなのは素晴らしいのよ
まるで気が休まらなかった
もう家帰って爆食

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久々に思ったこういう人たちは双方の意味で俯瞰をしない人が多いのだろう。視野が狭いとかでもないが、自分で自分の行動を想像したりしないのだろう。圧倒的一人称。それは多分生きやすいのだろうけどその生きやすさの土台に踏み躙っている人の気持ちがあるのだということも想像しないのだろう。欲に忠実というか、だからこそとんでもないことを成し遂げる人も出てくるんだろうけど。

自分で括っちゃってるじゃんって。結局怖くて言えてないじゃんって。堂々巡りです。全部妄想だけど、イギリスの電車ではそんな景色を見ていました。
これじゃただの僕の憤りの羅列になっているので文字のこういう使い方はあまり良くないかもねっ!ということで次回はたのしいヨーロッパ旅行ブログを書こうと思います。そしてなぜメモの最後で清算として爆食をしたがってたのか判明します。

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