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発達障害者が「プライドが高い」「理想が高い」「現実が見えてない」と誤解されてしまう原因


私自身、言語理解凸処理速度凹のASDですが、
よく「ASDはプライドが高い(高く見える)」という俗説がありますが、自分の体験も踏まえてその原因について色々考えてみました。


ASDが「プライドが高く」見えてしまう原因

・謝罪すべき時に、「何故そうなってしまったのか」因果関係の説明をして、言い訳がましい人だと誤解されがち

※この辺りは、ASDと多数派の人間関係における「快不快ポイント」のすれ違いで起きてしまうのかなとも思います。

何に傷つくか、怒りを感じるのかなど、多数派とは快不快ポイントが違うこともあり、ASDは「謝るべき時に謝れない人」扱いもされやすいのかもしれません。

・「納得できないと行動できない」ところがプライドが高く見える

※ASDは「納得できないと行動できない」ところがあり、特に子供〜思春期の頃ほど、家や学校で勉強や行事、校則について「なぜ今これをやる必要があるのか」と自分なりに疑問を投げかけたりする傾向があり、親や先生からは反抗的だと誤解されやすいのかもしれません。

・日常的なことより「深遠で高尚なこと」に関心を持ちやすく、理想が高く見える

※発達界隈を観測する限り、ASDに限らず、
WAISの言語理解や知覚推理などが高く、処理速度やワーキングメモリーが凹で差がある人。

もしくはMBTIの診断でN型(直観型)に偏っている人ほど、日常的なことよりも「深遠で高尚なこと」に関心を持ちやすく、学問や芸術を好んだり、「視座が高く、浮世離れする」傾向もあるなと感じます。


この認知特性は「全体像→細部」「抽象→具体」の順に理解しようとする「同時処理型」傾向とも相関性がありそうだとも、個人的に思います。

※参照note⬇️

継次処理型と同時処理型(「細部」から理解したいか「全体像」から理解したいか)

それが行き過ぎると、無意識のうちにスケールの大きい抽象的・哲学的な問題や、社会や世界の問題に意識が飛んで行ってしまって、目の前のことに取り組めないという問題も出てくるのかもしれません。

そして、目の前のことに取り組めないのに、スケールの大きいことを考えてるように見える様子を、「理想が高い」「自分の実力を買い被ってる」と誤解されてしまうケースもありそうだなと感じます。

発達凹凸がある人の場合、「納得できないと動けない」傾向や、全体像が見えない状態だと学びや行動を積み重ねるのが苦手だったり、認知特性的に少数派ゆえにロールモデルがないこともあって、努力の方向性や進路選択も迷走しやすい傾向がありそうだなと思います。

今学んでいることが将来何につながってゆくか、学びと進路(職業)の関連性を知ったり、その中に自分の興味関心やビジョンに合うものはあるか、

進路選択は「全体像を意識した上で、ビジョンと具体的な目標を結びつけてゆく」必要があると思われます。

※参照note⬇️
学業と職業のつながりを知って、進路選択の幅を広げる一覧表(※特に視覚優位の同時処理型向き)

・言語理解凸で学問を好む性質が「机上の空論」ばかり言っている人のように見えてしまう

あとはTwitter(X)の発達界隈を観測する限り、
言語理解凸の発達障害の人ほど、社会問題や、哲学・心理学、もしくはMBTIなど性格類型に興味を持ちやすいなと感じます。

アカデミックなことに関心を示す理由としては、言語理解凸特有の「納得できないと気が済まない」完璧主義も要因としてはありますが、

認知特性が多数派と違うのに加え、生きづらさを抱えた「社会的弱者」になりやすいため、人一倍、学問を通じた自他理解や社会問題に対する理解が必要だったりして、社会や人間について、誰よりも必死に学ばざるを得なかった発達障害の人は多いのだということを改めて考えさせられます。

・社会適応力より先に、抽象(哲学的)思考から成長する

※日常的なことより、「深淵で高尚なこと」に関心を持ちやすい特性にも共通するところですが、

特に、言語理解や知覚推理などが高く、処理速度やワーキングメモリーとの差がある人は、若い頃ほど「※非同期発達」からくるモヤモヤに悩まされて、その不安感が対人関係にも影響を与えてしまうケースもありそうだなと感じます。

※非同期発達…ギフテッドや、発達の凹凸が強い人が成長していくときに、ある部分は速く発達するが、他の部分は年齢相応か晩熟な発達を示す状態。

言語理解凸処理速度凹の自分の過去を振り返ってみてもそうでしたが、社会適応力より先に哲学的思考・抽象思考が成長してしまうため、若い頃ほど、同世代から見ると「知的ぶってる」ように見えてしまう可能性もあります。

もしくは、そういった発達凹凸のせいで、
子供の頃から社会慣習や世間の矛盾を敏感に察知するが、それを言語化するための語彙や、具体的な人生経験が追いつかずに苦しみ、不機嫌になりやすい傾向もあるのかもしれません。

社会適応力や人生経験より先に、哲学的・抽象思考や、世の中の矛盾を敏感に察知する感受性が高まってイライラしてしまうことについては、多数派でも思春期には誰もが通る道だとは思いますが、発達凹凸があるとその度合いも極端になりがちかなと改めて感じます。

以前に“ASD傾向の人は、30〜40歳でようやく「人間らしくなる」?”というタイトルのnoteを書きました。

現在私は30代前半ですが、若い頃と比べると、
「何故どうして?」といった感じの思考の掘り下げや脳内多動が減ってきて、やっと目の前の人との交流を大切にできるようになってきたような気がします。

ただ、そうできるようになったのも、
自分なりにTwitter(X)で、様々な人とやりとりをしたり、自分なりに興味関心事を掘り下げてきた経験のおかげかなとも思っています。

※参照note⬇️
ASD傾向の人は、30〜40歳でようやく「人間らしくなる」?※非同期発達について


まとめと感想

※ 発達障害者が「プライドが高い」「理想が高い」「現実が見えてない」などと誤解されてしまう原因については、人間関係において快不快を感じるポイントが多数派と違うため誤解されやすいのと、

認知特性の違いで、理解や実行に必要な手順が違うだけなのに、理解できなかったり実行できなかったりして、やる気や性格の問題にされてしまうことも原因だと改めて感じます。

そして、Twitter(X)の発達界隈には言語性優位で文章力があり、博識な発達当事者の方が多くいますが、自分の生きづらさの原因を探るために、人間や社会の問題について必死で学んできた当事者の方が多くいるのだと痛感します。

または言語理解凸で「頭でっかちで不器用」だと劣等感を抱えながらも、貴重な凸を活かそうと必死に学んできた博識なASDの方も多いのだと改めて感じます。








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