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東と西の薬草園⑧-1「夏庭の過ごし方」

借り物に対する遠慮は誰にでもある。人間自分のものを1つは持ちたいという願望があって当然だ。欲しいものが「自分の家」だと言う人も多いだろう。

赤石みどりもその1人だった。借り物のロッジを出て、山を下りたのは、借り物の家に釘を打つことができなかったからだ。せっかく作ったフラワーリースも、押し花も、好きなように飾ってくださいと言われても、あちこち壁に穴を開けていいものか、どうしても遠慮があった。自分の次に、ロッジを借りる人が傷んだ壁を見てどう思うだろうか。

自分だけが好きなように楽しんで、次に借りる人ががっかりしてしまう。そして、このレンタルガーデンの良さを理解されないことになって、オープンしたばかり『峠道の貸庭』がなくなってしまうことが嫌だった。人によっては「心配性だ」「気にしすぎだ」というのかもしれない。しかし、みどりにそれくらい大事に大事に育てたい場所だった。定年後に見つけたみどりの夢そのものが、果実町の「峠道の貸庭」だった。

秋前にオープン予定だったレストランに待ったがかかった。
待ったをかけたのは、新入社員のみどりだ。

「山を切り開いて下の沢までの見通しを良くしなければいいならないと思うの。もちろん景観が良くなれば覗き込む人もいるだろうし、柵を立てて安全対策をバッチリしなければいけないわ。でも、やっぱり住むなら快適さは大事よ。正直ここの庭は綺麗だけど、この峠道に来るまでの道は、杉林が続いてて、代わり映えがしないわ。せっかく素晴らしい峡谷も杉林に阻まれて全く見えないんだもの」

年下の先輩社員たちに気後れすることもなく、みどりは自分の理想を語った。
これまではそれぞれの休みが合う日に、4人で富居家の邸の空いた1室を借りて、手書きのメモ紙のような提案を取り交わし、30分ほどしたら、プロジェクターを取り出して、映画鑑賞をしながら、なんとなく語り合うという形で会議らしい会議はしてこなかった。

しかし、みどりや湧水が加わったことで、締まりのない集まりにもようやく会社らしい形が見えてきたようだ。

とはいえ、相変わらずこの貸庭にオープンするレストランのメニュー開発の試食会を兼ねての会議だったから、木漏れ日の差し込む広間で社員以外の誰かがその場にいれば傍目にはのんびりした光景に映っただろう。
しかし、みどりだけでなく、湧水まで漫画家の手腕を遺憾なく、発揮した素晴らしい想定の企画書を作ってきており、2人の熱意に押されて、話はどんどん盛り上がった。

「コインランドリーが欲しいんだ」
と湧水が言った。

「山の天気は変わりやすい。そうでなくても近年の日本の天気は不安定になっている。雨が降ったら、何日も洗濯物を干せない。ここは、自然豊かな山の中だから、虫だってつく。新しく作るロッジ全部に洗濯機を置くよりは、コインランドリーを作った方が、経済的で環境にも優しいと思うよ」

湧水の提案にすぐに乗り気になったのが、霞とカエルだった。

「いいんじゃないかな。ここにコインランドリーがあると助かるよ。庭作業して汗かくよね。着替えて汗まみれの洗濯物を家に持って帰ると臭くなっちゃってると思ってたんだ。これなんてしがない実家暮らしだから、俺の洗濯物を混ぜるのが申し訳ないというか洗濯機が2つ置いてあればなーなんて思ったり」

「庭作業終えてさ。コインランドリーに洗濯もん出して、出来上がるまでレストランで食事してもらって、いいんじゃないかなぁ。温泉を広げる計画もあったよね。庭作業して、温泉入って、洗濯もん出して、レストランでモーニングを食べて、暑い日は読書でもして・・・。あ、コインランドリーの隣に貸本屋作ってもいいよね。談話室みたいなさ。夢が広がるなぁ」

思いのほか、潔癖な男性2人の発言に遥が驚いていると、2人の妄想はさらに止まらなくなったようだ。

「環境に優しいと言えば、洗濯石鹸をハーブで作るのも良いかもしれないよね。うちでやってみようかなぁ」

「さすがヤマさんは新商品の余念がないね。酒蔵会社に園芸部門ができちゃうんじゃないか」

「実は、園芸部門を作ったんだ。園芸部門というより、薬草部門かな。薬草の資格を持ってる人がたまたま見つかってさ。ここのハーブ、全部引き取って、うちで商品開発しちゃおうかなんて話してるんだ」

「おいおいレストランにおろす分も、残してもらわなきゃ、レストランが開店できないよ。ハーブが売りなんだから」

「え?ハーブが売りなのか?薔薇をコンセプトにしたいとか言ってなかった?」

「身の丈に合わないことをやめたんだ。ハーブ料理なら、1年契約でシェフやってくれる人が得意らしいから、俺も教われる。ハーブティーは詳しいみどりさんが淹れてくれる予定なんだ」

「昔からお茶に凝っていて良かったと今ほど思ったことはありませんよ。オープンが待ち遠しいですね!せっかくだから、レストラン用のエプロンもオリジナルで作ってもらおうかな!湧水さんのイラスト入りで!」

みどりが年齢を忘れて子供のように、はしゃぐと、湧水も「いくらでも描きますよ。実は、飲食店で接客のアルバイトをするって憧れてたんです。自分が着るユニホームを自分でデザインするなんて、こんな夢みたいな話があるんだなぁ」と感慨に浸った。

「メニュー表のデザインも忘れないでくださいね」

カエルがすかさず言い添えると、湧水がはしゃいだ声で「任せてください」と請け負った。

夏の日差しが強くなってきた7月半ば。
ようやく梅雨が明けて、気温が30度を超える蒸し暑い日だった。
冷たいハーブティーで喉を潤しながら、長閑に談笑しているようでいて、熱気をみなぎらせて夢中になって話している5人に時折、相槌を売ったり、質問したりしながら、遥は珍しく、ただ聞き手に回っていた。

話に夢中な5人に代わって、下手な字で、1人メモを取り、この「峠道の貸庭」に理想郷を作ろうとしているような人たちをまぶしく眺めていた。
まるでみどりは生きなおしているようだ。
定年して、田舎に移住し、これまでの人生と全く違う道を歩もうとしているみどりが1番まぶしい。遥の倍の年齢でありながら、遥よりよほど夢見がちで、エネルギーに溢れていた。

「世間の夏休みが終わったら、イベントは石鹸作りをしましょうよ。冬には温泉ができたら、その石鹸が使えるわ」

「これから乾燥するから、スキンケアオイル作りなんていいんじゃないでしょうか。自分1人用にはもったいないけど、私、蒸留器が欲しいと思っていたんですよね」

暑さで食欲がないと言っていたはずの香が、みんなと話している間に、一番先に料理を平らげていた。それを見たカエルがしばし席をはずして、夕ご飯まで作って準備してくれた。

「いいなぁ。俺、実は肌が弱いんですよ。草まけがひどいんだけど、自分に合うハーブを探す楽しみも、それはそれであるなって思ってきたところなんです。自然由来の石鹸とかスキンケアとか試してみたいと思ってたんです」

カエルの発言をその場にいたみんなが内心で意外に思った。カエルはこれまで、草まけのことを他人から指摘されるのを嫌がっていた様子だったからだ。みんなの前で「かゆい」と言ったことがなく、湿疹が周囲に見えないように注意深く隠していた。しかし、長袖を着ていても袖口から入り込んでしまうのか、かぶれが広がるのだ。庭作業しない間も、夏になってもずっと長袖というわけではなかったから、湿疹があるのは分かっていたが、口を出すのも気分を害するかとみな指摘できずにいたのだった。

「まずは市販のスキンケア用品を試してみるところからかな?そしたら成分とかもわかるでしょ。そういえば、この間うちの猫にあげたキャットフードの成分表にローズマリーって書いてあったんですよ」

香は保護猫活動がしたいと、今準備中だった。そのために、世間が夏休みの繁忙期は旅館の仕事を休む。レンタルガーデンも、真夏はイベントをしないので専念できてちょうどいいということだった。
いつから始められるかわからないが、それに先んじて、香はこの山にいた野良猫を飼い始めた。
保健所に届け出て飼い主がいないか確かめているところだが、住宅地からはだいぶ離れた場所なので、おそらく捨て猫だろう。
実は遥がこっそり外で餌をやっていた一匹であった。

香が「ようやく触れるようになって捕まえた」と言って来たときには、遥は何か自分のものが盗られたような一抹の寂しさを感じた。

しかし、それが自分勝手な感情であることも分かっていた。地域猫活動が許された場所でもなく、むしろ餌やりは身勝手な行為だと禁止されている。
香のようにきちんと手続きして筋を通さず、遥が気まぐれで餌だけ与えていたとしても、それはおよそ自分の感傷を慰めるだけの行為に過ぎなかった。

実家にはすでにここで拾った猫を1匹飼ってもらっている。もう1匹飼う事は無理だろうなと思って諦めていた。
しかし、富居の屋敷には常に人がいるわけではなく、広い屋敷では探すのも大変だからと香が帰ってくる日以外は預かっていたから、触れ合う時間は多かった。

ただ、猫のための道具は香が全て買い揃えたもの。三毛柄のその猫と一緒にいる時間は香と変わらないほどなのに、香から猫の体調の事や好きな玩具や好きなご飯の事を聞くと、やっぱり自分は飼い主ではないなと思うのだ。

「そうですね。男性用のスキンケア用品てあんまり種類がなくて、女性用の化粧品のところに買いに行くのがちょっと恥ずかしかったんですけど、オススメがあれば教えてください。最近、肌が本当に荒れてきて、ガーデニングが楽しめないなと思ってきたところなんです」

カエルは提案した香だけでなく、その場にいた全員にペコリと神妙に頭を下げた。

「そういえば、俺も入院した時は、することもなくて、肌が乾燥してたから、親から化粧水とか差し入れてもらってケアしてたな。最近は気にしてなかったけど、気をつけないと。最近は暑いし、日差しも強くなって、去年みたいに日焼けで首の後ろの皮がめくれたら痛いから」

霞も自分もスキンケアについて教えてもらいたいと頼むと、香とみどりは快く引き受けたが、遥は何も言わなかった。スキンケアとか化粧品とか全く詳しくなかったからだ。地元に帰ってきてからは、ほとんど化粧もしない日が続いていた。どちらかと言えば、スキンケアを遥も教えてもらわなければならない立場だった。30代も後半となると、肌の衰えはそろそろ気になってくる。いや、関心のある女性なら、10代から肌のケアは怠らないのかもしれない。

ガーデニング1つでこれほど夢が広がるものかと、他の5人の話に聞き入るばかりだ。
この間、庭のデザインになるものをやってみて、自分が好きな色や花の香りなどやっと探し始めたばかりの遥はまだそこまで庭に夢を見ることができない。

そう。夢だと思ったのだ。聞いていた遥だけでなく話していた本人たちも、どれか1つぐらい実現したらいいなぁという気持ちだった。
それがたまたま翌日貸庭にやってきた山鳥の会長の鷹之に昨日の楽しかった、夢の話をして、メモ書きを渡しただけで、全ての夢が実現に向かい、レストランの建物の完成前にコインランドリーが貸庭にやってくるなど想像もしていなかった。

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