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”意志"<"意思"

すこし前まで「意志が強い」という言葉に強烈な魅力を感じていた。
自分を持っている感じがするし、何か頑ななものを感じさせる、
一つのことをやり遂げようとする姿勢が言葉から見えていた。

けど今は、 
この言葉に前ほど惹かれなくなった。


高校時代の国語の勉強でお世話になった「マナぺディア」は"意志”について、

意志とは、ある行動を「する!」と決意して、その気持ちをキープしようとする積極的な心の持ち方を意味します。

と説明している。
ちょっと前の私なら、この文章読んで「素晴らしい!」と絶賛していただろう。

やるぞ!と心に誓って、
その気持ちを積極的にキープするなんて、
カッコいい、

って。

だけど今は、"意志”という言葉に対して、脆さと切なさを感じるようになった。

もっとできると言い聞かせる。
挫けそうになる自分を排除しようとする。
その状態を「キープ」しようとする。

「意志が強い」という表現は、肯定の意味でよく使われるけど、この言葉の裏にちらつく脅迫的な何かや苦しさ、葛藤を私は敏感に感じるようになった。

もちろん何かを成し遂げるには、耐えることや、モチベーションを保つことも必要だろう。

でも「積極的にキープ」しようと思わなければ続くことがないという、"意志"の危うさをみんなはどのくらい知っているのだろうか。

私的カッコいい言葉の一つだった“意志”は、
今やエネルギッシュなのに悲持続的な、不思議な言葉に聞こえてならないのだ。

"意志"よりも"意思"

そんな私は、最近"意志よりも"意思"という言葉を大切にしている。
「マナぺディア」先生は意思について、

意思は「自分の考えや思い」のこと

と説明している。超短い。


他のサイトではどう説明されているのか。

(こちらも大学受験でお世話になった)「スタディサプリ」は、

「意思」は頭の中に考えがぼんやりと浮かんでいる状態、または「~したい」と感じている状態を示す。
頭の中で考えていることであり、ぼんやりしたものもあれば、クリアな思考も含む。

通常のコミュニケーションの中で思いを伝える場合は、こちらの用法が多い。

と言っている。


こうして"意志"と"意思"の説明を読んでみると、


"意志"は
「〇〇しなければならない」という行動のmustが伴うのもの

"意思 "は
「〇〇したい」という純粋な感情のwantが源になっているもの

というように捉えられる。


個人的な解釈かもしれないけど、私はそう思える。

そして同じ読み方をするのに、すごく違う言葉に聞こえる。


"意思"は甘え?

"意思"はぼんやりしているもあれば、クリアなものもある。
でも全部自分から湧き上がる本物の感情。

多くの人にとっては魅力的には聞こえないかもしれないけど、
私は「意思を大切にする人」の方が、
「意思の強い人」よりも強いのではないかと思う。


自分の純粋な声に耳を傾けて、
自分のありのまま、強さも弱さも受け止める。

「〇〇したい」という自分の純粋な感情で動くから、苦しさはない。
他人や社会の評価ではなくて、自分のものさしをちゃんと持っている。

「意思を大切にする人」は柔らかいけど、ちゃん芯があるのだ。

「〇〇したい」ばかり大切にするのは自分に甘いんじゃないか、
という人もいるかもしれない。

確かに、何か一つのことを成し遂げるときには、
耐えだったり、ある程度の努力は必要になってくる。

でも"意思"が土台になかったら?

湧き上がる、純度の高い感情を押し殺して得た”成功"は果たして自分を満たしてくれるものなのか。

疑問に思ってしまう。

成し遂げたときに「やりたいことだったのかな、これ」って
呟いちゃうなんて、悲しすぎやないか。

「意志が強い人」を目指していた私


思い返すと、私はこれまでずっと
自分の「〇〇したい」という"意思"を
"意志"が持つ、「〇〇しなければならない」で押し殺していた。

そんな私はお察しの通り「ハッピー」ではなかった。

"意志"で成し遂げたことを、みんなは褒めてくれる。
けれどそれが皮肉に聞こえるくらい、私の中身は疲れ切って、燃え尽きていた。


"意志"にくっついてくる「〇〇しなければならない」の方が
ずっと危険なのだ。


一番の問題なのは、自分だけじゃなくて、周りに対してもこの行動のmustを求めてしまうこと。

「私はこんだけやってるんだから、あなたも〇〇するべきでしょ」
みたいな。

自分の"意思"にも向き合えていない状態で、
相手の"意思"に耳を傾けることなんてできるわけがない。

いやいや、相手に対してはちゃと気使えてますよ、って人。

本当に?って私は思ってしまう。
たとえ表面上できていたとしても、絶対どこかで歪みがくる。


"意思"を大切にする人


「意志が強い人」は意外と沢山いる。
けれど、「意思を大切にする人」は実はそんなにいないんじゃないかと思う。


私は最近、やっと「"意志"<"意思"」のマインドを手に入れて、
自分の"意思"を、純粋なwantに耳を傾けられるようになった。
そして、相手の声も聞こえるようになった。

というより、聞きたい、と思うようになった。


軽やかだけど、満たされていて、なんでもできそうな、
そんな感覚がある。



"意志"を否定するつもりはない。
何かに向かって努力することは素敵だと思う。

ただ、その土台に"意思"があるのか。
勝手にmustを自分に課してボロボロになっていないか。

ちゃんと心の声を聞いてみることが大事だと思う。



湧き上がる"意思"で、私が、あなたが、
もっともっと輝けますように。


由真







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