「社会問題知りたい欲」 〜オーストラリア留学の話〜
社会問題への関心が強い方だと思う。
というのも、春休みだし、大学に入学してから今までやってきたことを整理しようと思って、ノートに書き出してみたら、そのほとんどが、社会の問題に対する私なりのレスポンスのように思えたのだ。
実際に周りからも、ユマはそういうのに敏感だよね、と言われる。
社会について知りたいと思うようになったきっかけはいくつかある。
だけどやはり、高校一年のときに、オーストラリアのダーウィンで10ヶ月間生活したことが、私のこの「社会問題知りたい」欲を爆発させたのだと思う。
今日はなぜ私が社会問題について関心を持つようになったかについて、オーストラリアでの体験を振り返りながら、話してみようと思う。
留学先のダーウィン
私が高校一年の一月から10ヶ月間滞在していたオーストラリアのダーウィンは、ノーザンテリトリー州の首都で、アボリジニやアジア系の移民が多く暮らす、まさに「多様性」豊かな場所だった。
それぞれ人種、信仰する宗教も違えば、辿ってきた歴史も違う、この土地での体験が、私の貪欲な「社会について知りたい欲」を生み出した。
◉ダーウィン空襲/歴史の授業
ほとんどの日本人が知らないと思うが、実はダーウィンは、戦時中の1942年、旧日本軍に大規模な空襲攻撃を受けた場所だった。
この事件はのちに"Bombing of Darwin"ー「ダーウィン空襲」という名前で語られるようになる。
ダーウィン空襲は、オーストラリアが初めて外国勢力から本土に攻撃された最初にして最大の攻撃だったため、今でも空襲のあった2月19日になると、大々的な追悼式がDarwin Harbourで行われる。
私は留学中、現地の高校でYear10(日本でいう高校一年生)の勉強をしていた。
History はYear10の必須科目で、第二次世界大戦から現代までが主な学習範囲だった。
オーストラリアにとって、ダーウィン空襲をはじめとする日本軍との対立は第二次世界大戦中のハイライトで、もちろん大々的に取り上げられていた。
ダーウィン空襲や、ココダ道の戦いなどの「オーストラリアvs日本」の生々しい史料や写真を見せられた私は、唖然とした。
まずそもそもオーストラリアと日本がバチバチだったなんて。
しかもここダーウィンがその被害を受けていたなんて。
全然知らなかった。
歴史の教科書に載ってたっけ?と思った。
史実を知らず、この地に来てしまったことに反省している私に追い討ちをかけるように、
“How awful(酷すぎる)”
“Isn’t she Japanese? (彼女日本人だよね?)”
という声がたびたび聞こえてきたりした。
Historyの授業はずっと肩身が狭かった。
◉「南京大虐殺って知ってる?」
歴史関連で、歯痒い思いをする瞬間はHistoryの授業外でもあった。
Mathのクラスで授業を受けていたら、中国人の留学生が隣に座ってきた。
同じアジア人だ!と思って親近感を感じて近づいてくれたのだろう。
“Hi! What’s your name?”
とフレンドリーに話しかけてきてくれた。
名前を言って、簡単な自己紹介をすると、お決まりのセリフ、
“Where are you from?”
と聞かれたので、
”I’m from Japan.”
というと、
“Oh, I’m from China. “
と返ってきた。すると、
“Hey. Do you know the Rape of Nankin?”
と聞かれた。
“The Rape of Nankin” ー「南京大虐殺」は、日中戦争中の1937年12月に、旧日本軍が中華民国国民政府の首都だった南京を制圧し、捕虜や一般市民を殺害するなどした事件だ。
この残忍な行為に対する日本側からの正式な謝罪がないこと、両国で推定犠牲者数の食い違っていること(日本側は4万〜20万人、中国側は30万人と主張)などから、日中関係の緊張の原因になっていることはさすがの私も知っていた。
でもその事件について、中国人から面と向かって言及されることがあるなんて夢にも思わなかった。
なんて返せばいいのだろうか。
(酷いことをしたのはわかってる。)
(でも何を目の前の彼女は求めているんだろう。)
(拙い英語で私は何を伝えればいいんだろう。)
そのあとのことはあまり覚えていない。
多分私は”Yes. ” ”I’m so sorry”とかなんとか言って、彼女はどこかへ行ってしまったような気がする。
たった数分の出来事だったけど、すごく疲れたことだけは覚えている。
あんなことを突然いうなんて、いくらなんでも失礼じゃないのか、という怒りもあったが、それよりも、自分が咄嗟に意見を言えるほど、その事件に、歴史に、しっかり向き合ったことはなかったことに気が付いた。
ものすごく情けない気持ちになった。
英語で自分の思いをうまく伝えられなくてもどかしい思いをしたことは何度もあったけど、
これに関しては日本語で聞かれてもうまく返せていなかったのではないかと思った。
◉スクールバスの中での会話
それから数日経ったあとのこと。
スクールバスの中で、後ろに座っていた男女グループの会話が聞こえてきた。
白人とアジア人2人の3人組で、どうやら歴史の授業の話をしているらしい。
「やっぱり戦時中のアジアの話って残酷だな。特に日本軍ってやばいよね。ひどいことばかりしてたよな」
「それでもさ、正式な謝罪とかはないんでしょ?そりゃ中国とか韓国との関係も悪化するよな」
「うん、だから日本は嫌われるんだよ」
ショックだった。
数学の授業の一件があってから、今でもアジア人の中には戦時中の記憶から、反日感情を抱く人が少なくないことは重々承知していたけど、立て続けに、そうした人たちと対峙することになるとは。
後ろの彼らは私のことを日本人だと知らずに話している。意地悪では決してない。
ただ、日本のテレビ番組に登場する、「ニッポン大スキ」な外国人ばかり見慣れていた私は戸惑いを隠せなかった。
でもそれより。
私は日本にいたときに、歴史の授業について友人と話すことが一度でもあったかな?と思った。
そういえば同世代なのに、学校の子たちは歴史、宗教、社会問題の話を当たり前のようにしている。
英語ができなくて、なかなか輪に入れないと思っていたけど、そういうことか。
(私、世界のこと何も知らないじゃん)
(いや、知ろうともしてなかった)
多様なバックグラウンドや歴史認識をもつ、オーストラリアの人々と、社会のこれまで、そして今を知らずに、通じ合えるわけがないのだ。
知る努力をしようと心から思った。
今のままでは、とにかくダメだと思った。
◉そこからの日々
オーストラリアでの生活をしていく中で、私は英語の勉強も兼ねて、海外のニュースやYouTubeをなるべくチェックするようになった。
無知なのは仕方ないけど、無関心でいることは避けたいと思うようになった。
BBCのポッドキャストを聴いて、AsianBossのビデオを見て、
・世界で何が起きてきたのか
・そして今は何が起こっているのか
知る努力をした。
そうしていくうちに、いろんなモノの見方があることを知って、数学のときの中国人の子や、スクールバスの子たちの気持ちも理解できるようになった。
むしろ彼らの主張に同調できるようにもなった。
しかも大戦前を遡れば、アジア諸国と日本は同じ民俗性と文化を共有してきた兄弟のようなものだったのだ。どれだけボロクソに言われても、彼らに対して一種の愛おしさまで、抱くようになった。
いろんな事実や、モノの見方を吸収していくうちに、自分と他が、世界がぐっと近くなった気がした。
それからのダーウィンでの生活は楽しくなったように思う。
英語が(超じわじわ)上達していったのもあると思うけど、言語というレベルでは語れない、心が通い合う瞬間が増えていった。
歴史を、自分たちが生きる社会を学ぶことで、目の前の多様なバックグラウンドをもつ人をちゃんと受け止められるようになったのだと思う。
それからは、帰国してからも、連絡を取り合うような友人が何人もできたのだった。
◉なぜ今日この話をするのか
今日は、2月19日。
お気づきの方もいるかもしれないが、ダーウィン空襲が起きた日だ。
ダーウィン空襲について取り上げているネットニュースは、今日のお昼時点で上のものぐらいしかなかった。
多分多くの日本人がこの事実を知らないし、知ることもなく一生を終えるかもしれない。
でも、ちょうど80年前に起きたこの事件は、私を反日感情と対峙させ、世界と接続させてくれたことの一つだ思う。
ダーウィン空襲で、起こる必要のなかった戦争で、尊い命を失った全ての方に追悼の意を込めて。
Lest We forget. 愛と祈りを捧げます。
歴史認識や社会問題と向き合うのはしんどい。でも、知ってからみえる世界は物凄く違うのだ。向き合うことで、豊かになるものがたくさんある気がする。
だから「社会問題知りたい欲」旺盛で私であり続けたいと思う。
帰国してからもう4年が経つけど、これからも、他者と世界を学びつづけることをこのnoteに誓います🌎
由真
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