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自分の第二言語を求めて

皆さんは英語喋れますか?僕は中学校の授業で学んでからの約7年程人並みに触れてはいましたが何かと苦手意識があります。継続力がモノを言う言語の壁。中学高校でそれなりに英語を学び、そして浪人を経てAO試験の英語の論文で今の大学に入ったとはいえほぼ喋れません。学んでいる期間とアウトプット出来ないギャップを俯瞰的に見てしまう。そこから苦手意識が生まれているんだと思います。

そんな思いから、自分の第二言語を探してみようと大学2回生の時から色んな言語にNHKの言語番組を通じて触れてみました。その中で、幼少期からサッカーで興味関心のあったイタリア語を学ぶことに楽しみを覚え、継続して学んでいました。僕の学部では英語に力を入れており、1.2回生では毎日英語の授業が必須であることから第二言語の授業がありません。このように英語尽くめの大学生活で英語が喋れないというか自分から進んでやらない自分に嫌気がさしていた。1回他の言語に触れてみよう。軽い思いではじめました。

この軽い思いからまさか1年後自分が留学に行くとは思ってもいませんでした。そんな自分のように今ある環境が邪魔しているような人に少しでも力になりたい。自分の思いが強く、行動をすれば何が起きる!てことを少しお話できたらなと思います。

先程触れたように、セリエA(イタリアサッカー)が昔からとても好きだったことからイタリアを見る機会は自分にとって無意識に多かったと思います。誇れることであれば90年代から今現在までのイタリアサッカー事情には22歳の若者コミュニティの中では結構知っている方だと自負します^^

サッカー好きが高じて、イタリア料理や音楽、美術など日本でもお馴染みのものから大きな括りとして人であったり文化てものには興味が昔からありました。興味はもちろん、どこか自分とリズムと合うものがあるなと密かに思ってました。

そこから始めたNHK番組でのイタリア語講座。やり始めて分かるのですが、1週間に30分1回のお勉強というのはどこか物足りなく思います。そして向上心があればあるほど質問したくなると思います。軽く始めた勉強の割には最初から変にかかっていた僕は大学でイタリア語学べないのかな?と思うように。

大学によっては簡単に受けれるとは思うのですが、僕の環境としては乗り越えなければいけない壁がいくつかあり、今通っているキャンパスがサブキャンパスであることが大きな原因でした。イタリア語を受けれるのがメインキャンパスしかなく、残念ながらにお金をかけて通う事しか選択にありませんでした。金なし乞食大学生にとっては大きな痛手。
そして次は単位の問題。メインキャンパスに通って授業を受けるということは、空きコマに入れようかなんて頭にならない。わざわざ行かざるをえないが故に、その日は授業が入れられない。ということはそれまで単位を早めに多く取得しなければならない。なんて融通の効かない学校なんだ、嘆くことしか出来ない。まあそんなこんなで3回生から大学の授業でイタリア語を学ぶことに。ただ、初回から驚くことが、。サブキャンパスから来た子が僕しかいないことはイメージ通りとはいえ、僕くらい熱意を持って学ぼうとしていた子が少ないことに気付かされた。メインキャンパスに通うクラスメイトたちは皆空きコマ感覚で授業を受けていた。そのため課題をきちんとしてくる人はまずいないし、そして甘めの日本人教師。これから僕としては助けてもらうことが多くなるエピソードがあるがそれとは別に、日本人教師かとマイナーな言語を学ぶ環境に嘆いた。でもここしか環境がないと思い、毎週通うことに。

夏に授業が終わり、どこかやりきれてない自分がいた。大学生活なんかこのままでいいんか?行けるもんなら留学行ってみるか!とまずは友達に相談。周りに留学をしに行った人が多かったがみんな英語圏。なんならこれまでの僕を知っている友達からは冗談半分に受け止められた。僕も冗談のようにしか思えなかった。ろくに英語も喋れないから。

次は大学に相談。何とか行けませんかね〜?と相談していた僕が馬鹿だった。学部の風潮からも英語圏には幅広い情報と選択肢があるが、イタリアは皆無。誰も相手にしてくれない。ほんまないん?と思った僕は少しキレ気味に深堀してみた。すると僕の状況では大学の交換留学を通してしかいく術がない。それにTOEFLのスコアを規定以上取らないと申請すらできない。申請できたとて枠を争うため確定ではない。イタリアなどマイナーな国は特に英語のレベルが高い子が行ける。そして、3回生の僕としては夏休みにある2回の試験でスコアを取らないともう申請すら無理。こんな状況だった。

終わった。だって英語無理やねんもん。ほんで3回の夏休みて就活に向けた準備期間やしあかんやん。なんでイタリア行くんに英語しなあかんねん。コロナ入学の僕らにもう少し猶予くれたってええやん。
率直な感想としてはこれ。
少し話がズレるが、僕には20歳の時に親友を亡くした過去がある。その親友は寝ている間に心臓麻痺のようなものでこの世を去った。この子から色んなことについて考え、学んだ。この子からいつ死ぬか分からない恐怖を知り、自分の人生に後悔のないように行きたいとそう思った過去が自分にはあった。

そうともなれば、やるしかない。今しかない。夏休み献上で必死に英語に食らいつく2ヶ月が始まった。友達からの予定を尽く断り、自分が集中するための環境を整えた。自分を誘ってくれる嬉しさを噛み締め、冗談半分に捉えていた友達を見返したいという気持ちも芽生えてきてか本気だった。

夏休み終盤、やっと2回のテストを乗り越え一区切りした。結果は見事スコア習得。
すごいやん!おれ!

いざ申請をしよ!としてもう一度留学要項を読み込んだ。するとなんか思ってたんと違う展開になってきた。

「本学の交換留学は基本的に分野の学びを英語でするための留学である。」

は?!どゆこと?

まず大学に相談。聞いてみると、イタリアには行けるがイタリアの大学内で何かの分野を英語で学ぶためのコースしかないと言われた。話がちゃうやん。騙された。そんな気分。(自分がきちんと夏休み前に聞いていなかったのも悪いが)
でも夏休み前の考えとして、イタリアに行くためには大学経由しかないと思っていたし、お金や日本の大学の兼ね合いなどからも大学経由がいいのかもと。スコアは取ったものの非常に思いが揺れていた。

ひとまず保留してみることに。自分がどんな留学をしたいか再確認する時間を設けた。結果的に「イタリア語の学びを通して、イタリア人や文化に触れたい。学びたい。」という思いに至った。イタリア語を最初に触れた感覚を味わい続けたい方を選んだ。

結果、大学の交換留学を断念。そこから色んな人に日本できちんとイタリア語を学べるところやイタリア留学について聞くことに。ある日、僕はイタリア語向上に向けてイタリア文化会館のバイトの面接に向かった。夏休みで英語尽くしの僕はほぼイタリア語を忘れていた。そんな自分が奥の部屋に連れていかれ、いざ面接に。扉を開けるとまさにゴッドファーザーの世界。大ボス、中堅、下っ端のように見えるイタリア人3人に囲まれてまさに銃を突きつけられてるような感覚の面接。こんなイメージしか残ってないということはお分かりの通り撃沈。面接後、どうせここ来たならなんか聞けるかなと思い、留学についても聞いてみた。日本人スタッフが役職の高いイタリア人の目を気にしながらこう言った。「イタリア文化会館は個人的な質問に答えづらいとこあるからイタリア人帰ったら少しお話聞かせて。」
ありがたい思いと、なにか行けないことをしているハラハラ感が芽生えた。

退勤時間通り帰ったイタリア人の背中を見届けたあと、スタッフの個人的情報としていくつかお話が聞けた。僕はそこで個人留学というのにたどり着く。金なし乞食の限界大学生かつ、イタリア語を学べる留学をするため、なるべくお金を抑えた個人留学をするために直談判をすることを決意した。

情報を集め、現地の大学にまずはアポを取ってみた。イタリアを全然知らない人でもイメージできる通り、イタリア人は陽気。そしてなにかと大雑把。それが今にわかるのだが、連絡をするや否やすぐ連絡が来た。
簡潔に言えばこう。「連絡してくれたありがとう。いつ来る?いつでもいいし、歓迎するよ!」意外にもあっさり。早めにこぎつければ良かったなと思ったが、人生は多分こんなもん。

すぐに返信をし、日本の大学との現状から冬休みの間を利用して行きたい旨を話した。もちろん翻訳使ってイタリア語で。

あちらの返信は二つ返事で行けることに。あっさり過ぎて逆に怖い。とりあえず試験があるのか?授業料をどうするか?住むところはどうするか?などの問題が浮上。

試験としては少し面接のような質問をするかもと。かもってなんやねん。かもにならざるを得ない理由は冬休みというところにあった。僕が授業を開始するのは1月2日から。それまでクリスマスなど色んなイベントがあり、スタッフ誰も働かないため面接はないかも。そんな理由。あら、いかにもイタリア人!

授業料に関しては来る前に振り込んでくれてもいいし、来てから払ってくれてもいいし、急がないよ。とりあえず来てからでもいいかもね。え、寛容!寛容ってよりやっぱイタリアって感じ!?

住む所が一番の問題。一応国立大学でプライベートのことに関してはサポートできないからアパートなり住む所を自分で探してもらわないといけない。ただ、これまで日本人の子が住んでいたアパートの名前くらいなら教えてあげれるよ。なんて優しいイタリア人!

そんなこんなでアパートの大家さんに連絡をして住む期間分のお金を振り込み、飛行機を手配して行くことに!

道のりは大変だったけども、目標が叶う時は突然ヒョイっと訪れるのが僕の人生。

意外とあっさり行けることが決まり安堵していたが、少し疑問が浮上。日本の大学の試験時期が被っている問題だった。わぁ、どーしよ。と、焦ることもなかった。3回でイタリア語授業を受けるために単位を早めに取っていたおかげで、念の為レポート提出で評価される授業だけを取っておいたのである。こんな僕でもここはツイていた。

各授業終わりに、教授にイタリア留学に行くこととそのためにレポート提出期間を少し早めて欲しいことを伝えた。皆、笑顔で受け取ってくれた。清々しい思いで、イタリア留学に向けて出発した!


ここまで自分がイタリア留学に行くまでの道のりを記しました。思いと行動があればどうにかして行けるものだと再確認出来たし、自信も持てた。どこか泥臭い頑張りも僕っぽい頑張り。こんな僕でも誰かの「きっかけ」や「選択肢」になれたらなと思っています。

この後のイタリア留学は毎日ハプニングとサプライズでいっぱいでした。またイタリア留学に関してのお話は今後小出しにできたらと思います。

写真は夏休みに撮ったものです。こんなことをするくらい英語に殺られてました。僕のようにひん曲がったセンスがある人ならモノと色の意図を少し汲んでくれるんじゃないかと思います。

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