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死してなお、生きる

私は義母に会ったことがない。夫と出会う十年ほど前、卵巣がんで亡くなったそうだ。


読まれることのない手紙

写真に映る義母は、どことなく夫に似ている。義母の弟さんと初めてお会いしたとき、「シャキシャキした感じが姉さんに似ている」「母親と似た相手を選ぶって聞くけれど、ほんまやなぁ」と言われた。

結婚後、初めての母の日を前に、私は義母宛てのプリザードフラワーを用意し、手紙を書いた。

夫は何をしだすんや?という表情で、「そんなんしても、読んでもらえへんよ」と申し訳なさそうに言う。

「うん、分かっとるよ。大丈夫」と夫をなだめ、義母に向けた母の日ギフトを贈った。たとえご本人に読んでもらえなくても、「夫を産み、育ててくれた感謝」を伝えたかったのだ。

プリザードフラワーと手紙は今もなお、義実家の仏壇に飾られ続けている。

夫の姿に、義母を感じる

義母には会ったことがないけれど、夫づてにいくつか話を聞いた。好き嫌いがめちゃくちゃ多い義父のために、試行錯誤してご飯をつくっていたこと。

なかなかキャラの濃い義祖母(かわいいけれど)との同居に悩み、夫にときどき愚痴をこぼしていたこと。

そんなエピソードを聞くたび、私の心には「死してなお、生きる」という言葉が浮かぶ。

義父とは対照的に、好き嫌いがほとんどない夫。あぁきっと、お義母さんが何でも食べるように促したんやろうな、とか。

「男性は愚痴が苦手」って聞くけれど、私がたまに愚痴をもらすと、夫は「そっかー」「それは嫌やな」って共感しながら聞いてくれる。

あぁきっと、幼いころから義母の話をやさしく受け止めていたからなんやろうなぁとか。

夫の姿に義母を感じるたび、私は

「お義母さんのおかげで、余計なケンカをしなくて済んでいます」

と、心のなかで頭を下げる。

いのちをつなぐ

「ねぇママ、人は死んだらどうなるの?」

先日、小学2年生の長男に、ドキッとする質問を投げかけられた。

「うーん、どうなるかはママにも分からないけれど、亡くなった人のことを"感じる"ことはあるよ」と返し、夫と義母のエピソードを話す。

話し終わった後、息子の反応を待っていると

「ふーん。ぼくにはまだ、よく分かんないや!」

なんともあっさり、「それより知ってる?ミライドンはね〜」と、ポケモンの話題に切り替える。笑

なんという切り替えの早さ…
笑いながら、ふと「そういや私も、結構切り替え早いわ」と気づく。

息子たちの姿にどことなーく、夫が、私が透き通って見える。

折り紙や塗り絵で繊細な作品を仕上げる長男を見つめていると、"自転車のパンクを自分で修理するほど器用だった"というお義母さんのエピソードを思い出す。

難しいことは分からんけれど、こうやって、いのちがつながっていくんかな。


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