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生命?思考?主導権はどっち?

もともと人は「生命」として生まれた。

思考を働かせている赤ちゃんなんていない。(人のご機嫌をとろうとして愛想笑いをしたり、人の気を引こうとして泣きまねをする赤ちゃんがいたら気持ち悪いと思う。)

でもそのままでは自立して生きていけない。危険から身を守ったり、誰かと気持ちを通じ合わせたり、他にもたくさんのことを学んだり考えたりして、よりよく生きるために「思考」という道具を手に入れたんだな。そして年齢と共にその思考を発達させていったんだろうな。

それなのにいつのまにか「思考」の方が主導権を握ってしまっている!だなんて・・・?!

「思考」の存在価値は問題を解決することなのだそうだ。なので、「思考」は自分の価値を高めるために、放っておくと次々と問題をみつけてくる。そして「あれをしなきゃ!」「これをしなきゃ!」「もっと価値をあげなきゃ!」と襲いかかってくる。もともと道具だったはずなのに、主導権を握って「生命」であった自分の声を無視して「これをしないとお前の価値はなくなるぞ!」と脅迫してくる。こうなったらもう歯止めがきかない。どんどん猛威を振るって、「生命」を引きずり回す。
そして挙句の果てに「生命」がぐったりして動けなくなる。

「もうなにもしたくない!」

やばいですね?!こりゃあ本末転倒だ!!!

「あれしなきゃ!」「これしなきゃ!」とあくせくし始めたらちょっと立ち止まってみよう。

今やっていることの源は・・・?

「やらなきゃ!」か?「やりたい!」か?

焦りか?わくわくか?

思考が生命のために働いているのか?
思考が生命を無視して主導権を握ってしまっていないか?

あくせくしだしたら危険信号!「思考」に主導権がいっちゃってる。もう一度「生命」と一つになって、わくわくに耳を傾けよう。

「今、ここ」を、「生命」としての本来の自分を生きられるように。


今日はこちらの動画からこんな大切な気づきをいただきました。 
(17:20あたりから~「思考」は「問題・課題・~べきこと」が大好き~のお話)

前回の記事 ↓

自然農を始めたときの記事 ↓



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