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『特別』になるのが怖かった私へ(9/12)


4月〜6月に、はちみつコミックエッセイ主催の
コミックエッセイ描き方講座を受講していました。


そこでの最終課題として描いた作品を
少しずつ載せています。




自分の『特別』を生きる①






Aさんのエピソードは
フィクションです。


というか
正直細かいことは覚えていないのですが
“言葉の後ろにある気持ち”
がなんとなく伝わってくる
ということが描きたかったのです。



今回は
私が何を受け取って
どう処理しているのかを
がんばって言語化してみたいと思います。



私にとって
“気持ちが伝わってくる”
ということは
“言葉が伝わってくる”
とはまた異なります。


なんというか
気持ちをただ受信することと
それを読み解き解釈していくことは
セットなんだけど違う
というか…



気持ちは
色とか音とか形とか
いろんなもので表現することのできる
ふわふわ、もやもや、ぼんやり
したもののように感じています。


言葉は
気持ちを加工したものだと思っています。

ぼんやりと受け取った相手の気持ちを
私の感覚で
私のできる範囲で
私にとってしっくりくる言葉に
変換をしています。


なので
相手の気持ち
なのですが
“相手の言葉”
ではなく
私の言葉
になっている感覚です。



スーパーバイザーの
「自分で作り上げたウソですか?」
という言葉は
考えようによってはとても的確で
だからこそ
私にとても刺さったのだと思います。



当時は
“何を受け取りどう処理しているのか”
ということを
自覚せずになんとなくでやっていたので
「ウソ」
という言葉にとても反応してしまい
「人間として最低なことをしているのでは」
と大変動揺してしまいました。


しかし今では
「100%ホントの言葉があるのだろうか」
とも感じています。

気持ちを100%言葉にするのは
とても難しいことです。

自分の気持ちだって
言語化には苦労します。



“ウソ”
になってしまわないように
でも
“ホント”
だとも思いすぎないように
気持ちと言葉のズレ
相手と自分のズレを
味わうように
やっていきたいです。



そして
受信器としての自分
変換機としての自分の
精度を高めていきたいなとも思います。





今回は私のことを書きましたが
“何かを受け取り自分の言葉にする″
ということは
程度はいろいろだとしても
誰もがしている作業だと思います。



私の体験を書くことで
今の自分が何を受け取っているのか
どんなことを言葉にしているのか
を振り返るきっかけになればうれしいです。



相手の気持ちなのか
自分の気持ちなのか
相手の言葉なのか
自分の言葉なのか
気持ちと言葉に
どんなズレがあり
どんな一致があるのかを
整理するだけで
心がスッキリすることもあると思うからです。



いつもは自然にやっていることを
自覚できたら
おもしろさも感じられるかもしれません…!











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