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自転車とザリガニ

 その自転車旅行は、おおよその目的地しか設定しておらず、宿泊先も決めていなかった。川沿いの平坦な道を通り、ようやく辺鄙な街に出てきたが、車優先の道路のため、裏道を選んで進んでいた。
 後方には娘が子供用の自転車で追ってきていた。体力のある娘で、中学校のある高台も平気で登って降りてきた。なので彼女の疲労を心配することはなかった。
 裏道を進むと、盆地のような暗がりが支配する一帯に入り込み、そこはかとない恐れで気が高まってきていた。娘は後方十メートルほどを着いてきている。
 ある家の玄関先にペットボトルが三十本ほど並べられている光景があった。私は興味本位で近づくと、その廃屋になりかけている家から腐った臭いがしてきた。
 ペットボトルの蓋は空いていて、その中全部にアメリカザリガニが一匹ずつ入っていて、それらのほとんどは白くなり泡を吹いて入口付近で動かなくなっていた。ひどい臭気だ。
 私は吐き気と同時に、一つだけ赤いままのザリガニが弱弱しく泡を吹いているボトルを発見した。それは仲間と同様に死ぬ一歩手前だった。私と娘はこわごわとそのボトルの口を握り、そっと手前まで持ってきて、ゆっくりと庭の土に腐りかけた水を流した。
 ザリガニは横に倒れ自力で起き上がれない状態だったが、その黒い眼は私の娘を見ていた。庭にあった石で囲まれた池は干上がっていた。ペットボトルの水をかけ、様子を伺い、もはや復活を期待できない中、自転車まで引き返そうとした。
 背中からペットボトルが転がる音がして振り向くと、死にかけたザリガニが倒れながら片方の鋏を上げていた。まだ生きる力が残っていたのだ。
 私は幼い頃に農家の友人宅に遊びにいったときのことを思い出した。広い屋敷で、二階の広い和室の窓際に古びたテーブルがあって、大きなざるの上に新鮮なエビの剥き身が円を描いて並べられていた。友人の母親は「どうぞ」と言って差し出した。田んぼで囲まれたその家で、私は周囲の穏やかな景色をみながら、その剥き身がアメリカザリガニだと分かっていた。彼が以前、食べていると言っていたのだ。ザリガニの剥き身は半透明な光沢を放っており、穏やかな日差しが部屋の窓際を照らしていた。
 娘と自転車に荷物を括りつけながら、倒れたザリガニを近くの河川に戻そうかと思いながら、その偶然立ち寄った空き家を後にした。


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