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山の修理屋⑤

《嵐の日》

 ドローンは確かに指定した山の引出しにきて、そこから正確に部品の位置を計り、中で仕切られた箱からひとつの部品を自身の腹に入れ、また戻っていった。そうして次の一機が別の引出しを開け、自身の腹から部品を出して、精確に揃えて格納し、しっかり引出しを閉めて戻っていった。

 私はお盆休みに、スーさん宅を訪れ、老人が寝ている昼に訪問し、スーさんからドローンの性能を見せてもらっていた。
 彼はドローン自体も組み立てていて、運ぶ部品の重さに応じて、1号機から5号機まで用意していた。そしてコロン5号機という開発中のものを見せてくれた。トンボを少し大きくしたような小ささで、それは一見昆虫にしか見えず、山の引出しではなく、自宅内の引出し用に使っていた。
山の引出しのミニチュア版が機械室のような部屋の天井近くにびっしりとあった。

***

 彼は部屋の横に畳まれている車いすには滅多に乗らなかった。屋根裏に続く小型のエレベーターに乗るときだけそこに腰かけていた。屋根裏も部品だらけの引出しに覆われていて、彼が車いすで回る周囲に配置されていた。
 そうした引出しの配置自体は、学生が手伝っているようで、そういう労働の日は母親が皆の夕飯を出してくれるそうだった。

 平屋の屋根にはソーラーパネルが張り巡らされ、かなり重量があるので、平屋の木造も立て直す必要があるとのことだった。
 まさに災害があれば、工場は倒れ、平屋も倒れかねなかった。

 昼の訪問は初めてで、工場の裏手にあるクレーン車がうなりを上げ始めた。昼休みが終わって工事を再開でもしたのか。ちらりと見えた運転席には修理屋の老人が乗っていて、器用に運転しており、工場の敷地を広げているようにも思えた。
 ブルーシートがはぐられた跡に、深い穴のような暗がりが見え、山の引出し用の山道をもう一列作っているようにも見えた。
 いずれにせよ、老人は夜だけではなく昼も精力的に働いていた。

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 その晩は嵐だった。ときどき嵐に近い豪雨というものがあるが、それより一段激しい夜だった。私の住む古くて小さい一軒家も強風でガタガタ揺れ、台所の雨漏りの対応で何度も起きては山のように集めた雑巾を絞ったり、溢れた洗面器を空けたりしていた。

 ときどき短時間の停電もあり、テレビではこの地域も含んだ県南方面の警戒レベルを上げていた。有線でしきりに避難しろと放送していたが、そうたやすくできるものではなかった。幸い一人暮らしで、両親の実家の県北方面は大丈夫そうだったので、自分の身さえ無事ならよかった。

 ニュースでは次々に停電した地域名や戸数、山崩れのあった地域名、土砂災害や道路の冠水のあった町の名前などを読み上げていった。この地域の停電戸数も増えていったが、なんとか自宅は耐え忍んでくれた。

 勤務先の互助会も心配だったし、明日の結婚式の開催有無によっては事務作業が大いに左右した。互助会は市街地の外れの川から離れた高台に位置し、地域のニュースが正しければ被害はほとんどなさそうだった。

***

 翌朝、家の前の水はけを整備し、長靴を履いて出勤した。バスも運休状態で、古い自転車を漕いでなんとかたどり着いた。所々の道路が冠水しており、いつもよりも遠回りとなり、時間も遅れたが、互助会の事務室は誰もいなかった。

 事務長に連絡したが、彼の自宅が被害にあい、親を病院に送っているそうで、結婚式予定の両家に早々に連絡するようにとのことだった。同僚の事務員が既に連絡を取っており、やむなく延期ということで両家とも合意しているとのこと。

 貸衣装屋や仕出し屋に連絡し、延期の旨を伝え、あとは互助会の屋根が一部剥がれたので、その修理を頼んだり、連絡が行き届かずにやってきた親族に説明したりしていた。道路の状況を見る限り、復旧には数日かかりそうだった。

 互助会の予定表では向こう三日で、シニアクラブの慰労会や、労働組合の親睦会や、合同町内会が入っていたが、私が屋根の修理屋にかかわっている間に、気の利いた同僚がキャンセルにする方向で連絡していた。
 数日間の臨時休日となり、いつもよりも念入りに掃除をして、再び自転車で道路を選び選び自宅に戻った。


【山の修理屋】

山の修理屋①《修理屋との出会い》
山の修理屋②《山の引出し》
山の修理屋③《修理屋の息子》
山の修理屋④《山の部品管理》
山の修理屋⑤《嵐の日》 ←今ここ
山の修理屋⑥《不在の家》
山の修理屋⑦《山への誘導》
山の修理屋⑧《山の中へ》
山の修理屋⑨《いつもの暮らしへ》

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