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山の修理屋⑦

《山への誘導》

 山岡さんらの連絡先は不明だった。明日戻るかもしれないが、それは予想できなかった。避難先の状況次第だったが、この工場も含めた、研究所一帯をこのままにすることはないだろうと思った。

 既に泥だらけになっている電化製品や部品が散乱しているものの、ここにはお客さんから預かっているものも多いだろうし、避難関係の情報掲示板で連絡先を案内しているかもしれなかった。

 誰かが来るのを待ちながら、私は散らかった部品のいくつかを平屋の裏口付近に集めてみたが、一人の力では高が知れており、日も暮れてきたので帰り支度を始めた。夕刻までの半日余り、誰一人として会わなかった。

 裏口の窓枠にスーさんのコロン5号が傾いて置かれていた。これも何かの縁だろうと、手に取ると、羽とプロペラの部分が折りたたまれており、精巧な仕組みになっていることに改めて驚いた。
 私はそれを上着のポケットに入れ、大学院生が持ってきた一メートル四方の機械を思い出し、再び裏口からスーさんの機械室を眺めてみたが、中央に鎮座していたそれはなくなっていた。
 帰り道はあちこちの泥が乾いた匂いがし、河岸の背の高い草が乾いた土に覆われていた。

***

 その後、私の勤務先も営業再開し、電化製品の修理をする機会もなく、普段の日々が続いていった。

 しばらくたって、電気屋で修理屋を紹介してくれた店員が、商品の案内時に、彼らこの間の災害で廃業したみたいだね。紹介した客に商品が戻らなかったとクレームがあったけど、修理屋自体がいなくなったみたいだし、まあ仕方なかったという話をしてくれた。
 いなくなったというよりも避難先から別の居住地に引越しでもしたのだろうと思った。

 それから数か月経って、家族の失踪に関するローカルニュースがあり、それが山岡家で、片側に沈んだ平屋や荒れ果てた工場が映像で流れていた。

***

 自宅の小さな玄関の下駄箱棚の上にコロン5号は置かれていた。
 ある日、宅急便を置くのに邪魔になり手に取ったとき、裏側にボタン電池を入れる切れ目を発見し、ドライバーで蓋をこじ開けて電池を交換してみた。
 操縦機もないので、それが動くわけではないのだが、前方がトンボの目のように光ったことを思い出し、部屋のイルミネーションに使えるのではないかとやってみた。

 交換してから古いボタン電池を捨てて戻ってくると、腹の方に収まっていた脚で立ち上がっており、前方を光らせ、羽とその先のプロペラを広げて飛び立とうとしていた。
 驚きだった。スタンバイ状態で、いつでも命令を受け入れるような態勢だった。しかし、それ以上何もできなかった私は、スイッチらしきボタンを切り、その背をもってテーブルに置いて、山の引出しのことを思い出していた。

***

 翌日は休日で、コロン5号を助手席に乗せて、久々に山の修理屋に向かっていた。嵐の翌日には山の引出しを確認することができなかったのが気がかりになっていた。

 近くの橋は修復されており、平屋に近づくにつれて、その奥の工場が綺麗につぶされて、屋根や柱や電化製品が分別されているような光景が見えてきた。
 産廃工場のトラックが停められており、誰かがそうした整備を始めているようだった。平屋の屋根からずり落ちていたソーラーパネルも剥がされ、金属類が集められていた。
 工場の影になっていた山のふもとは視界が広がっており、金属の引出しが重なった山道付近を見ると、それは以前、修理屋の老人と上った階段とは異なる、木組みに見える風景だった。

 車を降りて人気を気にしながら山道に近づいてみると、それぞれの階段は重いものを取り除いたような綺麗な平坦になっており、最近組み立てられたかのような木の匂いがした。以前のように百段ほど上って頂上に立つと、そこから四方に降りる階段も、同様に木組みのものになっていた。
 傾いた平屋をそのままにし、その代わりに山道の階段を新築したかのように思えた。

 頂上の手すりを握りながら、ふもとの整理された工場跡を見ていると、産廃業者が金属の引出しをごっそり持って帰って、その代わりに山道を作ったのではないかという疑いもあった。
 修理屋の家族は工場の廃棄依頼をしたのだろうが、この山道の引出しも対象だったのだろうか。そもそもこの低く小さな山は修理屋の所有地だったのか。

 前回苦労した右手のふもとに見える竹藪は、頂上から見ても鬱蒼としていた。

【山の修理屋】
山の修理屋①《修理屋との出会い》
山の修理屋②《山の引出し》
山の修理屋③《修理屋の息子》
山の修理屋④《山の部品管理》
山の修理屋⑤《嵐の日》
山の修理屋⑥《不在の家》
山の修理屋⑦《山への誘導》 ←今ここ
山の修理屋⑧《山の中へ》
山の修理屋⑨《いつもの暮らしへ》

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