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クワガタ号出発

 こんなに虫がいるんだ。やはり拡大すると違う世界が見えるんだ。私はクワガタムシの背中に乗って、その凄まじい重量感を感じながら、ゆっさゆっさとした揺れに身を任せていた。背中の羽の継ぎ目のところにいる小さな虫達が目につき、私は定期的に足で蹴散らしていた。普段は見えないが、ここまで大きくなると見えてしまうのだ。
 それにしても、このクワガタは飛ぶのだろうか。もし飛んだら、自分は滑り落ちないようにどこをつかんだらいいのか。哺乳類の臭いとは異なる錆びた金属のような臭いがしてきて、そのクワガタは動きを止めた。
 もしかして、と、私は焦った。クワガタと信じていたが、この臆病にも思える挙動は別の嫌な虫かもしれなかった。そっと膝を立てて前方の大きな頭を覗き込むと、黒々とした巨大なハサミが顎の両脇から出ていた。
 子供の頃、私と友人は捕まえてきたクワガタムシを洗面器の中に移し、五匹をかわるがわる掴んでは、飛行機のようにして遊んでいた。五匹の中でひときわ大きなクワガタがいて、尖ったハサミが子供の指ほどの長さだった。そいつが長い年月かけて成長し、私も大人になり、ここでこうしてこいつの背中に乗っているのか。
 近所の八百屋の子供がクワガタの背中にある扉から顔を出した。よく見ると、そういう扉がいくつもあり、それは左右の縦ラインで整然と並んでいた。そうか、こいつは身体が大きくなりすぎて、乗り物になるしかなかったのだ。
 私はそういう事情をすっかり忘れて大きく不安定な背中にまたがっていたのだ。子供の手を借りて私は中に入り、沢山のモニターが前方についている操縦席の後ろに座った。操縦してるのは近所の小学生六年生の子だった。彼は運動会の徒競走で毎度一番だった。
 彼は大きな声で「しゅっぱぁーつ!」と叫んで、大きなレバーを手前に引いた。するとクワガタは前進し、それに合わせて右隣の低学年の子が左右のレバーを両手でシャキシャキと動かすと、クワガタの大きなハサミが閉じたり開いたりした。
 外からの風を感じ、私は「小さな虫が入ってくるぞ」と皆に注意した。ここまで大きくなると、目に見えない小さな虫が砂粒くらいになって見え、窓から入ってくるに違いなかった。
 私は閉じ切らない窓にカバーできるような布を探していた。探しきれずに戻ってくると、操縦士の子は白っぽく固まって動かくなっていた。隣の小さな子もレバーを握ったままになっていた。彼らはずっとクワガタの中にいたので、サナギになる時期になったのだ。
 私は窓を開け、そこから身を乗り出し、脱出用のロープを手繰って地面まで降りた。芝生の上は心地よく、その植え込みに沿って少し歩くと受付があり「1時間1000円」という文字が目に飛び込んできた。


《虫(昆虫)が出てくる作品を紹介します》
クワガタ号出発 ←上の作品
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新たな進化
上京の頃


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