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楽しくて悲しい気持ち

 曇天が続く冬空だったが、昼には晴れる予報だった。
 いつものように自転車を漕いで駅に向かった。通りの向こうから中学生の集団の奇声が聞こえてきた。通勤の邪魔になるので、角を曲がって速度を上げて彼らを追い越そうとしたが、誰もいなかった。代わりに痩せた三十過ぎほどの女性がひとりで歩いていた。
 もしかしてと離れて追い越し際に振り向くと「偽物の男はいらなーい!」「偽物の男はくたばれー!」とデモ行進のような叫び声がした。深めの帽子でその表情はよく見えなかったが、確かに彼女から発せられた声だった。
 以前に駅で見たかもしれないし、スニーカー姿の清楚な恰好とのアンバランスさは見覚えがあった。ラッシュの時刻に通勤するのだから、普通の会社員なのかもしれなかった。
 思いつめたような彼女の様子とは違い、駅ではしゃいでいるのは、だいたい近くの支援施設の連中だった。ホーム向うの友人と大声で話したり、無邪気に追いかけっこしたり、ときにはお別れの挨拶を長々と繰り返したりと。
 一二度見たことがあるが、電車の中を赤いリボンをつけた年齢不明の女子らがわちゃわちゃと動き回って歓声を上げている様子は微笑ましかった。
 朝は、その施設に向かって大柄な男が小柄な母親の手に引かれながら、駄々をこねる様子があったり、ぼんやりした青年が口を真一文字にした父親に連れられていったり、施設の近くではそういう風景がときどきあった。
 電車がホームに入ってきたとき、私の背後で「女はだまされてるー!」と突然の大声があり、多少込み合っている中、なるべく遠くの車両に移ろうと急いで移動した。
 女は私が通ったスペースに入り込むようについて来て、ついに車両の端で隣り合う位置で立つことになった。運が悪かった。到着するまで黙っていてほしかった。黙っていれば普通の人に見えるし、近辺の注目を浴びることもない。私は彼女が叫んでも動揺すまいと移り変わる外の風景を見ていた。
 周囲のスマホを見ている連中は、いつ驚かされるかわからない状況というのも知らないだろう。
 女がこちらを向いたのが分かった。私と同じほどの身長で、古びたバッグを肩から掛けていた。私を敵だと感じているに違いなかった。追い越し際に振り向いたのがよくなかったのだ。緊張した時間が過ぎた。
 終点に着く前に、彼女は「男は」と言ったようだったが、大勢の連中と同時に降りて、人混みに紛れて一件落着となった。明日からは、念のため乗車時刻と乗車位置を変えなくてはと考えた。
 その日は用事があるので早退し、快晴の昼に帰る電車は空いていた。この時刻だと、施設の下校時刻にぶつかり、最寄りの駅にはきっと彼らが和気あいあいとしているに違いなかった。会社のストレスもないだろうし、鬱になるようなこともないだろう。
 私は長い会社員生活で、鬱と診断された同僚や後輩達を思い浮かべ、そのきっかけとなった経緯に思いを馳せていた。
 駅には連中はいなかったので、自宅に帰るまでの道すがら会うだろうと思っていたが、ひとりも会わなかった。
 いつもよりもひとつ向うの道に出て、施設の脇を通ってみると、入り口に色とりどりの長い折り紙の輪つなぎが数本垂れており「山田先生のお別れ会」という手書きのポスターが貼ってあった。その奥から一斉に先生の名前を呼ぶ声と、子供のような泣き声が聞こえてきた。

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