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山の修理屋⑨

《いつもの暮らしへ》

 私は彼らと二時間ほど話し、彼らが用意した保存食とコーヒーを飲みながら、この施設が山の中にあることをついつい忘れた。修理屋の引越し先のマンションにでも来ている気分だった。

 ときどき私が部屋を見渡しているので、スーさんはこの施設の成り立ちを話し始めた。
 スーさんのお爺さんが東京大空襲を経験しており、防空壕で難を逃れた後、親戚を頼ってこの地にやってきたそうだった。
 その後、農業をしつつ電気器具の発明もしており、それでかなりの資産を築いて山岡電機研究所を創設し、研究の傍ら趣味で電化製品の修理業も営んでいたということだった。
 親父はその祖父の趣味を本業にしてしまったけどね・・・

 施設管理のモニターからアラームが鳴り、スーさんはアラームの原因箇所の画面を拡大し、別の画面でいくつかのグラフを開き、何もなかったかのように閉じていった。

 スーさんは、自分はもともと脚が悪いし、こうした人工的に何でもコントロールできる施設は住みやすく、両親とはビデオ通話で話せるし、たまに非常用エレベーターで山頂に出ればいい空気も吸えるということで、満足そうだった。
 さすがに毎日三食を保存食というわけにいかないけどね、と暗に大学院生が外部と往来していることも匂わせた。

 得意のコンピュータ制御やドローン管理は、ここでも大いに役立っているとのこと。いくつかの企業と契約しており、オールリモートで設計データなどをやり取りして、さらなる資金を作っているという話だった。
 昔ながらの修理屋の親父さんとは異質の新しい時代の血が流れていた。

***

 夕刻近くにもなり、暗闇の中で山を半周するのは怖いのと、明日からの普通の仕事を思うと、もう帰った方がよかった。
 帰りはこのまま山頂に抜けられるという話だったが、是非にということで、螺旋階段を下って、まだ住民のいないシェルターの一部屋を見学することにした。

 ここにいて暇なのか、ふたりの院生が付き添い、三階の一部屋を開け、天井がお椀のようになっているその簡易な部屋の形状と、いかに合理的でミニマムな作りになっているかを説明した。トイレに洗面所にシャワー室も用意されており、ここでは、スーさんと彼ら二人と施設の関係者数名が各部屋に一時的に住んでいるとのことだった。
 その間、廊下をときどきドローンが通り過ぎ、施設全体の安全面を管理しているとの話だった。

 一階の踊り場に戻って二十メートルの通路を潜り抜け、水のない用水路を下り、再び梯子を上って地上に降り立つと、この一見何もない山にそういう施設が建設されていた不思議を反芻した。

 思えば、そもそも山のふもとが見えなくなるくらいの工場を建てているのは不自然だった。工場の裏手から施設に必要な建設材料を入れて組み立てていたに違いなかった。老人の「中もつながっているから」という言葉はそういうことだったのだ。

***

 私は西日が陰ってきた中、山と田んぼの間のあぜ道を戻り、山の西側の山道を登って行った。一周すれば戻れるのだが、荒れ地に囲まれたところでもあり、来た道を素直に戻っていった。
 山頂まで来て、この少し下に彼らがいると思うと、孤独な気分もなくなり、しばし山頂からの夕日を眺めた。

 廃棄処分として整理されている工場跡と、いまだに傾いている平屋を後にして山道を下り、いつもつけているラジオを聞くこともなかった。

 明日から続く平坦な生活と、人々の冠婚葬祭の事務と、このシェルターとは無縁だった。それよりも、修理屋がドライバーを高く投げていた様子や、玄関で夏ミカンを持たせてくれたことなどを懐かしんだ。
 シェルター暮らしは嫌だろうな、安全だとしても密閉された中よりも田舎の景色を見ていたいだろう。
 しかし、そのまた親が防空壕に避難しなければ、彼もまたこの世に存在しなかった。

***

 自宅でつらつらとシェルターを調べてみたが、どれも単純で堅牢な地下室のように見えて、見てきた記憶とのギャップで、世間はまだ知らないのだろうなと思った。職場の友人に話すようなことでもなく、この記憶だけは独立しつつ廃れないものだった。

 日本でも富裕層にシェルターは売れているようだったが、購入者は購入自体を秘密にしているような記事もあった。それは分かるような気もした。
しかし、そこで秘密裏に家族を安全にできたとして、その後どうなるのだろう、という思いにもなった。
 
 あの山をくりぬいたようなシェルターは、そうした思いとは別の面影があった。山の中にある未来の修理屋というイメージがあって、夕日に照らされた山からいつでもスーさんのドローンが飛んできそうだった。

【山の修理屋】
山の修理屋①《修理屋との出会い》
山の修理屋②《山の引出し》
山の修理屋③《修理屋の息子》
山の修理屋④《山の部品管理》
山の修理屋⑤《嵐の日》
山の修理屋⑥《不在の家》
山の修理屋⑦《山への誘導》
山の修理屋⑧《山の中へ》
山の修理屋⑨《いつもの暮らしへ》 ←今ここ

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