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#16 佐々木美佳「ゆりかご、光りの墓」

 去年の冬、まだコロナウイルスが日本に訪れていなかった頃のお話。私は仕事のピークで相当まいっていた。2019年12月20日金曜日。21時過ぎのレイトショーを探す。絶対ハッピーエンドになる映画だったらなんでもいい。スマホで急いで間に合う映画を探し、『アナと雪の女王2』に滑り込む。とにかくいろんなことを忘れて、一人になれる時間があればいいのだ。血も出ない夢の世界で、誰にも見られずそっと泣ける時間を買う。エルサとAURORAが一緒に歌うだけで、もう泣けた。それでいいんだ。

 「いつでも」一人になれる時間を買えたのが、東京のいいところだった。そういう映画が好きな気持ちだけで、私はここで生活している。別にすかしたことを言っている訳じゃない。一生懸命考えた、この自粛期間中に。なんでここに居るんだろうってこと。実家があるから帰ればいいのに。でも、映画が好きで、映画に関わる仕事ができて、映画を作る人が近くにいる。それだけの理由で、ここにいようって思っているだけなんだ。小さくて家賃の高い部屋なんかほんとは嫌いだ。でも、ここにいてしまうのだ。

 シティーガールでもなんでもない、ただの田舎者のたわごとだ。そして完全なひとりぼっちではなくて、みんながひとりぼっちで映画を見ている空間に、いつでもいける。ただそれだけの日々を愛していた。あんまりお金持ちじゃないからごめんなさい。コーヒーはドトールかベローチェで飲んでいました。割引の日ばかりを狙って映画を観に行っていました。でも、映画館に行くことが、私のささやかな日々の楽しみでした。

 ごめんなさい。あんまり忙しかったから、今年の2月と3月は映画館に行けませんでした。好きなお店やさんにも。うん、動く暇がなかった。でも、こんなことになってしまってからはもう、どこにも行けなくって。好きな食べ物やさんのテイクアウトの投稿ばかり見ていても、今は食べに行けない、応援できない。悲しい、ごめんなさい。

 そうこうしているうちに、4月8日、緊急事態宣言が出て、東京の映画館は全部閉まってしまった。好きなカフェも閉まった。働いているオフィスにもいかなくなった。当たり前のように家にいることが多くなり、ほとんど夜遅くまで外出していた隣の部屋の人が、ずっと部屋にいる。あれ、どうしたんだろう。そうこうして困っているうちに、どんどん困っている人が増えていって、あちらからも、こちらからも、助けてという声が聞こえるようになった。具体的に行動できない自分の無力さがみじめになって、ああ、また穴の中に入ってしまいたくなる。だって、家にいたり、心を寄せたり、少しのお金で寄付したり、本当それくらいしかできないんだもん。

 そういう無力感、情けなさ、自分のどうしようもなさ、醜さ、ありとあらゆる現実から一旦逃げだすために、その暗闇は存在していたんだと思う。夢を見るために逃げ込んだあの日、アピチャッポンの『光りの墓』でほんとうに意識を失って、映画館から出たときのことを思い出す。そういう映画体験がしたい。一回全部忘れて、死んでから、戻ってきたいんだ。だってどうしようもないんだもんこの世界。自分が見る眠りの夢の世界ですら、この怒りと悲しみに溢れた政治により悲惨。時々全部忘れて死んだふりして再生したいよ。

 そういう映画の臨死体験、もうほんとここ最近してない。自分のためだけにこっそり死ぬ体験。だってもう疲れたっていっても、簡単には死ねないでしょう。だから「仮設」でもいいから、映画館に行きたい。そう思っていたら、「仮設の映画館」がたち上がった。「状況が改善したら、ぜひ、本物の映画館に足をお運びください。ここは仮設の映画館です。」。ふふ、ユーモアだなあ。そして仮設の映画館だと行ったことのない映画館にも行けるんだね。さっそくうちで「仮設の映画館」を作ってみる。手元にはコーヒーを。プロジェクターまでは買わないけど、小さなスピーカーを買ったから音だけは良くなった。割引デーも、前売り券も使えない「仮設の映画館」。本当の映画館じゃないからそれは仕方ないね。でもやっぱり映画館みたいに集中するのは難しくって、その存在が恋しくなる。

 映画館が恋しくない人でも、「映画館」をあなたの好きな場所に当てはめてみてもう一度読んでみて欲しい。この状況は誰にとってもやるせなさを感じて、少しずつ生きる気力を奪われる事態なんだと思う。たとえ緊急事態宣言が解除されることになっても、元の形に世界が戻るのかわからない。またこの状況が終わってしまえば、コロナのことであぶり出された様々な問題がなかったことになって、またいつものように社会の歯車が回転していくと考えると、ぞっとする。みんな忘れるのが早い。その早さに抗うのが、記録するということ、時間を閉じ込めて物語にするということなんだけれど。そんな答えのないことをグルグルと考えては眠りにつく。つまりいま、ありとあらゆることがぼんやりと不安だということ、この場でそっと打ち明けたい。


 蛇足を一つ。ここまで読んだ人がいればついでに読んで欲しい。不思議なことに、このコロナ禍とともに私は初監督作品『タゴール・ソングス』を送り出そうとしていて、これが届けば届くほど、ミニシアターにも貢献できるらしい。大きな流れの渦にこの一滴が何になるのか正直わからないけれど、やれることやってみよう。時代には波があるけど、とにかく記憶や遺伝子を繋いでいけたらいいんじゃないのかな。この映画は、詩や歌がどうしてこの世から消えてなくならなかったか、そういうことを考えている気がする。

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[佐々木美佳:『タゴール・ソングス』という映画を作りました。Twitter: @mikachan43 note: https://note.com/sarasasaki ]

映画『タゴール・ソングス』は、5月上旬から「仮設の映画館」(http://www.temporary-cinema.jp)で上映予定です。