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軍事攻撃がされる前日、ウクライナの同い年の女性に私は「対岸の火事」だった。

「私は戦争を経験した事があります。
もう二度と経験したくない」

そう答えていた同い年の女性が居た。

その日、私は仕事の休憩中で
TVに映る彼女を見ながら
「ウクライナには戦争経験した同い年の女性が居るんだ」と驚きながらも、
無関心では無いが、私には関係のない事だと思い、仕事に戻った。

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翌日、TVを見た時、
あの放送の24時間以内にキエフが攻撃され、
あの綺麗だった街並みは、
映画でしか見た事がない戦車と、大規模地震の後の様な、
けれど空の色だけが鮮やかな、
不気味なコントラストの世界に変わっていた。

私はまた社員食堂でご飯を食べていた。
攻撃された事実はネットニュースで「最新情報」として流れていたため、目に留まっていたが
「ついに始まったか」と思ったくらいで
実際に映像を観たのはその時だった。
ご飯は喉を通したが、味は覚えていない。

メディアは「何故攻撃をしたのか」の疑問ばかりを沸かせていた。
しかし私は、戦争をもう経験したくないと懇願していた彼女の顔を忘れる事が出来ずにいた。


「これはリアルで起きている現実なんだ」と思い知らされたと同時に、
残虐な銃声と鳴き声、悲惨さを訴える声が
私が"対岸の火事"として捉えていた事を
TVを通して叱られたかの様だった。

※対岸の火事※
周囲の一大事だが、自分には全く関係のない事のたとえ



私はそこまでこの戦争について詳しく無い。
経済的に、歴史的に、
そう判断しなければならなかったのか、
分かるようで分かっていない。
いや、理解が出来ないと言うべきだろうか。

どういう感情で指示を出す人がいて、
どういう感情で被害に遭う人がいるのか。

「人の気持ちにたって考えてみなさい」と
言われ続けた私でさえ、
こればかりは何となくの感情は分かる。

戦争を判断した人、それを止めなかった人は
「人の気持ちにたって」考えたのだろうか。
お金や権力に逆らえず、悪いと思っていても指示に従った人もいるだろう。
そんな人でも簡単に人の人生を奪えるとは。
「仕方のないことで終わらせてしまう側と、
終わらせられる側の差」が激しすぎる事が戦争なのだろうか。

そう思ってしまう私はまだ浅はかな考えなのだろうか。
やはり私には理解しかねる。


「まるでイジメだ」と思わずにはいられない戦争がいつ終わるのか、
そればかりを願っている。
私は無力で、私には今でもそれしか出来ない。
杉浦千畝さんが改めて素晴らしいと思う。


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あれから約1ヶ月以上が経つ。
変わらずメディアでは毎日
「ウクライナ情勢」を報道し、伝えてくれている。
しかし、彼女の姿が映ることは未だ無い。

日本のコロナ新規感染者数は減っていくが、
ウクライナで命を落とす数は増えていく一方だ。


死者○○人


この文字を見て、私の様に思う人はどれだけ居るのだろうか。
TVを観ない人は、あの映像をどこで観るのだろうか。
自分で検索して調べるのだろうか。

残念なことに、私の周りには
携帯に流れてくるNEWSをコンマ1秒でスクロールして、知った気になっている人の方が多い気がする。

野菜嫌いだ、魚は嫌いだ、資源は無限だ。
そう思っている日本人は多い気がする。
そうじゃない限り、少なくとも社員食堂で食べ残しは発生しないだろう。


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これはエゴかも知れない。
よくない事を言っているのかも知れない。

けれど、
私はあの日、
「私は戦争を経験した事があります。もう二度と経験したくない」と
伝えてくれた彼女に何が出来るのかと思ったら
こんな事でしか発信出来ないと思った。

ウクライナもロシアも訪ねたことは無いけれど、
首都が何処かなんて、知らなかったけど、
それでも、
あの彼女が生きている事を、
もうこれ以上人が傷付かない事を、
早くこの戦争が終わる事を、
早く復興して今までの生活が手に入る事を、
心より願っている。


私にはそれしか出来ないから。




チョコレートに牛乳


ねえ、名前も知らない彼女さん。
生まれた場所が違っただけで、
こんなにも差がある生活を送る私を許してね。

貴女は同い年で「戦争」を目の当たりにした経験があったけれど、
日本で住む私には
「社会の教科書に載っていた出来事の一つ」として過去の話だと思っていた事を許してね。

私に何が出来るか考えたけれど、
私は無力で、無知に近い事が分かった。
杉浦千畝さんの様に勇敢な行動は起こせないみたいだ。
でも子供がいつか出来た時、伝える事にするよ。
こんなことしか出来ない私を許してね。

貴女の一言が私の心を大きく揺さぶられたよ。
ありがとう。
気づかせてくれて。


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