【愛読書】綿矢りさ『ひらいて』を読んでほしい


本文

 他人ひとに本をすすめる文章で、はじめからこの言葉を使ってしまうのもどうかと思うけど、それでも伝えたいことはこの一言に尽きる。

「(まだ読んだことがない人は)
 とにかく一度、綿矢りさ『ひらいて』を読んでみてほしい。」

 
我ながらあまりに芸がないとは思う。
 「この本を読んで欲しい」ということをそのまま言うなんて、安直すぎて何の工夫もない。大抵この手の文章は「いかにこの本が素晴らしいのか」を、あらゆる言葉を尽くして熱烈にプレゼンすることで、読者を徐々にその気にさせていくのだと思うのだけど、それを放棄している。

 でも分かってもほしい。
 この作品が「面白い」ということを知ってもらう一番の近道は、どう考えたって、作品そのものを読んでもらうことに他ならないからだ。何よりも、私が余計に語れば語るほど、この作品が届く余地を狭めるだけの蛇足にしかならない気がする。

 だから、まず読んでほしい。
 薄い文庫本だからすぐに読めると思う。その薄さと比較にならないくらい、絶対に面白いから。こんな記事、あとはもうどうでもいいから。とにかく読んでほしい。さぁ、はやくはやく。

蛇足

 本当は以上で終わらせたいのだけど、さすがにこれでは何も伝えられていないに等しいのではないかというジレンマも残るので、個人的な読書感想文も一応書いておく。

 以下、蛇足でしかない蛇足。

 ちなみに物語の内容については、できるだけ前情報がない状態で読んでほしいので、ほとんど触れないでおきたい。
 それでも簡単にいうと「主人公の女子高生が同じクラスの男子に片思いをするのだが、その愛がだんだんと変な方向へねじ曲がっていく」というような話。
 「おいおい、そんな説明じゃ何も分からないじゃあないか」という人は、もっと簡潔で雄弁なレビューがネット上にはいくらでも転がっていると思うので、そちらを参照していただいて。(そもそも作品の要約というものは、どこをどう端折っていいのか分からなくなるのでいつも苦手だ。)

 話を戻す。
 この『ひらいて』は、私がはじめて「小説ってこんなに面白いんだ」と思えた本だった。もっといえば、本を好きになったきっかけの一冊でもある。

 私は、昔から本を読むことはそれほど好きではなくて、実際に読むのも読書感想文の宿題が課されたときだけで仕方なく、という程度だった。

 国語や現代文の授業でも作品を読むことはあったものの、どれも概して「(筆者が)いかに難しい言葉を知っているか選手権」ぐらいの印象であったし、小説に至ってもそのなかの部門賞「いかにひねった喩えを思いついたで賞」ほどにしか思えなかった。

 特に小説は、ストーリー自体はそこそこ面白かったりするのに(そこそこ失礼)、それがやたら難解な言葉や回りくどい比喩ばかり並べて書かれていた(ように感じられた)のが不満だった。加えて、その頃は文字よりも映像の方が何倍も物を伝える力があると考えていたから、結果的にドラマや映画の方がよっぽど魅力的に感じられていた。

 だからこそ、この作品との出会いは私のなかで衝撃的だった。

 まず、上述の言葉や比喩に関しては受ける印象が全く異なっていて、読む言葉がそばから自然と頭に入ってくるようだった。
 難しい言葉や表現も決してないわけではないけれど、似た意味の易しい言葉や言い回しが他にも選択肢としてあるなかで、それでもあえてその表現を選ぶ意味が、文のなかの一語一語に感じられた。すなわち、類語ってのは世の中にたくさんあるけど、その字面から受ける印象、のせられる思い・気持ちはそれぞれの言葉で異なっていて、それ故に存在しているのかな、みたいな。
 また、映像には映像の良さがあるけど、一方で言葉には思いを重ねられる余白が多くて、それが想像を掻き立てて、文章の面白さを成すんじゃないか、みたいな。

 そんなことを思わせてくれる、気づかせてくれるような文章だった。伝わってるかな?

 そして、物語に関しても「え、そんな方向に進んでいくの?」という驚きがあった。
 そもそもこの本を手にしたきっかけは、たまたま序盤(確か主人公がわからない数学の問題を口実に相手に接近するあたりとかだったと思う)を読む機会があって、その一部分だけでも面白い予感が既にあった。
 とはいえ、本当に序盤の序盤だったから「ちょっと心理描写が丁寧な青春小説なのかな」ぐらいに考えて、そのあと実際に読み進めてみたら、とんだ不意打ちを食らいまくりまくりで「いやいやそんな展開聞いてないし」の連続だった。
 何よりも、全体を通しての主人公の変わりぶりが素晴らしすぎる。

 こんな具合に、この作品の好きなところは他にもたくさんあるのだけど、あともう一つだけ強いて挙げるなら、(これは綿矢さんの他の作品にも通じる点だけど、)人間誰にでもある、意地悪で卑しいけれど、憎みきれない、みたいな部分の描き方が上手すぎると思う。
 それは疑心暗鬼に相手の腹を探ったり、善意を善意として受け取らなかったり、本意とは裏腹な言動をついとってしまったりするような部分。上手すぎる、天才なのか?(誰だと思ってんだ芥川賞作家)

 だからこの作品の主人公も、相当意地の悪い奴で、怖いし、現実にいたら決してお近づきにはなりたくなくて、自身とは遠いように思える人間だけど、一方でどこか重なるように近い人間でもあって、その姿を追っているとどこか自分の卑しい部分を肯定してくれるようでいて、要するに大好きだ。

最後に

 主人公たちの名前のこととか、作中の手紙がどれも名文すぎることとか、付きまとう青春の焦燥感についてとか、本当はもっと伝えたいことがあったし、もっと上手く伝えられるはずだった。

 だけど、(これは単なる言い訳でしかないが、)頭のなかで思い浮かべた理想と、実際に出力されるものとのギャップがどうにも埋められず、自身の語彙のなさと向き合うのに、正直途中でバテてしまった。これまで活字から逃げてきたツケがここにきて回ってきたことが悔やまれる。
 だから、この記事はそのうち書き直すかもしれない。

 ただそんな風に思ってでも書いたのは、こんな拙い文章でも読んでくれる物好きが数人ぐらいはいて、そこからさらに、当書を読んでくれるような奇人が一人ぐらいはいてくれたらいいな、という希望的観測を捨てきれなかったからだ。何がきっかけになるか分からない世の中だし。

 だからクドいようだけど、ここまで読んでくれた人は(何人いるのか分からないけど、)ぜひ綿矢りさ『ひらいて』を読んでいただけたら幸いです。ぜひ、何卒。

 おしまい。

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